1905年
京浜電気鉄道(現・京浜急行電鉄)の品川(八ツ山橋) 神奈川間全通。
京浜急行電鉄の前身である京浜電気鉄道が品川と神奈川を結ぶ区間を全通させた。
1905年12月24日、京浜電気鉄道(現・京浜急行電鉄)が品川(八ツ山橋)-神奈川間の営業を開始した。これにより東京と神奈川を結ぶ初の本格的な電気鉄道ネットワークが完成し、通勤・通学の利便性が大きく向上した。京浜地域のベッドタウン化を後押しし、沿線開発が加速した。後に路線は延伸・複線化され、現在の京急線の礎となった。都市間短距離輸送の先駆けとして高く評価される。
1905年
京浜急行電鉄
神奈川
1951年
ラジオ京都(現・KBS京都)開局。
1951年12月24日、京都府を放送対象とする民間ラジオ局「ラジオ京都」が開局し、地域密着の情報や文化番組を開始しました。
戦後のマスメディア拡充政策の一環として、京都初の民間ラジオ局が誕生しました。
「ラジオ京都」は地元のニュース、伝統工芸や観光情報、音楽番組など多彩な内容を放送し、地域コミュニティの結束を強めました。
番組制作には京都独自の文化資源が活かされ、伝統芸能のラジオ放送も早期から実現しました。
その後「KBS京都」と改称し、テレビ放送への参入やデジタル化対応を経て、現在も関西圏で安定した支持を得ています。
ラジオ京都(現・KBS京都)
1952年
ラジオ新潟(現・新潟放送)開局。
1952年12月24日、越後地方初の民間ラジオ局「ラジオ新潟」が開局し、地域ニュースや娯楽番組を届け始めました。
新潟県域で初となるラジオ放送局として、地元の農業情報や気象ニュース、民謡番組などを中心に放送を開始。
地域密着型の報道姿勢で信頼を獲得し、災害時には緊急放送の役割を果たしました。
後に「新潟放送」としてテレビ事業にも進出し、県民の生活に深く根付くメディアとして発展を続けています。
1952年
ラジオ新潟(現・新潟放送)
1953年
RSB ラジオ山陰(現・山陰放送)開局。
1953年12月24日、鳥取・島根両県を対象とする「RSBラジオ山陰」が開局し、山陰地方の情報拠点となりました。
山陰地方における初の民間放送局として、地域ニュースや観光案内、地元の伝統芸能番組などを提供。
地方局ならではの丁寧な取材と住民参加型番組で、地域文化の保存・発信に貢献しました。
その後テレビ事業にも進出し、「山陰放送」として今日まで広範なメディア事業を展開しています。
1953年
RSB ラジオ山陰(現・山陰放送)
1957年
NHK超短波FM放送東京実験局が開局し、日本初のFM放送を開始。
1957年12月24日、日本初のFM放送局「NHK超短波FM放送東京実験局」が開局し、高音質放送の実験を開始しました。
NHKは従来の中波放送に加えて超短波帯を利用したFM放送を東京で実験的にスタートしました。
FM放送はノイズが少なく高音質という特長を持ち、音楽番組や語学放送の音質向上が期待されました。
実験局で得られた技術的知見は、その後全国へのFMネットワーク展開に活かされました。
1960年代以降、本格的なFM放送が各地で普及し、日本のラジオ文化に新たな局面をもたらしました。
1957年
NHK超短波FM放送
1958年
ラジオ関東(現・アール・エフ・ラジオ日本)開局。
1958年12月24日、首都圏を放送対象とする民間局「ラジオ関東」が開局し、後のアール・エフ・ラジオ日本となりました。
関東地方で新たに誕生した民間ラジオ局は、音楽やスポーツ中継、地域ニュースを豊富に揃えました。
放送開始当初から最新の洋楽を紹介し、若年層を中心に人気を博しました。
後にコールサインや社名を変更し「アール・エフ・ラジオ日本」としてテレビ放送事業へも進出、メディアネットワークを拡大しました。
1958年
ラジオ関東(現・アール・エフ・ラジオ日本)
1962年
ラジオ岐阜(現・岐阜放送、ぎふチャン)開局。
