1216年

ローマ教皇ホノリウス3世がドミニコ修道会を承認。

1216年、教皇ホノリウス3世がドミニコ修道会の設立を正式に承認しました。
スペインの司祭ドミニコ・デ・グスマンが創設したドミニコ修道会は、学問と説教を重視しました。 1216年にホノリウス3世の承認を得て、カトリック教会内で新たな修道会として認められました。 彼らは異端の防止や教育活動に尽力し、中世ヨーロッパの知的文化に大きな影響を与えました。 後の神学や哲学の発展にも寄与し、修道会は長く教会教育の中心的存在となりました。
1216年 ホノリウス3世 ドミニコ修道会
1808年

ベートーヴェンの交響曲第5番・第6番がウィーンで初演。

1808年、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」と第6番「田園」がウィーンで同日に初演されました。
1808年12月22日、ウィーンの劇場で行われた演奏会で両作品が同時に初演されました。 5番「運命」は劇的な動機による構成、6番「田園」は自然への賛歌として知られています。 会場は寒さと長時間の演奏で過酷な環境でしたが、聴衆は革新的な音楽に魅了されました。 このコンサートはベートーヴェンの創造力を象徴し、後世の交響曲作曲家に多大な影響を与えました。
1808年 ベートーヴェン 交響曲第5番 第6番 ウィーン 初演
1849年

フョードル・ドストエフスキーが死刑執行直前に特赦が与えられ、シベリアへの流刑に減刑になる。

1849年、ドストエフスキーは死刑執行直前に恩赦を受け、シベリア流刑へと減刑されました。
反政府活動で逮捕されたドストエフスキーは死刑判決を受けました。 1849年12月22日、処刑台に赴く直前で恩赦が下り、刑はシベリア流刑に変更されました。 厳しい塩坑労働と孤立は彼の世界観と文学に深い影響を与えました。 帰国後の著作には人間の苦悩と贖罪を扱う作品が多く、世界文学に不朽の名作を残しました。
1849年 フョードル・ドストエフスキー
1894年

ドビュッシーの『牧神の午後への前奏曲』が初演。

1894年、ドビュッシーの『牧神の午後への前奏曲』が初演され、印象主義音楽の新境地を開きました。
詩人マラルメの同名詩に触発された本作品は、1894年12月22日に初演されました。 冒頭のフルート独奏による印象的なモチーフが特徴で、色彩的なオーケストレーションが展開します。 従来の調性や形式にとらわれない自由な構成は西洋音楽に革新をもたらしました。 本作は印象主義音楽を象徴する名曲として、後世の作曲家や聴衆に大きな影響を与えました。 現在も世界中で高く評価され続けています。
1894年 ドビュッシー 牧神の午後への前奏曲
2009年

俳優の森繁久彌に国民栄誉賞授与(没後追贈)。

2009年12月22日、俳優・森繁久彌に没後追贈として国民栄誉賞が授与されました。
森繁久彌は戦後日本の映画・舞台界を代表する俳優で、ユーモアと人間味あふれる演技で多くの作品に出演しました。温かみのある語り口と独特の存在感で国民に愛され、生涯で200本以上の映画に出演しています。2009年に逝去後、その功績を讃えて国民栄誉賞が追贈され、日本の芸術文化に与えた影響の大きさが再評価されました。授与式には遺族が出席し、関係者やファンからの追悼が行われました。
2009年 俳優 森繁久彌 国民栄誉賞