1947年

日本の出生届の人名を当用漢字に限定。

出生届に記載できる人名用漢字が当用漢字に限定され、命名の規範が定められた。
1947年に戸籍法が改正され、出生届に使用できる人名用漢字が当用漢字に限定された。 これは戦後の漢字整理運動の一環で、漢字使用の簡素化と教育改善を目的としていた。 保護者は限定された漢字表から選んで命名し、統一的な名前表記が促進された。 制度導入により、戸籍管理や住民基本台帳の整備が容易になった。 以降、人名用漢字表は定期的に見直され、現在の人名漢字制度へと発展を続けている。
1947年 人名 当用漢字
1948年

免田事件。熊本県人吉市で祈祷師夫婦が殺害される事件が発生。

熊本県人吉市で祈祷師夫婦が殺害された免田事件が発生し、後の冤罪救済運動の契機となった。
1948年12月29日、熊本県人吉市で祈祷師の夫妻が自宅で殺害される事件が発生した。 当初の捜査では複数の容疑者が浮上したが、証拠不十分で捜査は難航した。 後に冤罪とされた人物が逮捕・起訴され、死刑判決を受ける事態となった。 この事件は日本の刑事司法制度における冤罪問題を浮き彫りにし、再審や死刑制度の議論を喚起した。 免田事件は冤罪救済運動の象徴として、法制度改革の重要な契機となった。
1948年 免田事件
1968年

学生紛争により、東京大学と東京教育大学が翌年の入試中止を決定。

学生運動の激化を受け、東京大学と東京教育大学が1969年度入試の中止を決定した。
1968年後半から全国的に学生運動が激化し、大学当局との対立が深刻化した。 東京大学と東京教育大学ではキャンパス占拠や抗議行動が相次ぎ、学内秩序が乱れた。 両大学は1969年度の入試実施を見送り、中止を決定し受験生に衝撃を与えた。 入試中止は教育現場や社会に大きな議論を呼び、大学自治の在り方が問われる契機となった。 以降、教育制度改革や学内運営の見直しが進められ、現代教育への転換点となった。
1968年 学生紛争 東京大学 東京教育大学 入試
1998年

和歌山地裁、毒物カレー事件などの殺人及び殺人未遂の罪で主婦の女を起訴。

1998年に発生した毒物カレー事件で、和歌山地裁が主婦を殺人および殺人未遂の罪で起訴した。
毒物カレー事件は、1998年7月に和歌山県で発生した集団中毒事件で、主婦が催し物で提供したカレーに農薬を混入し、4人が死亡、60人以上が負傷しました。12月29日、和歌山地裁は被告となった主婦を殺人および殺人未遂の罪で正式に起訴しました。この事件は日本の犯罪史上でも特異な大量毒殺事件として記憶されており、裁判では動機や責任能力が大きな焦点となりました。被告は精神鑑定も行われながら裁判が進められ、被害者家族を含む社会に大きな衝撃を与えました。現在も事件の背景や法的評価が議論されています。
和歌山地裁 毒物カレー事件