714年

ピピン2世

フランク王国宮宰

フランク王国宮宰
7世紀のフランク王国で宮宰として実権を握り、メロヴィング朝下で政治を主導した。 ピピン家の基盤を築いた。
ピピン2世はフランク王国の宮宰として実権を掌握し、メロヴィング朝の王権を補佐しながら政治を主導した。 635年ごろに生まれ、王族を支えつつ領土の統一と行政組織の整備に貢献。 教会との協力によりキリスト教を国家基盤として強化し、国内の安定を図った。 フランク王国の発展に寄与し、その支配体制は後のカロリング朝へと受け継がれた。 息子のカール・マルテルがさらに権力を拡大し、ヨーロッパ史に重要な転換期をもたらした。 714年に没し、その統治手法は中世ヨーロッパにおける君主制の礎となった。
714年 ピピン2世 フランク王国 635年 640年
1598年

李舜臣

(1545 - 1598)

李氏朝鮮の将軍

李氏朝鮮の将軍
16世紀の李氏朝鮮を代表する海軍将軍。 文禄・慶長の役で不敗を誇り、亀甲船を用いた戦術で名を馳せた。
1545年に李氏朝鮮で生まれ、若くして武科に優秀な成績で合格し海軍に入隊。 文禄の役(1592年)の際、数々の海戦で勝利を収め、日本軍の補給線を断った。 特に鳴梁海戦での大敗北は日本艦隊に壊滅的打撃を与えた。 自身が監修した亀甲船(コブクソン)は強固な装甲と火力を特徴とする。 慶長の役(1597年)でも守勢を強いられながら巧みな戦術で防衛線を維持。 1598年の露梁海戦で戦死し、国を守った英雄として今なお慕われる。 その不屈の精神と戦略は韓国はじめ世界中で高く評価されている。
1598年 李舜臣 李氏朝鮮 1545年
1687年

ウィリアム・ペティ

(1623 - 1687)

経済学者

経済学者
17世紀イングランドの経済学者・政治算術学の開拓者。 近代統計学の先駆者とされる。
1623年にイングランドで生まれ、オックスフォード大学で学び政治算術学の理論を確立した。 アイルランドの土地調査に従事し、税制改革の提言を行った。 著書『政治算術論』などでデータに基づく経済分析の重要性を説いた。 王立協会の創設メンバーとして学術界の発展にも貢献。 土地税や統計手法の導入は後の経済学・統計学に大きな影響を与えた。 1687年に没するまで、多岐にわたる研究を通じて近代社会科学の基盤を築いた。
1687年 ウィリアム・ペティ 経済学者 1623年
1774年

フランソワ・ケネー

(1694 - 1774)

経済学者

経済学者
18世紀フランスの経済学者。 重農主義(フィジオクラシー)の指導者。
1694年にフランスで生まれ、医師から転じて経済理論を研究した。 ヴェルサイユ宮廷の公爵医師として政治家とも交流した。 「経済表(タブロー・エコノミーク)」を提唱し、農業こそ国家富の源泉と位置づけた。 フィジオクラート(重農主義者)を組織し、自由貿易と税制改革を主張。 その理論は後の古典派経済学に影響を与え、アダム・スミスとも思想を共有した。 1774年に没し、自由主義経済思想の先駆者として評価される。
1774年 フランソワ・ケネー 1694年
1783年

ヨハン・アドルフ・ハッセ

(1699 - 1783)

作曲家

作曲家
18世紀ドイツの作曲家・オペラ作曲家。 イタリアを中心に活躍し、華麗なアリアで知られる。
1699年にドイツで生まれ、ハンブルクなどで音楽教育を受けた。 イタリアに渡りナポリ楽派に学び、多くのオペラを作曲。 特にレチタティーボとアリアの対比を巧みに用いた作品が評価された。 宮廷音楽家としてドレスデンに招聘され、王室の音楽監督を務めた。 妻は著名なソプラノ歌手ファウスティナ・ボルドーニで、二人は音楽界の寵児となった。 1783年に没し、その作品は古典主義オペラの重要な一翼を担った。
1783年 ヨハン・アドルフ・ハッセ 1699年
1859年

