嘉永7年11月4日

安政東海地震発生。

安政東海地震が発生し、東海道沿岸で大規模な被害と津波が発生しました。
1854年12月23日(嘉永7年11月4日)、マグニチュード8以上と推定される安政東海地震が静岡県沖を震源として発生しました。甚大な津波が駿河湾沿岸を襲い、多数の家屋倒壊や流失が生じました。死者・行方不明者は数千人に及び、地域社会に深刻な被害をもたらしました。幕府は被災地支援と復旧に乗り出し、地震観測や防災技術の研究が本格化する契機となりました。この地震は安政東海・南海地震の一部とされ、二つの大地震の連動性が後世の地震学研究で注目されるきっかけとなりました。
1854年 11月4日 安政東海地震
1912年

北海道の夕張炭鉱でガス爆発事故が発生、死者216人。同炭鉱では同年4月29日にも大勢の死者が出る事故が起きたばかりであった。

北海道夕張炭鉱でガス爆発事故が発生し、216人が犠牲となりました。
1912年12月23日、北海道夕張炭鉱の坑内でメタンガスが引火し大規模な爆発事故が発生しました。事故により作業員216人が死亡し、同年4月29日の事故に続く惨事となりました。炭鉱は過酷な労働環境と安全対策の不備が指摘され、鉱山管理体制の見直しが求められる契機となりました。地元社会には深い悲しみが広がり、労働災害防止の制度化へ向けた議論が本格化しました。この事故は日本の産業近代化期における労働安全の重要性を浮き彫りにしました。
1912年 北海道 夕張炭鉱 ガス爆発 4月29日