養老5年12月7日

元明天皇

(661 - 721)

第43代天皇

第43代天皇
奈良時代の第43代天皇として、古代日本の朝廷文化を支えた女性天皇。
661年に生まれ、聖武天皇や孝謙天皇の父系をつなぐ皇統を担った。 707年に第43代天皇として即位し、持統天皇以来の女性天皇として政務を執行。 在位中には奈良への遷都や『古事記』の編纂を命じ、日本の歴史書成立に大きく寄与した。 715年に娘の元正天皇へ譲位し、その後も朝廷で影響力を保った。 721年に崩御し、長きにわたり日本の皇室史に名を残した。
721年 養老 12月7日 元明天皇 天皇 661年
嘉承2年11月14日

藤原公実

(1053 - 1107)

平安時代の公卿、歌人

平安時代の公卿 歌人
平安時代の公卿であり、宮廷で和歌を詠んだ歌人。
1053年に藤原北家の一門として生まれ、宮廷に仕えながら歌壇で活躍した。 朝廷の歌合や勅撰和歌集に多くの和歌を残し、宮廷文化の発展に寄与。 『新古今和歌集』以前の歌壇を支え、後世の歌人に影響を与えたとされる。 晩年には出家し、仏道修行に専念したと伝えられる。 1107年に世を去り、歌人としての業績が高く評価されている。
1107年 嘉承 11月14日 藤原公実 平安時代 公卿 歌人 1053年
元久元年11月30日

藤原俊成

(1114 - 1204)

歌人

歌人
鎌倉時代初期の歌人で、勅撰和歌集の撰者として名高い。
1114年に生まれ、藤原俊成は『千載和歌集』の撰者として知られる。 和歌の審美眼は後世に影響を与え、新古今和歌集の基礎を築いた。 歌論書『洞口取』などを著し、和歌の技法や美学を体系化。 数多くの歌合や勅撰集に参加し、朝廷歌人の頂点に立つ。 1204年に没し、歌壇史上に燦然と輝く業績を残した。
1204年 元久 11月30日 藤原俊成 1114年
建保5年11月29日

行意

天台宗の僧

天台宗の僧
鎌倉時代初期の天台宗の僧で、仏教思想の普及に努めた。
1177年頃に生まれ、比叡山延暦寺で修行を積んだと伝えられる。 天台宗の教義を深く学び、各地で布教活動を展開。 仏教経典の講義や法要を行い、信徒に広く教えを説いた。 鎌倉新仏教の潮流の中で、天台宗を支えた存在とされる。 1217年に示寂し、その卓越した学識と教化活動が後世に伝えられている。
1217年 建保 11月29日 行意 天台宗 1177年
興国3年/康永元年12月1日

土岐頼遠

美濃国の守護大名

美濃国の守護大名
室町時代前期の守護大名として美濃国を治めた武将。
14世紀初頭に土岐氏の一族として生まれ、美濃国の守護職を継承。 守護大名として地元領主の統制や年貢の徴収を担い、幕府との関係を維持。 南北朝時代の動乱期において、領国の安定化に努めた。 土岐氏の勢力基盤を確立し、後の室町時代を通じて影響力を保持。 1342年に没し、美濃国の守護職は子孫に引き継がれた。
1342年 興国 康永 12月1日 土岐頼遠 美濃国 守護大名
文中2年/応安6年11月16日

菊池武光

南北朝時代の武将

南北朝時代の武将
南北朝時代に肥後国で勢力を振るった菊池氏の武将。
1319年頃に肥後(現在の熊本県)で生まれ、菊池氏当主として台頭。 南朝方に属して幕府軍と各地で戦い、西国における南朝の拠点を支えた。 「肥後の武者」と称される勇猛さで知られ、地元民からの支持も厚かった。 内紛や外敵への対応を通じて領国の安定と発展に寄与。 1373年にその生涯を閉じ、後世に武勇伝を残した。
1373年 文中 応安 11月16日 菊池武光 南北朝時代 武将 1319年
天文4年12月5日

