紀元前317年

ピリッポス3世

マケドニア王

マケドニア王
アレクサンドロス大王の異母弟で、名目上のマケドニア王に即位した人物。精神的障害により摂政らに王権を委ねられた。
ピリッポス3世(紀元前359年頃-紀元前317年)は、フィリッポス2世の庶子でありアレクサンドロス大王の異母弟として知られる。大王の死後、正式にマケドニア王の地位を継承したが、知的障害があったと伝えられる。実権はアンティパトロスやポリペルコン、最終的にはカッサンドロスら摂政に握られた。希代の権力闘争に翻弄され、紀元前317年にカッサンドロスの命で処刑された。名目上の王として後世の史料にも度々言及される存在である。
紀元前317年 ピリッポス3世 マケドニア王 紀元前359年
820年

レオーン5世

東ローマ皇帝

東ローマ皇帝
東ローマ帝国の皇帝として軍制を改革し、再度の聖像破壊運動を推進した。820年のクリスマスに暗殺された悲劇の君主。
レオーン5世(在位813-820)はアルメニア系出身の将軍出身皇帝で、812年にミカエル1世を廃して即位した。即位後は帝国軍を再編成し、教会における聖像崇拝を禁じる聖像破壊派を復活させた。818年には戦力の強化を図り、アラブ勢力との戦いにも備えたが、宮廷内の対立を招いた。820年12月25日、反対派のクーデターにより暗殺され、その死は帝国に大きな衝撃を与えた。
820年 レオーン5世 東ローマ皇帝
貞元2年11月8日

藤原兼通

(925 - 977)

公卿

公卿
平安時代中期の公卿で、藤原北家の主要な一員として宮廷で権勢を振るった人物。
藤原兼通(925-977)は藤原北家に属する公卿で、参議・権大納言を経て右大臣に任じられた。天皇の信任を得て内裏の儀式や政務を主導し、摂関家の勢力を支えた。同時期に宮廷内で高い影響力を誇り、家門の権威をさらに高めた。若くして没したため、その死は朝廷に大きな衝撃を与えた。
977年 貞元 11月8日 藤原兼通 公卿 925年
天正14年11月15日

吉川元春

(1530 - 1586)

戦国武将、毛利元就の次男

戦国武将 毛利元就の次男
戦国時代の毛利氏の名将で、毛利元就の次男として知られる武将。
吉川元春(1530-1586)は毛利元就の次男として生まれ、厳島の戦いをはじめ多くの合戦で活躍した。卓越した戦術眼と統率力で毛利家の勢力拡大に貢献し、中国地方の統一に大きな役割を果たした。特に陶晴賢との対決では軍功を挙げ、毛利水軍の指揮にもあたった。晩年は内政面でも家臣団のまとめ役として手腕を発揮し、1586年に没した。
1586年 天正 11月15日 吉川元春 戦国武将 毛利元就 1530年
慶長19年11月25日

近衛信尹

(1565 - 1614)

公卿

公卿
安土桃山時代から江戸時代初期の公卿で、書道や和歌にも秀でた文化人。
近衛信尹(1565-1614)は近衛家に生まれた公卿で、和歌や書道の分野で名声を博した。宮廷において豊臣秀吉・徳川家康らと交流し、文化交流を推進した。『和漢朗詠集』の注釈や漢詩の創作など、学問・芸術面に多くの業績を残した。関ヶ原の戦い後も要職を任され、朝廷文化の復興に尽力した。晩年は書道の奥義を弟子に伝えつつ、1614年に世を去った。
1614年 慶長 11月25日 近衛信尹 1565年
1635年

サミュエル・ド・シャンプラン

地理学者、探検家、ケベック・シティー創設者

地理学者 探検家 ケベック・シティー創設者
ケベック・シティーを創設し、北米東部を探検したフランスの地理学者・探検家。
サミュエル・ド・シャンプラン(1567頃-1635)はフランス出身の地理学者で探検家。1608年に現在のカナダ・ケベックにケベック・シティーを建設し、北米植民地の基礎を築いた。セントローレンス川を航行し、原住民との交易ルートを開拓したほか、詳細な地図作製に努めた。報告書はヨーロッパにおける植民政策に大きな影響を与え、『カナダの父』と称される。
1635年 サミュエル・ド・シャンプラン 地理学者 探検家 ケベック・シティー 1567年 1570年
1820年

ジョゼフ・フーシェ

(1759 - 1820)

政治家

政治家
フランス革命からナポレオン時代にかけて政界で暗躍した権謀術数に長けた政治家。
ジョゼフ・フーシェ(1759-1820)はフランス革命期に台頭した政治家で、ナポレオンの警察大臣として治安維持に尽力した。革命派から帝政へと政権が移り変わる中で巧みに立ち回り、秘密警察を駆使して反対派を弾圧。帝政崩壊後は亡命生活を送り、1820年に死去した。情報網を駆使したその手腕は『政治の黒幕』と呼ばれるほど評価された。
1820年 ジョゼフ・フーシェ 政治家 1759年
1834年

ダーヴィト・フリートレンダー

(1750 - 1834)

教育家、作家

教育家 作家
1834年 ダーヴィト・フリートレンダー 1750年
1845年

ヴィルヘルム・フリードリヒ・エルンスト・バッハ

(1759 - 1845)

作曲家

作曲家
ヨハン・ゼバスティアン・バッハの孫にあたる作曲家として、ベルリン宮廷で活躍した。
ヴィルヘルム・フリードリヒ・エルンスト・バッハ(1759-1845)はヨハン・セバスティアン・バッハの孫にあたる音楽家。ベルリンで宮廷音楽監督を務め、交響曲や室内楽、宗教曲など多彩な作品を作曲した。古典派の影響を受けながらも独自の作風を確立し、教会音楽やオペラにも携わった。退職後は後進の指導に力を注ぎ、その功績は19世紀ドイツ音楽に大きく貢献した。
1845年 ヴィルヘルム・フリードリヒ・エルンスト・バッハ 作曲家 1759年
1914年

ベルンハルト・シュターフェンハーゲン

(1862 - 1914)

音楽家

音楽家
リスト直系の弟子として知られるドイツのピアニスト・作曲家。
ベルンハルト・シュターフェンハーゲン(1862-1914)はフランツ・リストに師事し、卓越したピアニストとして名を馳せた。欧州各地で演奏活動を行い、リスト作品の普及に尽力するとともに自身の作品も発表した。ワイマール音楽学校の教授として後進の育成に携わり、その教育者としての評価も高い。指揮者としても活動し、オーケストラの演奏水準向上に貢献した。
1914年 ベルンハルト・シュターフェンハーゲン 音楽家 1862年
1921年

ハンス・フーバー

(1852 - 1921)

作曲家

作曲家
スイスの作曲家。ロマン派音楽の伝統を受け継ぎ、交響曲や協奏曲、歌曲など多彩な作品を残した。
1852年3月22日、スイス・チューリヒに生まれる。チューリヒ音楽院で学んだ後、ヨーロッパ各地で演奏家としても活躍した。ロマン派の影響を受けつつ、自身の独自性を打ち出した管弦楽作品や室内楽作品を多数作曲。代表作には交響曲第4番『ウンディーネ』やピアノ協奏曲第3番がある。1918年からチューリヒ音楽大学の教授として後進の指導にあたった。1921年12月25日に逝去。享年69。
1921年 ハンス・フーバー 1852年
1922年

鈴木馬左也

(1861 - 1922)

実業家

実業家
1922年 鈴木馬左也 実業家 1861年