1493年

ハルトマン・シェーデルのニュルンベルク年代記が発刊。

ハルトマン・シェーデル編集の『ニュルンベルク年代記』が刊行され、木版挿絵入りの世界史が世に問われました。
『ニュルンベルク年代記』はドイツの印刷商アントン・コバーガーの工房からラテン語版として刊行され、編集を手がけたハルトマン・シェーデルが歴史的出来事を編年体でまとめました。多数の木版画(1809点)で図解を添え、当時の印刷技術と芸術性の高さを示す代表的な書物とされています。出版後はヨーロッパ各地で版を重ね、印刷文化の発展に大きく寄与しました。当時の学識者やコレクターの間で高い評価を受け、現存する初版本は美術史や印刷史の貴重資料として世界各国で保存されています。また、その豪華な挿絵はルネサンス期の出版芸術を象徴するものとして研究対象となっています。
1493年 ハルトマン・シェーデル ニュルンベルク年代記
1588年

ギーズ公アンリ1世が暗殺される。

フランス宗教戦争の最中、カトリック同盟の指導者ギーズ公アンリ1世が王の命により暗殺されました。
1588年12月23日、仏国王アンリ3世はギーズ公アンリ1世を政治的脅威とみなし、ブロワ城での面会において宮廷衛兵に暗殺を命じました。ギーズ公は射殺され、カトリック同盟の激しい反発を招いてフランス宗教戦争は新たな局面を迎えました。王権強化を狙ったアンリ3世の決断は、国内の宗教的対立を一層深刻化させました。暗殺後、アンリ3世は同盟勢力に包囲され、王政への信頼は大きく揺らぎました。この事件は王位継承と宗教対立の歴史において重要な転機とされています。
1588年 ギーズ公アンリ1世 暗殺 英語版
1672年

ジョヴァンニ・カッシーニが土星の衛星レアを発見。

イタリアの天文学者ジョヴァンニ・カッシーニが土星の衛星レアを発見しました。
1672年12月23日、パリ天文台のカッシーニは自作の望遠鏡を用いて土星の観測を行い、新たにレアと名付けられた衛星を確認しました。このレアは土星の第2衛星であり、後にタイタンとイアペトゥスの間に位置することが明らかになりました。発見は望遠鏡性能の飛躍と観測手法の精緻化を示し、惑星科学の発展に大きく貢献しました。カッシーニはその後も土星環の分裂(カッシーニの間隙)を発見するなど、天文学において多大な功績を残しました。レアの発見は当時の天文学界に新たな視点をもたらし、観測競争をさらに加速させました。
1672年 レア
1783年

アメリカ合衆国ジョージ・ワシントンが大陸軍の最高司令官を辞任。

ジョージ・ワシントンが大陸軍の最高司令官職を辞し、文民統制の原則を示しました。
1783年12月23日、ワシントンはアメリカ独立戦争終結後に開かれた大陸会議に出席し、大陸軍司令官の職を正式に辞任しました。彼は軍の支配を文民当局に託すことを宣言し、軍事力の暴走防止と共和制の安定を図りました。退役後はバージニア州マウントバーノンの自邸に戻り、平時の生活に復帰しました。この辞任は世界中の軍人指導者に模範とされ、近代市民政府の礎を築く歴史的瞬間と評価されています。ワシントンの行動はアメリカ建国の理想を体現し、後の大統領権限抑制の慣行を形成しました。
1783年 ジョージ・ワシントン 大陸軍
1806年

ウィーン(オーストリア帝国)でベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲が初演。

ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲がウィーンで初演され、名曲としての地位を確立しました。
1806年12月23日、ウィーンのアン・デア・ヴィーン劇場でフランツ・クレーメンツの独奏により初演。曲はベートーヴェン唯一のヴァイオリン協奏曲で、その美しい旋律と壮大な構成が聴衆を魅了しました。当初は評価が分かれたものの、後にヴァイオリン曲の代表作として広く定着。楽章はアルシェストロ、ラルゴ、ロンドの形式を取り、交響曲的な奥行きを持つ構成が特徴です。現在でも世界中の演奏会で頻繁に取り上げられる人気曲となっています。
1806年 ウィーン オーストリア帝国 ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲
1823年

米国ニューヨーク州の新聞『センティネル』に匿名の作者による『クリスマスのまえのばん』の詩が掲載される。

米国新聞に匿名で詩『クリスマスのまえのばん』が掲載され、サンタクロース像を一新しました。
1823年12月23日、ニューヨーク州トロイの新聞『センティネル』に匿名の作者による詩が掲載されました。後に『クリスマスのまえのばん(A Visit from St. Nicholas)』として知られるようになり、サンタクロースの姿やソリを引くトナカイなどのイメージを定着させました。詩は軽快なリズムと親しみやすい表現で子どもと大人の両方に受け入れられ、クリスマス文化に大きな影響を与えました。著者はクレメント・ムーア説が有力ですが論争も残ります。以後、多くの挿絵や翻訳版が出版され、アメリカだけでなく世界中に広まりました。
1823年 ニューヨーク州 クリスマスのまえのばん
嘉永7年11月4日

