1890年
ウンデット・ニーの虐殺。
1890年12月29日、南ダコタ州ウンデット・ニーでアメリカ軍がラコタ族を虐殺しました。
米国政府によるインディアン政策の一環で、1890年12月29日、南ダコタ州ウンデット・ニーでラコタ族の男女や子供を含む多数が無抵抗の状態で軍に襲撃されました。
この虐殺で約150名から300名のラコタ族が犠牲となり、アメリカ先住民史上最も悲惨な事件の一つとされています。
背景にはゴーストダンス運動への弾圧や保留地への隔離政策があり、先住民の怒りと悲しみが高まっていました。
事件後、インディアン戦争は事実上終結し、多くの先住民の自立と文化は深刻な打撃を受けました。
今日もこの場は記念碑として残り、歴史的な教訓を伝えています。
1890年
ウンデット・ニーの虐殺
1928年
易幟。奉天派を率いていた張学良が、北洋政府の五色旗を国民政府の青天白日満地紅旗に替え、降伏の意を示す。蔣介石の北伐が終了し、中国国民党が中国を統一。
1928年12月29日、張学良が奉天派の旗を下ろし、国民政府の青天白日満地紅旗を掲げて北伐が終了しました。
1928年、国民革命軍による北伐が進行する中、奉天派を率いていた張学良は12月29日に奉天(現在の瀋陽)で降伏を表明しました。
彼は北洋政府の五色旗を下ろし、国民政府の青天白日満地紅旗を掲げる「易幟」を行いました。
これにより蒋介石率いる中国国民党が象徴的に中国全土の統一を達成し、南京に国民政府を樹立します。
易幟は中国近代史における重要な政治的転換点とされ、国民政府の正統性を国内外に示しました。
その後の中国は国民党政権下で近代化政策を進めることとなります。
1928年
易幟
奉天派
張学良
北洋政府
国民政府
青天白日満地紅旗
蔣介石
北伐
1996年
グアテマラ内戦: グアテマラ政府とグアテマラ国民革命連合の間で和平合意が成立し、36年におよぶ内戦が終結。
1996年12月29日にグアテマラ内戦の和平合意が成立し、36年にわたる紛争が終結しました。
グアテマラ内戦は1960年に始まり、先住民族支援を掲げるゲリラと軍事政権が激しく対立していました。
国際連合の仲介により長期交渉が行われ、1996年12月29日に最終和平合意が署名されました。
合意には軍の縮小、先住民族の権利保護、農地改革、真相究明など11分野の政策が盛り込まれました。
停戦後、国連平和維持活動部隊が監視にあたり、反政府組織は正式に解体されました。
和平は数十万人の犠牲をもたらした内戦に終止符を打ち、グアテマラの民主化と和解への道を開きました。
1996年
グアテマラ内戦
グアテマラ
グアテマラ国民革命連合
英語版
1998年
カンボジアのクメール・ルージュが1970年代の大量殺戮について謝罪。
1998年12月29日、クメール・ルージュが1970年代の大量殺戮について謝罪を表明しました。
カンボジアのクメール・ルージュは1975年から1979年にかけて約170万人を虐殺したとされる政治組織です。
1998年に同組織は公式に解体され、同年12月29日に生存幹部が過去の大量虐殺への遺憾と謝罪を発表しました。
この謝罪声明は長年の国内外からの裁判と真相究明要求に応えるものでした。
謝罪は国民的和解への第一歩とされ、後の国際戦犯法廷(ECCC)の設立にも影響を与えました。
しかし、多くの被害者や専門家からは不十分との批判もあり、真の癒やしには至っていません。
1998年
カンボジア
クメール・ルージュ
大量殺戮