537年

ユスティニアヌス1世によるハギア・ソフィア大聖堂の献堂式が挙行される。

東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世が荘厳なハギア・ソフィア大聖堂の献堂式を挙行した。
東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルに荘厳なキリスト教大聖堂が完成した。 大規模なドームとモザイク装飾が特徴で、帝国の繁栄を象徴した。 ユスティニアヌス1世は式典を挙行し、聖堂は帝国正教会の中心となった。 1453年のオスマン帝国征服後はモスクに転用され、歴史的に重要な建造物となった。 その後も博物館や再びモスクとして利用され、今日まで建築学的価値を誇っている。
537年 ユスティニアヌス1世 ハギア・ソフィア大聖堂
持統天皇8年12月6日

持統天皇が飛鳥浄御原宮から藤原京に遷都する。

持統天皇が飛鳥浄御原宮から藤原京へ都を移し、日本初の条坊制都市を築いた。
694年、持統天皇は長らく使われた飛鳥浄御原宮から藤原京へ都を移した。 藤原京は日本で初めて条坊制を取り入れた計画都市として築かれた。 都は平城京や平安京に先駆け、中央集権強化や律令国家体制の整備を目的とした。 宮都には大極殿や内裏が配置され、儀式や行政機能が集約された。 遷都は日本古代国家の制度化と文化発展に大きな影響を与えた。
694年 12月6日 持統天皇 飛鳥浄御原宮 藤原京 遷都
延暦3年11月11日

桓武天皇が長岡京に遷都する。

桓武天皇が政治的・軍事的安定を図り、長岡京へ都を遷して新たな都づくりを始めた。
784年、桓武天皇は既存の山背国山城郡に長岡京を造営し、平安遷都の準備を進めた。 長岡京は京都盆地西部の平坦地に位置し、都城制を踏襲した設計がなされた。 遷都の背景には藤原氏勢力の抑制や防衛上の理由があったと言われる。 都には大極殿や朝堂院が建てられ、儀式や政務が行われた。 しかし僧侶の反発や洪水などの災害により長岡京は短命に終わり、翌年平安京へ再遷都することになる。
784年 延暦 11月11日 桓武天皇 長岡京 遷都
長禄元年12月2日

長禄の変起こる。

室町幕府内で将軍家権力を巡る対立が激化し、京都で武力衝突が発生した事件。
1457年、室町幕府の将軍足利義政の跡継ぎを巡る内紛が表面化した。 細川勝元や山名持豊など有力守護大名が相互に対立し、京都で武力衝突が起こった。 『長禄の変』と呼ばれるこの争いは、堺や商人勢力にも波及した。 幕府の統制力低下を象徴し、応仁の乱へと繋がる伏線とされる。 この紛争は京都の被害を拡大させ、戦国時代の混乱を深めた。
1457年 長禄 12月2日 長禄の変
1703年

イングランドとポルトガルがメシュエン条約に調印。

イングランドとポルトガルがメシュエン条約を締結し、貿易関係を強化した。
1703年、イングランド(イギリス)とポルトガル王国がメシュエン条約に調印した。 この条約により、ポルトガル産ワインのイギリス市場への輸入関税が引き下げられた。 代わりにイングランドの生地や織物がポルトガルに特恵価格で輸出された。 両国間の経済的結びつきが強化され、『ワインと毛織物の条約』とも呼ばれる。 条約は以後数十年間にわたってポルトガルワイン産業の重要な基盤となった。
1703年 イングランド ポルトガル メシュエン条約
1831年

チャールズ・ダーウィンがイギリス海軍の海洋測量艦ビーグル号に乗り世界一周に出発。

博物学者チャールズ・ダーウィンがビーグル号で世界一周航海に出発した。
1831年12月27日、ダーウィンはイギリス海軍の測量艦ビーグル号に乗り込んだ。 航海は南米大陸やガラパゴス諸島を含む世界各地を巡る約5年間の遠征となった。 彼は船上で膨大な動植物標本を収集し、生物学的観察を行った。 帰国後の研究は進化論の基礎となり、『種の起源』出版への道筋を築いた。 ビーグル号の航海は科学史上屈指の探検とされている。
1831年 チャールズ・ダーウィン イギリス海軍 ビーグル号 世界一周
1871年

