1984年

シルヴィ・ギエムがパリ・オペラ座のエトワールに昇進。19歳でバレエ団のトップスターとなる。

1984年12月29日、シルヴィ・ギエムが19歳でパリ・オペラ座バレエ団のエトワールに昇進し、史上最年少のトップスターとなりました。
シルヴィ・ギエムはわずか14歳でパリ・オペラ座バレエ団に入団し、その卓越したテクニックと芸術性で注目を集めました。 1981年にプルミエール・ダンスーズ(准トップ)に昇格後、3年後の1984年12月29日にエトワール(最高位)に任命されました。 19歳という若さでの昇進は前例がなく、彼女のキャリアは一躍世界的に知られるようになりました。 以後、ギエムはモーリス・ベジャールやローラン・プティらとの共演で数々の名演を生み出し、バレエ界に新たな風を吹き込みました。 その独自の表現力と身体の柔軟性は、多くの後進に影響を与え続けています。
1984年 シルヴィ・ギエム パリ・オペラ座
1990年

東京・銀座のシャンソン喫茶の老舗「銀巴里」が閉店。

1990年12月29日、銀座の老舗シャンソン喫茶「銀巴里」が閉店し、一つの文化の灯が消えました。
「銀巴里(ギンパリ)」は1953年に開業し、フランス歌曲を中心としたライブ演奏を楽しめる文化の発信地として親しまれました。 シャンソン歌手や音楽ファンが集い、多彩なパフォーマンスが繰り広げられた店内は、当時の銀座の象徴的な存在でした。 時代の変遷や家賃高騰、若者の趣向の多様化により来客数が減少し、経営維持が困難となりました。 1990年12月29日に最終営業を迎え、37年間の歴史に幕を下ろしました。 閉店後も「銀巴里」の名は伝説として語り継がれ、日本におけるシャンソン文化の一時代を象徴しています。
1990年 銀座 シャンソン 喫茶 銀巴里
2003年

サーミ語アッカラ方言の最後の話者が死亡し、死語となる。

サーミ語アッカラ方言の最後の話者が亡くなり、言語が事実上の死語となった。
サーミ語は北欧やロシア北部に住むサーミ人の使用言語で、複数の方言が存在しました。アッカラ方言はフィンランド北部を中心に話されていましたが、話者数は急速に減少していました。2003年12月29日、最後の母語話者が亡くなり、アッカラ方言は事実上の死語となりました。言語消滅は文化的多様性の喪失を象徴し、言語保存の重要性が改めて注目されました。現在、サーミ語全体の活性化や保護活動が国際的に行われています。
2003年 サーミ語 死語