69年

「四皇帝の年」における三番目のローマ皇帝アウルス・ウィテッリウスがウェスパシアヌス軍に捕らえられ殺害される。

69年の「四皇帝の年」に、三番目の皇帝ウィテッリウスがウェスパシアヌス軍に捕らえられ、処刑されました。
四皇帝の年はネロ没後の政情不安期であり、複数の皇帝が交代で即位しました。 ウィテッリウスはオトの死後に皇帝に就いたものの、ウェスパシアヌスの反乱軍との対立を避けられませんでした。 決戦後、ローマに入城したウェスパシアヌス軍に囚われ、暴行を受けた末に処刑されました。 この事件によりフラウィウス朝が開かれ、帝国の権力構造は大きく変化しました。 ローマ帝政期における軍事クーデターの代表例として知られます。
69年 四皇帝の年 アウルス・ウィテッリウス ウェスパシアヌス
1938年

近衛文麿首相が第三次近衛声明(近衛三原則)を発表。

1938年、近衛文麿首相が近衛三原則を示す第三次近衛声明を発表しました。
1938年12月22日、近衛文麿内閣は第三次近衛声明(近衛三原則)を発表しました。本声明では国家総動員体制の強化、外交交渉の要請、内政改革の実施を柱とし、時局への政府の方針を示しました。軍事拡大の状況下で国内結束を図り、中国侵略政策を正当化する意図が強く表れていました。声明は国内外で賛否を呼び、日中戦争の長期化を後押ししたとも評されています。その後の日本の外交・軍事政策に大きな影響を与えた重要な政治文書です。
近衛文麿 第三次近衛声明(近衛三原則)
1944年

ベトナム解放軍部隊(ベトナム人民軍の前身)結成。

1944年、ベトナム独立運動の一環としてベトナム解放軍部隊が結成されました。
1944年12月22日、ベトナム独立運動を指導するホー・チ・ミン率いる勢力が、ベトナム解放軍部隊を結成しました。この部隊は後にベトナム人民軍となり、フランス植民地支配に対する武装闘争の中核を担います。山岳地帯を拠点としたゲリラ戦術を展開し、国内外の支持を獲得しました。第二次世界大戦後、彼らは第一次インドシナ戦争を戦い抜き、1954年のディエンビエンフーの勝利へとつなげました。ベトナム解放軍の結成は、東南アジアにおける冷戦構造にも大きな影響を与えました。
1944年 ベトナム人民軍
1997年

メキシコのチアパス州でアクテアル虐殺事件が起きる。

1997年12月22日、メキシコのチアパス州アクテアル村で先住民に対する集団虐殺が発生しました。武装集団により平和的な村人が襲撃され、多数の犠牲者を出しました。国際社会に衝撃を与えた事件です。
メキシコ南東部のチアパス州では、先住マヤ系住民の権利運動が続いていましたが、1997年12月22日、親政府の武装集団がアクテアル村を襲撃しました。平和的な祈祷会に参加していた住民や子供たちを含む約45人が死亡し、多くが負傷しました。事件後、被害者遺族や人権団体は真相究明を求め、国連も調査を開始しました。この虐殺はメキシコ政府と武装勢力の深い対立を象徴する出来事となり、国内外で強い批判を浴びました。犠牲者追悼のための記念碑が建立され、和解と正義を求める運動が現在も続いています。
1997年 アクテアル虐殺事件
2016年

シリア内戦の中のアレッポの戦いが事実上終結。

2016年12月22日、シリア内戦におけるアレッポの戦いが事実上終結し、政府軍が市街地を掌握しました。
アレッポはシリア北部最大の都市で、政府軍と反政府勢力の激しい戦闘が約5年にわたり続いていました。2016年末、政府軍は包囲を完了し、反政府勢力は退避ルートを経て撤退しました。長期の戦闘により市街地は大きく破壊され、多数の民間人が犠牲となりました。国連は人道支援を強化し、緊急避難民の保護を試みましたが、国際社会は停戦合意の履行を求める声を上げました。アレッポの陥落はシリア内戦の転機とみなされています。
シリア内戦 アレッポの戦い