安政東海地震発生。

安政東海地震が発生し、東海道沿岸で大規模な被害と津波が発生しました。
1854年12月23日(嘉永7年11月4日)、マグニチュード8以上と推定される安政東海地震が静岡県沖を震源として発生しました。甚大な津波が駿河湾沿岸を襲い、多数の家屋倒壊や流失が生じました。死者・行方不明者は数千人に及び、地域社会に深刻な被害をもたらしました。幕府は被災地支援と復旧に乗り出し、地震観測や防災技術の研究が本格化する契機となりました。この地震は安政東海・南海地震の一部とされ、二つの大地震の連動性が後世の地震学研究で注目されるきっかけとなりました。
1854年 11月4日 安政東海地震
1893年

エンゲルベルト・フンパーディンクのオペラ『ヘンゼルとグレーテル』が初演。

フンパーディンク作曲のオペラ『ヘンゼルとグレーテル』が初演され、童話音楽劇の名作となりました。
1893年12月23日、ドイツのヴァイマル宮廷劇場でエンゲルベルト・フンパーディンクのオペラ『ヘンゼルとグレーテル』が初演されました。グリム童話を原作とし、豊かなオーケストレーションと子供合唱を織り交ぜた演出が好評を得ました。作曲者自身の妹が台本を執筆し、制作秘話も話題となりました。以後世界各地で上演される定番作品となり、親子で楽しめる内容と美しい旋律が高く評価されています。楽曲の中には有名な『夢の二重唱』など、多くの名アリアが含まれます。
1893年 エンゲルベルト・フンパーディンク ヘンゼルとグレーテル
1912年

北海道の夕張炭鉱でガス爆発事故が発生、死者216人。同炭鉱では同年4月29日にも大勢の死者が出る事故が起きたばかりであった。

北海道夕張炭鉱でガス爆発事故が発生し、216人が犠牲となりました。
1912年12月23日、北海道夕張炭鉱の坑内でメタンガスが引火し大規模な爆発事故が発生しました。事故により作業員216人が死亡し、同年4月29日の事故に続く惨事となりました。炭鉱は過酷な労働環境と安全対策の不備が指摘され、鉱山管理体制の見直しが求められる契機となりました。地元社会には深い悲しみが広がり、労働災害防止の制度化へ向けた議論が本格化しました。この事故は日本の産業近代化期における労働安全の重要性を浮き彫りにしました。
1912年 北海道 夕張炭鉱 ガス爆発 4月29日
1913年

加藤高明らが立憲同志会(憲政会の前身)を結党。

加藤高明らが立憲同志会を結党し、政党政治の新たな動きが始まりました。
1913年12月23日、加藤高明を中心に立憲同志会が結党され、大正期における議会政治の活性化が図られました。立憲同志会は中道的立場で官僚勢力と対峙し、政治改革や民生問題の解決を目指しました。翌年には衆議院選挙で一定の支持を獲得し、勢力を拡大。1916年には他党と合併して憲政会を結成し、さらなる政治的影響力を高めました。これは日本における政党連合の先駆けとも評されています。
1913年 加藤高明 立憲同志会 憲政会
1916年

第一次世界大戦: マグドハバの戦い。

第一次世界大戦中のシナイ半島で、英軍がオスマン帝国軍を攻撃したマグドハバの戦いが行われた。
1916年、第一次世界大戦中のシナイ半島でマグドハバの戦いが勃発した。 英国遠征軍は砂漠の過酷な環境下でオスマン帝国軍を奇襲。 機動力を生かした包囲攻撃により防衛拠点を制圧。 この勝利によりスエズ運河方面への圧力が増大し、戦略的要衝の確保が進んだ。 この戦闘はシナイ半島攻略作戦の重要な転機となった。
1916年 第一次世界大戦 マグドハバの戦い
1933年

日本共産党スパイ査問事件。日本共産党の宮本顕治らが中央委員の小畑達夫・大泉兼蔵を特高警察のスパイとして査問。数日のうちに小畑が死亡。

1933年、日本共産党内で特高警察のスパイ疑惑を巡る査問が行われ、小畑達夫が死亡した事件。
1933年12月、日本共産党の宮本顕治を中心に中央委員の小畑達夫と大泉兼蔵が特高警察のスパイではないかと査問。 内部抗争が激化し、数日にわたる過酷な尋問の末、小畑が死亡。 党組織の混乱と外部からの弾圧が交錯した象徴的事件。 この事件は共産党内の結束を揺るがし、後の党運営に深い影響を与えた。 政府側の弾圧と党内部の疑心暗鬼が生んだ悲劇として知られる。
1933年 日本共産党スパイ査問事件 日本共産党 宮本顕治 小畑達夫 大泉兼蔵 特高警察 査問