1908年
メッシーナ地震。地震と津波で死者推定8万2000人。
イタリア・シチリア島で大規模な地震と津波が発生し、多くの犠牲者を出した日。
1908年12月28日にシチリア島とメッシーナで発生した大地震(Mw7.1)。
続いて高さ約10メートルの津波が沿岸部を襲い、都市や村落を一瞬で壊滅させました。
犠牲者は推定8万2000人に上り、当時の欧州史上最悪の自然災害の一つとされています。
建物の多くが石造りだったため倒壊被害が甚大となり、救援や復興には長い時間と莫大な費用を要しました。
この惨事は地震学や津波研究の重要性を浮き彫りにし、防災対策の転機となりました。
1908年
メッシーナ地震
津波
1934年
宮城県松島湾で東北帝国大学と第二高等学校のボートが遭難。ボート部員10人が死亡日外アソシエーツ編集部 編『日本災害史事典 1868 2009』日外アソシエーツ、2010年9月27日、42頁。ISBN 9784816922749。 。
松島湾での大学・高校の合同ボート部の遭難事故が発生し、10人が命を落とした日。
1934年12月28日、宮城県松島湾で東北帝国大学と第二高等学校の合同ボート部が出艇中に遭難。
突然の悪天候と荒波により艇が転覆し、乗組員10人が命を落としました。
事故当時は救命設備や通信手段が十分でなく、迅速な救助が困難でした。
この悲劇はボート競技の安全管理体制強化や救命具の整備促進につながりました。
氏名や詳細は資料によって異なりますが、スポーツ事故の教訓として語り継がれています。
1934年
宮城県
松島湾
東北帝国大学
第二高等学校
ISBN
9784816922749
1986年
余部鉄橋列車転落事故: 鉄橋を通過中の香住発浜坂行きの下り回送列車が、日本海からの突風を受けて転落し、直下の水産加工場などを直撃。車掌と水産加工場の従業員5人の計6人が死亡。従業員と水産加工場の従業員計6人が重傷を負った。
1986年、余部鉄橋を通過中の回送列車が突風で転落し、水産加工場などを直撃。6人が死亡、多数が負傷する大惨事となりました。
1986年12月28日、香住発浜坂行きの下り回送列車が兵庫県の余部鉄橋を通過中、日本海からの強風に煽られて転落しました。列車は直下にあった水産加工場を直撃し、車掌と加工場の従業員5人の計6人が死亡しました。負傷者は加工場の従業員を含む複数名に上り、地域社会に衝撃を与えました。事故後、余部鉄橋の安全対策強化が検討され、後の橋梁補強工事につながりました。また、この事故を契機に列車運行時の気象条件のモニタリング強化が進められました。
1986年
余部鉄橋列車転落事故
1989年
ニューカッスル地震: マグニチュード5.6の地震が発生し、死者13人、160人以上の負傷者が発生。
1989年、オーストラリアのニューカッスルでマグニチュード5.6の地震が発生し、13人が死亡、160人以上が負傷しました。
1989年12月28日、ニューサウスウェールズ州ニューカッスル付近でM5.6の地震が発生しました。地震は比較的低いマグニチュードながら人口密集地を直撃し、建物倒壊や火災を引き起こしました。死者は13人にのぼり、160人以上が負傷しました。多くの住宅や商業施設に深刻な被害が出て、復旧には数ヶ月を要しました。この地震を契機にオーストラリア国内で耐震基準の見直しが進められ、安全対策の強化が図られました。緊急対応訓練や防災教育も見直され、地域のレジリエンス強化が進みました。
1989年
ニューカッスル地震
1994年
三陸はるか沖地震: 三陸はるか沖を震源とするマグニチュード7.5の地震が発生。青森県を中心に、3人が死亡、788人が負傷、家屋損壊は9,522棟。また、約76,000軒で停電、42,000軒で断水被害。
1994年、三陸沖を震源とするM7.5の地震が発生し、青森県を中心に死傷者や大規模な家屋損壊、停電・断水被害が発生しました。
1994年12月28日、三陸はるか沖を震源とするマグニチュード7.5の地震が発生しました。青森県を中心に3人が死亡し、788人が負傷しました。家屋損壊は9,522棟にのぼり、約76,000軒で停電、42,000軒で断水という大規模被害となりました。地震発生後、自治体や消防・自衛隊が迅速に救援活動を展開し、被災地の復旧支援にあたりました。この地震は沿岸域の防災体制見直しを促す契機となり、耐震補強計画の強化が図られました。
1994年
三陸はるか沖地震
2024年
ロシアのウラジーミル・プーチン大統領が12月25日のカザフスタンのアゼルバイジャン機墜落事故について、ロシアの防空システムによる誤射があったことを示唆する内容をアゼルバイジャンのイルハム・アリエフ大統領に電話会談で伝え、謝罪する。
2024年12月28日、プーチン大統領がカザフスタン機墜落事故についてロシア防空システムによる誤射の可能性を示唆し、アリエフ大統領に謝罪しました。
2024年12月25日にカザフスタンからアゼルバイジャンへ向かっていた旅客機が墜落し、多数の犠牲者が出ました。
12月28日、ウラジーミル・プーチン大統領はイルハム・アリエフ大統領に電話会談を行い、ロシアの防空システムによる誤射の可能性を示唆。
その上で、誤射が事実であれば深く謝罪すると表明しました。
両国首脳による直接的な謝罪と情報共有は、緊張緩和に向けた重要な一歩となりました。
事故原因の究明と犠牲者遺族への支援が喫緊の課題とされています。
2024年
ロシア
ウラジーミル・プーチン
12月25日
カザフスタン
アゼルバイジャン
イルハム・アリエフ