1891年
足尾鉱毒事件: 改進党議員の田中正造が、足尾鉱毒問題に関する初の質問書を衆議院に提出。
足尾銅山からの鉱毒が周辺農村を荒廃させ、田中正造が国会で初めて問題提起した歴史的事件です。
足尾銅山は19世紀後半に日本最大級の銅山として稼働したが、その副産物である鉱毒が渡良瀬川を通じて周辺農村を深刻に汚染した。
1880年代から住民らの抗議運動が高まり、改進党の田中正造は1891年12月18日に衆議院で初の質問書を提出し、政府と銅山経営者の責任を追及した。
この質問は日本における環境問題提起の先駆けとなり、その後の公害対策や環境保護運動に大きな影響を与えた。
田中は現地調査を重ねて被害実態を国会に訴え続け、社会問題としての公害認識を広めた。
1891年
足尾鉱毒事件
改進党
田中正造