69年

ローマ内戦: ウェスパシアヌスが元老院より皇帝に承認される。

西暦69年、「四皇帝の年」の最終段階で、ウェスパシアヌスが元老院の承認を得て皇帝に就任しました。
前年の混乱を経てウェスパシアヌスはローマ最大の包囲戦を勝利で終え、元老院から皇帝に選出されました。彼の治世は軍事と財政改革を中心とし、皇帝権の強化とインフラ整備が進められました。ウェスパシアヌス帝は民衆への配慮を示しつつ、帝国の再建を図りました。フラウィウス朝の創設者として、後継者ティトゥスやドミティアヌスへの円滑な政権移行を実現しました。この改革はローマの安定化と地域経済の復興に寄与しました。
69年 ローマ内戦 ウェスパシアヌス
文治元年11月28日

文治の勅許。朝廷が源頼朝に対し諸国への守護・地頭の設置・任免を許可。

文治元年11月28日、朝廷が源頼朝に諸国の守護・地頭職の設置と任免権を認め、鎌倉幕府の基盤が確立しました。
1185年、源頼朝は武家政権としての正当性を朝廷から正式に承認されました。文治の勅許により、諸国の守護・地頭の設置と任免権を掌握し、政治的実権を強化しました。この勅許は中央集権的な朝廷政治から地方分権的な幕府体制への転換点とされます。頼朝は幕府機構の整備を進め、御家人制度や評議機関の構築に着手しました。これにより、武士階級による日本初の実質的な統治機構が形成されました。
1185年 文治 11月28日 文治の勅許 源頼朝 守護 地頭
1620年

ピルグリム・ファーザーズが、現在プリマス・ロックとして知られる岩に上陸。

1620年、ピルグリム・ファーザーズの一行がプリマス・ロックに上陸し、後のアメリカ合衆国建国に繋がる移民社会の礎を築きました。
1620年12月21日(旧暦)にイングランドを出発したメイフラワー号の乗員ら、通称ピルグリム・ファーザーズはマサチューセッツ湾岸に到着しました。過酷な航海を経た彼らは食糧や資源の確保に努め、プリマス・ロックと呼ばれる岩に上陸しました。宗教的自由を求めて新天地を目指した彼らの行動は、後のピルグリム・コミュニティの基盤となりました。この上陸はアメリカにおける初期植民地の形成と、感謝祭(サンクスギビング)の起源とも深く結びついています。移民たちは先住民との交流を通じて食料調達法を学び、辛くも共同体を維持しました。
1620年 ピルグリム・ファーザーズ プリマス・ロック
1844年

ロッチデール先駆者協同組合設立。

1844年、ロッチデールで先駆的な協同組合モデルを掲げるロッチデール先駆者協同組合が設立されました。
イギリス北部のロッチデールで24名の手工業者や労働者が集まり、消費者協同組合として設立しました。彼らは透明な会計、平等な議決権、剰余金の配当など、後に「ロッチデール原則」と呼ばれる協同組合の基本原則を打ち立てました。共同購入による物価抑制と公正な取引を目指し、地域社会の福祉向上に貢献しました。この成功は世界中の協同組合運動に影響を与え、協同組合連合の形成や国際的ネットワークの礎となりました。産業革命期の労働環境改善や相互扶助のモデルとして今なお高い評価を受けています。
1844年 ロッチデール先駆者協同組合
1872年

イギリスの帆船「チャレンジャー号」が世界探検のためポーツマスを出港。

1872年、帆船チャレンジャー号がポーツマスを出港し、世界一周海洋観測航海を開始しました。
1872年12月21日、イギリス海軍の帆船チャレンジャー号は観測隊を乗せてポーツマス港を出航しました。チャレンジャー遠征は約4年をかけて世界の海洋深度測定や海洋生物調査を行う初の本格的な海洋科学探検です。隊長チャールズ・ワイヴィル・トムソンらは、海洋底サンプルや水温・塩分データを収集し、後に『チャレンジャー報告書』として体系的にまとめました。これにより海洋学は独立した学問として確立され、生物地理学や海底地形学の発展に大きな影響を与えました。帰還後、集められた膨大な標本とデータは世界中の博物館や研究機関で研究に活用されました。
1872年 イギリス 帆船 チャレンジャー号 世界探検 ポーツマス
1891年