明治通宝100円 50円 10円 5円 が布告。

明治政府が新たな通貨制度の一環として複数の明治通宝を布告した。
1871年12月27日、明治政府は五等額の通宝を布告し、円・銭・厘の通貨単位を定めた。 これにより100円・50円・10円・5円の高額貨幣が正式に発行される道が開かれた。 欧米諸国に倣った金本位制導入を視野に入れた通貨改革の一環であった。 国内の貨幣流通は急速に近代化し、経済活動の基盤が整備された。 新制度は日本の産業発展や国際取引拡大に寄与した。
1871年
1885年

浅草寺表参道の両側の「仲見世」を近代的な煉瓦造の建物に建て替え(現在の仲見世の発祥)。

浅草寺の仲見世が煉瓦造りの近代的な建物に改築され、現在の形が誕生した。
1885年、浅草寺表参道両側の木造店舗が煉瓦造に建て替えられた。 これが現在の『仲見世』の起源とされ、多くの参拝者を集めた。 煉瓦造の店舗は火災対策と耐久性向上を目的に採用された。 商店街としての魅力が増し、浅草寺門前町の発展を後押しした。 近代化と伝統が融合した景観は今日まで観光名所として知られる。
1885年 浅草寺 仲見世
1895年

上野鉄道(現上信電鉄)設立。

上野鉄道(現・上信電鉄)が群馬県で設立され、地域交通の整備が始まった。
1895年12月27日、群馬県を拠点に上野鉄道が創立された。 創業時は貨物輸送を主目的とし、後に旅客営業を開始した。 鉄道網の整備は地域産業振興や物流効率化に寄与した。 1900年には高崎~上州福島間が開業し、本格的な運行が始動した。 現在の上信電鉄として地元の重要な交通手段となっている。
1895年 上信電鉄
1904年

ジェームス・バリーの童話劇『ピーター・パン』がロンドンで初演。

ジェームス・M・バリー作の童話劇『ピーター・パン』がロンドンで初めて舞台上演された。
1904年12月27日、ロンドンのデューク・オブ・ヨーク座で『ピーター・パン』が初演された。 原作者ジェームス・M・バリーは子供の永遠の成長物語を描き、観客を惹きつけた。 物語はネバーランドを舞台に、少年ピーターとウェンディ姉妹の冒険を中心に展開される。 公演は大成功を収め、その後世界各地で再演や翻案が行われた。 ミュージカルや映画化もされ、今日まで愛され続ける名作となった。
1904年 ジェームス・バリー ピーター・パン ロンドン
1922年

横須賀海軍工廠で世界初となる日本海軍の航空母艦「鳳翔」が竣工。

世界初の国産航空母艦「鳳翔」が横須賀海軍工廠で竣工し、日本海軍の航空戦力強化に貢献。
1922年12月27日、横須賀海軍工廠で建造された「鳳翔」が竣工し、日本海軍初の航空母艦となりました。鳳翔は当初水上機母艦として設計され、その後本格的な航空母艦へと改装された経緯があります。艦名は中国の伝説上の神鳥「鳳凰」に由来し、航空戦力の象徴とされました。竣工は日本の造船技術と海軍航空作戦能力の飛躍的発展を示す出来事であり、後の航空母艦建造に大きな影響を与えました。以降、鳳翔は訓練艦として航空隊の育成に活用され、海軍航空戦力整備の基礎となりました。
1922年 横須賀海軍工廠 日本海軍 航空母艦 鳳翔
1923年

難波大助が裕仁親王(のちの昭和天皇)を狙撃した虎ノ門事件が発生。

1923年12月27日、虎ノ門で裕仁親王を狙った難波大助の銃撃事件が発生。
大正末期の政治的緊張が高まる中、難波大助が東京・虎ノ門で裕仁親王(後の昭和天皇)へ向けて発砲しました。幸い皇太子は無傷でしたが、事件は国内外に大きな衝撃を与えました。難波は反君主制的思想を持ち、狙撃の動機として政治的声明を示していました。逮捕後、厳重な捜査が行われ、翌年には裁判で死刑が確定しました。事件は治安維持法の適用強化や皇室警備体制の見直しを促す契機となりました。
1923年 難波大助 虎ノ門事件