1895年
上野鉄道(現上信電鉄)設立。
上野鉄道(現・上信電鉄)が群馬県で設立され、地域交通の整備が始まった。
1895年12月27日、群馬県を拠点に上野鉄道が創立された。
創業時は貨物輸送を主目的とし、後に旅客営業を開始した。
鉄道網の整備は地域産業振興や物流効率化に寄与した。
1900年には高崎~上州福島間が開業し、本格的な運行が始動した。
現在の上信電鉄として地元の重要な交通手段となっている。
1895年
上信電鉄
1922年
横須賀海軍工廠で世界初となる日本海軍の航空母艦「鳳翔」が竣工。
世界初の国産航空母艦「鳳翔」が横須賀海軍工廠で竣工し、日本海軍の航空戦力強化に貢献。
1922年12月27日、横須賀海軍工廠で建造された「鳳翔」が竣工し、日本海軍初の航空母艦となりました。鳳翔は当初水上機母艦として設計され、その後本格的な航空母艦へと改装された経緯があります。艦名は中国の伝説上の神鳥「鳳凰」に由来し、航空戦力の象徴とされました。竣工は日本の造船技術と海軍航空作戦能力の飛躍的発展を示す出来事であり、後の航空母艦建造に大きな影響を与えました。以降、鳳翔は訓練艦として航空隊の育成に活用され、海軍航空戦力整備の基礎となりました。
1922年
横須賀海軍工廠
日本海軍
航空母艦
鳳翔
1933年
神中鉄道(現相模鉄道)の横浜駅が開業。
1933年12月27日、神中鉄道(現相模鉄道)の横浜駅が開業し地域交通網を拡充。
神中鉄道の前身である会社が神奈川県内の鉄道網整備を進め、横浜駅を新たに開業しました。この駅は相模鉄道本線の起点として、横浜中心部と沿線地域を直結する役割を果たしました。開業当初から朝夕の乗客で賑わい、沿線の都市開発や商業活動を促進しました。駅舎は当時のデザインを残しつつ、戦後の改築で近代的な構造に生まれ変わりました。現在も相模鉄道の主要ターミナルとして地域の生活と経済を支えています。
1933年
相模鉄道
横浜駅
1968年
都営地下鉄6号線(現在の三田線)巣鴨駅 志村駅(現在の高島平駅)が開業。
都営地下鉄6号線(現・三田線)の巣鴨駅から志村駅間が開業し、東京の交通網が拡充された。
1968年12月27日、都営地下鉄6号線(現・都営三田線)の巣鴨駅から志村駅(現・高島平駅)までの区間が開業しました。
都心と北西部の住宅地を結ぶ新路線として、通勤・通学の利便性が大幅に向上しました。
開業当初は4駅間を運行し、以後の延伸によって大手町や日吉方面へのアクセスも整備されました。
この路線は複数のJR線や他私鉄と接続し、東京圏の交通ネットワークを強化しました。
インフラ整備によって沿線地域の都市化が促進され、住宅・商業開発の契機となりました。
1968年
三田線
巣鴨駅
高島平駅
1977年
阪神電気鉄道が「軌道」から「地方鉄道」へと変更。
1977年12月27日、阪神電気鉄道は事業区分を『軌道』から『地方鉄道』へ変更しました。
阪神電気鉄道は1977年12月27日に鉄道事業法上の事業区分を変更し、それまで路面電車などを扱う『軌道』区分から、一般鉄道に近い『地方鉄道』へと移行しました。この変更により運行基準や保守体制、運賃設定などが見直され、より安全性と効率性の向上が図られました。当時、地方鉄道の区分変更は法的手続きや設備基準の調整を伴い、関係自治体との協議が行われました。この措置は阪神電鉄の制度的地位を再編し、後の制度改正や全国的な地方鉄道振興策にも影響を与えました。
1977年
阪神電気鉄道
軌道
地方鉄道
1995年
名神高速道路の秦荘PA(滋賀県愛荘町)から東名高速道路の赤塚PA(愛知県豊川市)間で日本最長記録となる154 kmの渋滞が発生。
1995年、名神から東名間で約154kmに及ぶ日本最長の渋滞が発生しました。
1995年12月27日頃、名神高速道路秦荘PAから東名高速道路赤塚PAまでの区間で大規模渋滞が発生しました。
延長は約154kmに及び、日本における高速道路渋滞の最長記録を樹立します。
渋滞の原因は年末の帰省ラッシュと悪天候が重なったことによるものです。
この渋滞は交通量の集中やサービスエリアへの入退場車両の滞留が影響しました。
JRの臨時列車増発や高速バスの利用推奨など公共交通の利用促進策が取られました。
以後、道路管理者は交通情報提供や対策計画の見直しを進める必要性が認識されました。
名神高速道路
秦荘PA
滋賀県
愛荘町
東名高速道路
赤塚PA
愛知県
豊川市
km
渋滞
2023年
日本初のモノレールであった東京都交通局上野懸垂線がこの日をもって廃止。(最終営業日は2019年11月30日)
1963年開業の日本初懸垂式モノレール、東京都交通局上野懸垂線が正式に廃止された。
東京都交通局上野懸垂線は1963年に浅草〜上野間で開業した日本初の懸垂式モノレール路線である。
都市部の新たな交通手段として親しまれてきたが、老朽化や安全基準の強化により2019年11月30日に最終営業を迎えた。
その後、路線は休止状態が続いていたが、2023年12月27日に正式に廃止が決定された。
廃止により、歴史的な輸送システムとしての役割を終え、長年親しまれたモノレールの姿は鉄道地図から消えることとなった。
今後は跡地の再開発や記念保存の方向性が検討されている。
2023年
東京都交通局
上野懸垂線