1689年

トマス・シデナム

(1624 - 1689)

医師

医師
イギリスの医師で、臨床観察を重視した「イギリスのヒポクラテス」。
1624年にイングランドで生まれ、王立外科医師協会の会員となる。 患者の症状を詳細に観察し、記録する臨床方法を確立した。 著作『Medicinae Practicae Abridgement』などで病気の分類法を提唱。 疫病や流行病の治療に有効な手法を示し、17世紀の医療改革を牽引。 1689年に没し、近代臨床医学の基礎を築いた功績で高く評価されている。
1689年 トマス・シデナム 1624年
1720年

マリア・マルガレータ・キルヒ

(1670 - 1720)

天文学者

天文学者
ドイツの女性天文学者。天文学者ゴットフリート・キルヒの妻としても知られる。
1670年にドレスデン近郊で生まれ、夫ゴットフリート・キルヒと共に観測所で活動した。星表の作成や彗星観測など多くの研究成果を残し、1720年に自身の名で彗星観測を記録した。夫との共同研究を通じて精密観測の手法を確立し、データ分析にも関与した。数少ない女性天文学者として当時の学術界に貴重な視点を提供し、後世の女性研究者に影響を与えた。没後もその観測記録は学術資料として利用され続けている。
1720年 マリア・マルガレータ・キルヒ 1670年
1731年

ブルック・テイラー

(1685 - 1731)

数学者

数学者
イギリスの数学者。テイラー級数とテイラーの定理を提唱し、解析学の基礎を築いた。
1685年にイングランドのロンドン郊外で生まれた。ケンブリッジ大学のクライスツ・カレッジで学び、数学の研究に専念した。1708年に発表したテイラーの定理は、関数を多項式で近似する理論の基礎を確立し、後の解析学の発展に大きく寄与した。テイラー級数は物理学や工学の分野でも幅広く応用されている。1731年に没するまで、王立協会の会員として研究成果を発表し続けた。
1731年 ブルック・テイラー 数学者 1685年
1891年

レオポルト・クロネッカー

(1823 - 1891)

数学者

数学者
ドイツの数学者。整数論と代数学の研究で知られる。
1823年にブレスラウ(現ポーランド)で生まれ、ベルリン大学で学んだ。代数学や整数論に関する重要な定理を数多く証明し、クロネッカーの定理に名を残した。ゲオルク・カントールの集合論を批判し、数学の基礎づけにおいて形式主義を主張した。私財を投じて学術振興にも尽力し、講演会や奨学金で後進を支援した。1891年にベルリンで没し、その業績は現代数学にも影響を与えている。
1891年 レオポルト・クロネッカー 1823年
1919年

ウイリアム・オスラー

(1849 - 1919)

医学者

医学者
カナダ出身の医学者。近代医学の父と称される。
サー・ウイリアム・オスラーは1849年にカナダで生まれ、ジョンズ・ホプキンズ大学の創設メンバーの一員として活躍した医学者です。臨床実習の重要性を提唱し、現在の医学生教育の基礎を築きました。『The Principles and Practice of Medicine』は医療現場の標準的教科書として長く用いられました。また、精緻な患者観察とケースレポートの手法で医学研究にも貢献し、世界中の医療制度に影響を与えました。1919年に故人となるまで、生涯を通じて医学教育の発展に尽力しました。
1919年 ウイリアム・オスラー 医学者 1849年
1929年

ヴィルヘルム・マイバッハ

(1845 - 1929)

自動車技術者

自動車技術者
ドイツの自動車技術者。 ダイムラー社でエンジン開発を主導し、マイバッハブランドを創設した。
1845年にドイツで生まれた自動車技術者である。 ゴットリープ・ダイムラーとともに早期のガソリンエンジン開発に携わった。 ダイムラー社で設計部門を率い、エンジン性能の向上に貢献した。 1909年には息子とともにマイバッハ・モトーレンバウを設立。 高級車ブランドとして評価を受け、多くの名車を生み出した。 その技術と理念は後の自動車産業に大きな影響を残した。
1929年 ヴィルヘルム・マイバッハ 自動車 1845年
1941年