松平清康

(1511 - 1535)

三河国の戦国大名

三河国の戦国大名
三河国を治め、後の徳川家の礎を築いた戦国大名。
1511年に生まれ、松平氏の当主として三河国の統治を強化。 領民の支援を得るための土木工事や経済政策を実施し、国力を向上。 隣接勢力との同盟や戦いを通じて領域を拡大し、戦国大名として名を上げた。 1535年に家臣の裏切りにより若くして討たれたが、その改革が後の徳川氏を支える。 松平・徳川家の基盤を築いた功績が高く評価されている。
1535年 天文 12月5日 松平清康 三河国 戦国大名 1511年
天文4年12月5日

阿部正豊

戦国武将

戦国武将
戦国時代に活動した武将で、諸勢力の争乱期を生き抜いた。
詳細な生没年は伝わっていないが、戦国時代の諸国で軍事的活動を展開。 地元領主や大名に仕え、合戦や防衛に従事したとされる。 文献によって断片的な記録が残るのみで、具体的な功績は不詳。 乱世を生き抜く中で諸勢力の駆け引きに関わったと考えられる。 1535年に命を落とし、多くの史料に名前だけが伝えられている。
阿部正豊 戦国武将
1605年

ジョン・デイヴィス

(1550 - 1605)

探検家

探検家
イギリスの航海士・探検家で、北西航路の探索に挑んだ人物。
1550年頃に生まれ、イギリス王室から航海の任務を受ける。 1585年から数度にわたり北西航路の探索遠征を実施し、グリーンランド海岸を調査。 氷海の狭間にあるデイヴィス海峡を発見し、自らの名を冠された。 極寒と海氷の中で航海技術と航路情報を蓄積し、後の探検に大きく貢献。 1605年に帰国後まもなく没し、その冒険譚は後世の探検家を鼓舞した。
1605年 ジョン・デイヴィス 探検家 1550年
1689年

トマス・シデナム

(1624 - 1689)

医師

医師
イギリスの医師で、臨床観察を重視した「イギリスのヒポクラテス」。
1624年にイングランドで生まれ、王立外科医師協会の会員となる。 患者の症状を詳細に観察し、記録する臨床方法を確立した。 著作『Medicinae Practicae Abridgement』などで病気の分類法を提唱。 疫病や流行病の治療に有効な手法を示し、17世紀の医療改革を牽引。 1689年に没し、近代臨床医学の基礎を築いた功績で高く評価されている。
1689年 トマス・シデナム 1624年
1720年

マリア・マルガレータ・キルヒ

(1670 - 1720)

天文学者

天文学者
ドイツの女性天文学者。天文学者ゴットフリート・キルヒの妻としても知られる。
1670年にドレスデン近郊で生まれ、夫ゴットフリート・キルヒと共に観測所で活動した。星表の作成や彗星観測など多くの研究成果を残し、1720年に自身の名で彗星観測を記録した。夫との共同研究を通じて精密観測の手法を確立し、データ分析にも関与した。数少ない女性天文学者として当時の学術界に貴重な視点を提供し、後世の女性研究者に影響を与えた。没後もその観測記録は学術資料として利用され続けている。
1720年 マリア・マルガレータ・キルヒ 1670年
1731年

ブルック・テイラー

(1685 - 1731)

数学者

数学者
イギリスの数学者。テイラー級数とテイラーの定理を提唱し、解析学の基礎を築いた。
1685年にイングランドのロンドン郊外で生まれた。ケンブリッジ大学のクライスツ・カレッジで学び、数学の研究に専念した。1708年に発表したテイラーの定理は、関数を多項式で近似する理論の基礎を確立し、後の解析学の発展に大きく寄与した。テイラー級数は物理学や工学の分野でも幅広く応用されている。1731年に没するまで、王立協会の会員として研究成果を発表し続けた。
1731年 ブルック・テイラー 数学者 1685年