1901年

相馬愛蔵・黒光夫妻がパン屋・中村屋を創業。

1901年、相馬愛蔵と妻の黒光が東京・上野でパン店『中村屋』を創業し、日本に洋菓子文化を広めました。
1901年12月30日、東京・上野で相馬愛蔵と妻の黒光がパンと洋菓子の店『中村屋』を創業しました。 彼らは西洋の製パン技術を取り入れ、一般庶民にも手軽な洋菓子やパンを提供しました。 後にカレーパンやインドカレーなど多彩なメニューを開発し、日本の食文化に新風を吹き込みました。 店は庶民の憩いの場として人気を博し、のちに菓子・飲食業へと事業を拡大しました。 現在でも老舗として高い評価を受けています。
1901年 相馬愛蔵 黒光 中村屋
1946年

文部省(現・文部科学省)が「6・3・3・4制」の教育制度採用を発表。

6・3・3・4制の新しい学制が文部省から発表され、教育制度が一新されました。
1946年12月30日、文部省(現・文部科学省)が6・3・3・4制の導入を発表。 6年の小学校、3年の中学校、3年の高等学校、4年の大学を基本とする学制。 旧制中学校と高等女学校を廃止し、戦後の民主教育を推進する目的があった。 1947年4月に新学制が施行され、全国の学校教育システムが統一された。 以降、⽇本の基幹教育制度として現在に至るまで継続している。
1946年 文部省 文部科学省 6・3・3・4制 教育制度
1948年

熊本県人吉市で祈祷師夫婦が殺害される(免田事件)。

1948年12月30日、熊本県人吉市で祈祷師の夫婦が何者かに殺害された事件。後に冤罪問題として全国的に知られるようになった。
1948年12月30日、熊本県人吉市(旧・球磨郡免田村)で祈祷師の夫婦が自宅で殺害された。 捜査の過程で逮捕された2人の若者は犯行を否認したにもかかわらず死刑判決を受けた。 全国的な再審請求運動が展開され、1950年代から70年代にかけて冤罪が明らかにされていった。 1983年に最高裁で無罪判決が確定し、国家賠償が認められた。 日本の戦後司法の問題点を浮き彫りにした象徴的な事件として現在も語り継がれている。 現在も冤罪防止の教訓として法律学や人権教育で取り上げられている。
1948年 祈祷師 免田事件
1977年

連続殺人で逮捕され第2審の準備中のテッド・バンディが収監中の刑務所から逃亡。

1977年12月30日、シリアルキラー、テッド・バンディが収監中の刑務所から脱獄した。
テッド・バンディは多くの女性を殺害した容疑で収監されていたコロラド州のガーランド郡刑務所から脱走。 1977年12月30日未明、建物の配管スペースを伝って外部へ逃亡に成功した。 この脱獄後、再び数件の女性連続殺人を続行し、全米で恐怖の的となった。 後に逮捕された際には二度の脱獄経験を持つことで知られ、その知能の高さと冷酷さで悪名を轟かせた。 最終的に1979年に再逮捕され、1989年に死刑が執行された。
1977年 テッド・バンディ
1985年

東京都大田区でコンビニ強盗。犯人を追跡した大学生が刺殺される。

1985年12月30日、東京都大田区のコンビニ強盗を追跡した大学生が刺殺される痛ましい事件が発生した。
1985年12月30日夕刻、東京都大田区内のコンビニエンスストアで強盗事件が発生。 現場から逃走する犯人を追いかけた大学生が抵抗したところ、刃物で刺され死亡した。 被害者は現場にいた店員を助けようとしたとされ、勇気ある行動が後に多くの人の記憶に残った。 犯人は現場から逃走し、その後の動向は不明だが、事件は社会に大きな衝撃を与えた。 地域の防犯意識を高める契機ともなり、大学生の勇敢な行動は追悼の対象となっている。
1985年 大田区 コンビニ
1988年

神戸市の太陽神戸銀行須磨支店前に停車していた現金輸送車が乗り逃げされ、3億2250万円が持ち去られる。7年後の1995年に公訴時効が成立。未解決事件となる。

1988年12月30日、神戸市で太陽神戸銀行の現金輸送車が乗り逃げされる大規模強盗事件が発生。
1988年12月30日、神戸市須磨区の太陽神戸銀行須磨支店前で現金輸送車が襲われ、約3億2250万円が奪われた。 犯人は輸送車を運転して逃走し、その後の追跡にもかかわらず行方は不明のまま。 事件から7年後の1995年に公訴時効が成立し、未解決事件として処理された。 巨額の現金が一夜にして消える大胆な手口は社会に大きな衝撃を与えた。 現在も真相は闇の中にあり、国内有数の未解決金融犯罪として語り継がれている。
1988年 太陽神戸銀行 1995年 公訴時効 未解決事件
2000年

世田谷一家殺害事件発生。

2000年12月30日、東京都世田谷区で世田谷一家殺害事件が発生し、未解決のまま現在に至る。
2000年12月30日夜、東京都世田谷区上祖師谷の住宅で一家4人が遺体で発見された。 玄関の鍵は内側からかかっており、侵入者による犯行とみられるが動機や手口は不明。 DNA型鑑定や指紋解析など科学捜査が行われたものの、決定的な手がかりは得られなかった。 事件は現在も未解決のまま捜査が続けられており、日本国内最難事件の一つとされる。 犯人逮捕に向けた情報提供が呼びかけられ、被害者家族の苦悩は今なお多くの関心を集めている。
2000年 世田谷一家殺害事件