ジェームズ・ネイスミスが考案したバスケットボールの試合が初めて行われる。

1891年、ジェームズ・ネイスミスが考案したバスケットボールの初公式試合が行われました。
1891年12月21日、マサチューセッツ州スプリングフィールドのYMCA体育館において、ジェームズ・ネイスミス牧師が考案した新競技バスケットボールの第1回公式試合が実施されました。ルールは当初13項目で構成され、ゴールはバスケット(当時はフレッシュピーチのかご)が使用されました。室内競技として冬季の運動不足解消を目的に開発され、身体接触を抑える工夫が見られました。試合は学生チーム対抗で行われ、短期間で人気を博し、翌年にはアメリカ全土に広まりました。その後バスケットボールは世界的なスポーツへと発展し、オリンピック競技にも採用されました。
1891年 ジェームズ・ネイスミス バスケットボール
1906年

阪神電気鉄道の梅田駅が開業。

1906年、阪神電気鉄道の梅田駅が開業し、大阪の都市間鉄道網が充実しました。
阪神電気鉄道は1906年12月21日に梅田駅を開業し、大阪と神戸を結ぶ神戸本線が運行を開始しました。梅田駅は大阪市中心部に位置し、利便性の高いターミナル駅として地域の発展に寄与しました。開業当初はホーム数や設備も限られていましたが、乗降客数の増加に伴い施設が拡張されました。阪神電車は通勤・通学需要を取り込み、大阪湾岸地域の発展に大きな役割を果たしました。現在でも阪神梅田駅周辺は商業施設やオフィスビルが集積する一大繁華街となっています。
1906年 阪神電気鉄道
1912年

日本で桂太郎が第15代内閣総理大臣に就任し、第3次桂内閣が発足。

1912年、日本で桂太郎が第3次桂内閣を率い、第15代内閣総理大臣に就任しました。
1912年12月21日、桂太郎が第15代内閣総理大臣に就任し、第3次桂内閣を発足させました。桂太郎は長州藩出身の軍人・政治家で、これが3度目の首相就任となります。内閣は立憲政友会との連携を模索し、議会政治の安定化を図りました。当時は明治から大正への改元直前であり、政党政治と皇室の関係調整が重要課題でした。桂内閣は財政改革や外交交渉に取り組み、日露戦争後の国内再建を進めようとしました。
1912年 桂太郎 内閣総理大臣 第3次桂内閣
1913年

クロスワードパズルが『ニューヨークワールド』誌に掲載され、クロスワードパズルが広く知られるきっかけとなる。

1913年、『ニューヨークワールド』誌で世界初のクロスワードパズルが掲載され、爆発的な人気を呼びました。
1913年12月21日、アーサー・ウィンによって考案された最初のクロスワードパズルが『ニューヨークワールド』紙に掲載されました。菱形のパズル形式と独自の手がかりによって読者の関心を集め、たちまち大流行しました。翌年には他紙にも広がり、アメリカ全土で熱狂的に遊ばれるようになりました。クロスワードは新聞の定番コンテンツとなり、多くの言語や文化圏に伝播しました。現在もクロスワードは知的娯楽の代表格として親しまれています。
1913年 クロスワードパズル
1917年

大之浦桐野炭鉱(現:福岡県宮若市)にて爆発事故。死者・行方不明者361人。

1917年、福岡県宮若市の大之浦桐野炭鉱で爆発事故が発生し、361人が死亡または行方不明となりました。
1917年12月21日、大之浦桐野炭鉱(現福岡県宮若市)で坑内の炭塵爆発またはガス爆発が発生し、大規模な事故となりました。事故発生時には多数の坑夫が作業中で、消火や救助活動は困難を極めました。公式記録によると死者・行方不明者は361人に上り、当時日本最大級の炭鉱事故となりました。事故後、炭鉱の安全管理体制や換気設備の改善が求められ、鉱山事故防止法制の整備にもつながりました。地域社会は深い悲しみに包まれ、犠牲者追悼の記念碑が建立されました。
1917年 福岡県 宮若市
1917年

明治乳業設立。

乳製品の製造・販売を行う明治乳業が創業。
創業時は牛乳を中心とした製品を手がけ、小規模ながらも地域に根ざした乳業メーカーとしてスタート。 戦後の食生活の変化に合わせてチーズやヨーグルトなどの商品を拡充。 1950年代には学校給食への納入を皮切りに、需要を拡大。 技術開発や品質管理に注力し、国内有数の乳製品メーカーへ成長。 健康志向の高まりと共に機能性食品の研究も進め、現在に至る。
1917年 明治乳業
1937年

世界初のフルカラー長編アニメーション映画『白雪姫』が公開。

世界初のフルカラー長編アニメ映画が誕生。
ウォルト・ディズニーが手がけたカラー長編アニメの第1作。 セルアニメーション技術とテクニカラーを用い、美麗な映像を実現。 全米公開が1937年12月21日で、大きな話題を呼んだ。 音楽や歌唱も評価され、名作として今も親しまれている。 興行的にも成功し、アニメーション映画の可能性を大きく広げた。
1937年 アニメーション映画 白雪姫