吉田増蔵

(1866 - 1941)

漢学者

漢学者
明治から昭和時代に活躍した日本の漢学者。儒学や中国古典の研究で知られる学識者。
1866年に生まれ、中国古典や儒学を専門に研究した。 東京帝国大学で教鞭を執り、多くの門人を育成。 古典テキストの翻刻や注釈書を多数発表した。 漢詩や詩文に精通し、近代日本の儒学研究に多大な貢献を果たした。 学術団体の活動にも参加し、漢学の普及に努めた。
1941年 吉田増蔵 漢学者 1866年
1941年

南方熊楠

(1867 - 1941)

博物学者、民俗学者

博物学者 民俗学者
博物学者・民俗学者。粘菌研究の世界的先駆者で、多彩な学識と博覧強記で知られる。
1867年に紀州で生まれ、独学で博物学を究めた。 イギリスなど海外で粘菌の標本を収集し、ブリティッシュ・ミュージアムに寄贈。 帰国後は日本各地の民俗や習俗を調査し、豊富な資料を蓄積。 50万枚以上のカードに知見を整理し、『南方熊楠全集』としてまとめられた。 生態系保護運動にも取り組み、天然記念物の保存に尽力した。 多岐にわたる研究が現代の生物学・文化人類学に影響を与えている。
南方熊楠 博物学者 民俗学者 1867年
1965年

米川正夫

(1891 - 1965)

ロシア文学者

ロシア文学者
ロシア文学を専門とした日本の文学研究者。
1891年に生まれ、帝国大学でロシア文学を学ぶ。 1920年代から数多くの翻訳と論文を発表し、日本にロシア文学の魅力を紹介。 大学教授として後進の指導に尽力し、多くの研究者を育成した。 戦後も研究活動を続け、ロシア文学研究の基礎を築いた。 1965年に逝去した後も、その業績は現在の文学研究で高く評価されている。
米川正夫 ロシア文学者 1891年
1977年

柴田衛

(1900 - 1977)

鉄道・機械技術者

鉄道・機械技術者
鉄道と機械技術に精通し、戦後のインフラ整備に貢献した技術者。
1900年に生まれ、鉄道技術と機械工学を学ぶ。 鉄道車両の設計や保守管理に従事し、安全性向上に貢献。 機械技術者としても幅広いプロジェクトを手掛け、技術革新を推進した。 戦後復興期のインフラ整備で重要な役割を果たした。 1977年に逝去した後も、多くの技術者に影響を与え続けている。
1977年 柴田衛 1900年
1990年

海老名敏明

(1899 - 1990)

病理学者、東北帝国大学名誉教授

病理学者 東北帝国大学名誉教授
東北帝国大学名誉教授として病理学の研究と教育に貢献した学者。
海老名敏明は1899年に生まれ、病理学者として組織学や診断病理の分野で重要な研究を行った。東北帝国大学(現東北大学)で教授として多くの学生を指導し、臨床と研究を結びつける教育方針を推進した。国内外の学会で発表を重ね、病理学の発展に寄与した。退官後は名誉教授として後進育成や学術活動を支えた。1990年に91歳で逝去した。
1990年 海老名敏明 東北帝国大学 1899年
1996年

セメレーニ・オスヴァルド

(1913 - 1996)

言語学者

言語学者
言語学の研究に貢献した学者。多言語対照分析を進めた。
セメレーニ・オスヴァルドは1913年に生まれ、言語学者として言語構造や音声学の分野で研究を行った。特に多言語環境での言語習得や対照分析に注目し、国際学会で成果を発表した。大学で教鞭をとり、多くの学生を指導するとともに、学術書や論文を多数執筆した。研究を通じて言語理解の深化に寄与し、1996年に83歳で逝去した。
1996年 セメレーニ・オスヴァルド 言語学者 1913年