1942年

トルコ北中部でM6.9、1500人が亡くなった。

1942年12月20日、トルコ北中部でマグニチュード6.9の地震が発生し、約1500人が死亡しました。
この地震はトルコ北中部を震源とする大規模な地震で、建物倒壊や土砂崩れが各地で発生しました。通信や交通インフラが甚大な被害を受け、救援活動が困難を極めました。死者は約1500人にのぼり、多くの住民が家を失いました。震災後、被災地では復興支援が行われ、耐震建築技術の向上や防災計画の見直しが進められました。トルコは地震多発国であり、この地震は防災意識の高まりに影響を与えました。
1942年 トルコ M
1950年

岡山県立聾学校寄宿舎火災。生徒16人死亡。

1950年12月20日、岡山県立聾学校の寄宿舎で火災が発生し、16人の生徒が犠牲になりました。
1950年12月20日未明、岡山県立聾学校の寄宿舎で出火しました。 木造建築であったため炎は瞬く間に広がり、多くの生徒が避難できませんでした。 消火活動は困難を極め、16名の生徒が死亡し、重軽傷者も多数発生しました。 事故は学校施設の防火対策の不備を浮き彫りにし、建築基準や避難訓練の見直しを促しました。 その後、全国の学校施設で防火設備の強化が進められるきっかけとなりました。
1950年 岡山県立聾学校寄宿舎火災
1952年

乗客、乗組員115名を乗せ、ワシントンからサンアントニオに向かっていたアメリカ軍のC 124輸送機が墜落。

1952年12月20日、アメリカ軍の大型輸送機C-124が乗員乗客115名を乗せて墜落しました。
C-124グローブマスターIIは1950年代に活躍したアメリカ軍大型輸送機です。 12月20日、ワシントン発サンアントニオ行きの便が飛行中に何らかのトラブルで墜落しました。 乗員乗客合わせて115名が搭乗しており、全員が死亡したと伝えられています。 事故原因は不明または悪天候説などが挙げられ、当時広く報じられました。 この悲劇はアメリカ空軍の航空事故対策や機体設計の見直しを促す契機となりました。
サンアントニオ C-124輸送機
1962年

沖縄県嘉手納基地付近でアメリカ軍の空中給油機KB 50が墜落。乗員7人、住民5人が死亡。

沖縄・嘉手納基地近くで米軍の空中給油機が墜落し、乗員と住民が犠牲になった事故。
1962年12月20日、米軍の空中給油機KB-50が沖縄県嘉手納基地付近で墜落しました。 機体には乗員7名が搭乗しており、墜落により全員が死亡しました。 また、墜落の衝撃で地上の住民5名も巻き込まれ、犠牲となりました。 墜落の原因は公式に発表されていませんが、当時の沖縄は米軍基地を巡る緊張が高まっていました。 地域住民に大きな衝撃を与え、米軍機事故の危険性が改めて浮き彫りになりました。
沖縄県 嘉手納基地 空中給油機 KB-50
1987年

フィリピンのタブラス海峡で貨客船ドニャ・パス号が小型タンカービクトル号と接触し沈没。公称で1575人、実際には4000人以上が死亡。

フィリピンで貨客船ドニャ・パス号が衝突後に沈没し、数千人が犠牲になった海難事故。
1987年12月20日、フィリピン・タブラス海峡で大型貨客船ドニャ・パス号が小型タンカー「ヴィクトル号」と接触し沈没しました。 公式発表では約1575名が死亡とされていますが、実際の犠牲者数は4000人を超えるとも言われています。 事故当時、乗員乗客数の把握が困難であり、過密な船内に避難誘導が追いつきませんでした。 船体の損傷が激しく、救命ボートの数も不足していたことが致命的でした。 この海難事故はフィリピン史上最悪級の事故とされ、海上安全対策の見直しが求められました。
1987年 フィリピン ドニャ・パス号
1995年

アメリカン航空965便墜落事故。

1995年12月20日、アメリカン航空965便がコロンビアの山岳地帯に墜落し、多数の犠牲者を出しました。
1995年12月20日、アメリカン航空965便(ボーイング757型機)がコロンビア・カリ空港への着陸進入中に霧深い山岳地帯に衝突しました。 航空機は夜間の悪天候下で進入手順を誤り、丘陵地に衝突し大規模な墜落事故となりました。 事故調査では乗員の航法ミスやコミュニケーション不足、地形認識の誤りが主要因と結論付けられました。 この事故を契機に、計器着陸方式の改良やクルーリソースマネジメント(CRM)教育の強化が世界的に進められました。 高難度空港へのアプローチ手順見直しなど、安全運航への取り組みが大きく前進しました。
1995年 アメリカン航空965便墜落事故
2012年

東京都調布市の市立小学校で、児童が給食を食べ、アレルギーのショックで亡くなる事故が発生。

2012年12月20日、東京都調布市の市立小学校で給食を食べた児童がアレルギーショックを起こし、残念ながら死亡する事故が発生しました。
この事故では、アレルギー原因となる食品が給食に含まれていたにもかかわらず、成分表の確認や事前の聞き取りが不十分だったとされています。児童は食後に急激なアナフィラキシーショックを起こし、救急搬送されましたが命を取りとめることができませんでした。調布市教育委員会は事故後、給食アレルギー管理マニュアルの見直しを実施し、成分表示の強化やアレルギー情報の共有体制を整備しました。文部科学省も全国の学校に対し、アレルギー対応研修の実施を通達し、安全対策の徹底を図りました。以降、学校現場では保護者との情報共有や教職員の研修回数が増加し、再発防止策が本格的に進められました。また、報道機関によって問題が大きく取り上げられたことで、全国的に学校給食アレルギーへの関心が高まりました。
2012年 東京都 調布市
2016年

2016年サン・パブリート市場花火爆発事故。

2016年12月20日、メキシコシティのサン・パブリート市場で花火を保管していた建物が爆発し、大規模な火災と破片飛散による死傷者多数を出す事故が発生しました。
サン・パブリート市場は花火製造や販売で知られる歴史ある商業地区でした。爆発は倉庫内に大量に蓄えられた花火が何らかの引火で連鎖爆発を起こしたもので、周辺の店舗や住宅も巻き込まれました。初動対応では消防や警察が数百人規模で出動し、延焼防止にあたりましたが、地元住民にも甚大な被害が及びました。最終的に死者数十名・負傷者数百名に上り、被災者の避難と医療支援が急務となりました。事故後、メキシコ政府は花火の製造・保管に関する規制強化と安全基準の見直しを実施し、違法取引の取り締まりを強化しました。
2016年サン・パブリート市場花火爆発事故