1962年12月24日、岐阜県域の民間ラジオ局「ラジオ岐阜」が開局し、地域情報の発信を本格化しました。
東海地方のローカル局として、地元ニュース、交通情報、音楽番組など多彩な放送を開始。
山間部や県境地域への情報提供に重点を置き、災害時には重要なライフラインとなりました。
後にテレビ事業も開設し、「ぎふチャン」の愛称で親しまれる総合メディアへ成長を遂げています。
1962年
ラジオ岐阜(現・岐阜放送、ぎふチャン)
1965年
大阪府都市開発(現・泉北高速鉄道)設立。
泉北高速鉄道の前身、大阪府都市開発株式会社が設立されました。
1965年12月24日、大阪府都市開発株式会社が設立されました。
同社は泉北ニュータウンの開発に伴い、高速鉄道による交通ネットワーク整備を目指しました。
翌年には泉北高速鉄道として営業を開始し、新興住宅地と大阪市中心部を結ぶ重要な路線となりました。
地域の交通利便性向上に寄与し、今日では多くの利用者に支えられています。
泉北高速鉄道は現在でも地域の足として親しまれ続けています。
1965年
泉北高速鉄道
1969年
東京タクシー近代化センター(現在の東京タクシーセンター)設立。
東京タクシーセンターの前身、東京タクシー近代化センターが設立されました。
1969年12月24日、東京タクシー近代化センターが設立されました。
タクシー事業の近代化とサービス向上を目的に、車両整備基準や運行管理ガイドラインを策定。
ドライバー教育や安全対策にも注力し、都市交通の信頼性向上を図りました。
センターの取り組みは現在の東京タクシーセンターへと引き継がれ、安定した運行を支えています。
都市の公共交通網におけるタクシーの重要性を再認識させる設立でした。
東京タクシーセンター
1975年
国鉄最後の蒸気機関車牽引による定期貨物列車が夕張線(現・石勝線)で運転(本線上での最後の定期SL牽引列車)。
国鉄最後のSL牽引定期貨物列車が夕張線で運転されました。
1975年12月24日、国鉄の夕張線(現・石勝線)で最後の定期蒸気機関車牽引貨物列車が運転されました。
これにより日本の本線上での蒸気機関車による定期運行は事実上終了しました。
SL愛好者や鉄道ファンによる見送りが各地で行われ、惜別の声が上がりました。
ディーゼル機関車への転換で運行効率は向上しましたが、蒸気機関車の時代を象徴する出来事でした。
その後も復活運転などでSLは親しまれ続けています。
1975年
国鉄
蒸気機関車
貨物列車
石勝線
1991年
東名高速道路下り線(大井松田IC 足柄SA手前)の改築工事完了。日本の高速道路で初の同一方面2ルート制での供用開始。
1991年、東名高速道路下り線の大井松田ICから足柄SA手前までの改築工事が完了し、同一方面2ルート制が日本で初めて供用開始された。
大井松田ICから足柄SA手前までの区間は片側3車線化が困難だったことから改築が行われた。
新設された2ルート制は渋滞緩和と迂回路の確保を目的としていた。
同一路線内で同一方面に別ルートを設ける方式は日本初の試みだった。
利用者は状況に応じて速達ルートと一般ルートを選択できるようになった。
その結果、通過交通の流動性が向上し、沿線地域の物流にも好影響をもたらした。
1991年
東名高速道路
大井松田IC
足柄SA
2006年
大阪市営地下鉄今里筋線 今里 井高野間が開業。
2006年、大阪市営地下鉄今里筋線の今里~井高野間が開業し、新たな都市内交通ネットワークが整備された。
今里筋線は大阪市東部を南北に結ぶ路線として建設された。
今里~井高野間の延伸により4駅(今里、緑橋、蒲生四丁目、井高野)が新設された。
沿線地域の通勤・通学の利便性向上と混雑緩和が図られた。
他路線との乗り換え接続も改善され、都市交通網の結節点として機能した。
開業後は日々多くの利用者を集め、地域活性化への貢献が期待された。
2006年
大阪市営地下鉄今里筋線
今里
井高野