ヴィルヘルム・グリム

(1786 - 1859)

グリム兄弟の弟、童話編集者、言語学者

グリム兄弟の弟 童話編集者 言語学者
19世紀ドイツの言語学者・童話収集家。 兄ヤーコプと共に『グリム童話』を編集。
1786年にドイツで生まれ、法律と民俗学を学んだ。 兄ヤーコプ・グリムと協力し、ヨーロッパの民話を蒐集・編集した。 初版『童話集』は1825年に刊行され、その後も増補を重ねた。 言語学者として比較言語学の確立にも寄与し、『ドイツ語辞典』の編纂を構想。 ゲッティンゲン大学教授として後進を指導し、民俗学の発展に貢献した。 1859年に没し、民話研究と語学の分野で不朽の業績を残した。
1859年 ヴィルヘルム・グリム グリム兄弟 1786年
1902年

カール・ヴィルヘルム・フォン・クッパー

(1829 - 1902)

解剖学者

解剖学者
19世紀ドイツの解剖学者。 肝臓のクッパー細胞を発見し、組織学に貢献。
1829年にドイツで生まれ、医学と自然科学を学んだ。 エストニアのドルパット(現タルトゥ)大学で教鞭を執り、解剖学を講義。 肝臓に常在するマクロファージを発見し「クッパー細胞」と命名された。 顕微鏡技術を駆使し、結合組織や血管系の構造解析を進めた。 後にキール大学に移り、解剖学研究所の設立に貢献。 1902年に没し、組織学・細胞生物学の基礎を築いた業績が評価される。
1902年 カール・ヴィルヘルム・フォン・クッパー 解剖学者 1829年
1903年

落合直文

(1861 - 1903)

歌人、国文学者

歌人 国文学者
明治~大正期の歌人・国文学者で、古典和歌の研究と普及に尽力した。
1861年に生まれ、東京帝国大学で国文学を専攻した。 和歌の研究を基盤に新古今和歌集や万葉集の注釈書を著した。 大学教授として後進の教育にあたり、和歌研究の近代化を推進。 自身も歌人として吟行会を主宰し、数多くの和歌を残した。 歌論書『古今集評釈』などで文法と韻律の解説を行い評価を得た。 1903年に没し、日本歌壇に大きな足跡を残した。
1903年 落合直文 歌人 国文学者 1861年
1907年

浅井忠

(1856 - 1907)

画家

画家
明治期の洋画家で、風景画を中心に自然美を追求した。
1856年に東京で生まれ、洋画家として日本美術学校(現東京芸術大学)で学んだ。 フランス留学を経てバルビゾン派の影響を受け、日本に自然主義的風景画を紹介。 日本各地の風景を描いた作品は、色彩と光の表現で高く評価された。 のちに日本美術学校の教授として多くの画家を育成し、洋画界の発展に貢献。 1907年に没し、初期洋画の旗手として日本美術史に名を残した。
1907年 浅井忠 画家 1856年
1911年

トーマス・ブレーク・グラバー

(1838 - 1911)

貿易商

貿易商
幕末~明治期に日本に渡り、貿易と産業発展に貢献したスコットランド商人。
1838年にスコットランドで生まれ、1859年に長崎に来航した。 武器や石炭の輸入を通じて薩摩藩などの近代化を支援した。 造船所や製茶業の創設にも関与し、日本の産業基盤整備に寄与。 三菱財閥の前身ともいえる企業と協力し、海運・銀行事業を発展させた。 明治維新後も貿易商として活躍し、長崎の近代都市化に影響を与えた。 1911年に没し、グラバー園にその功績が今も伝えられている。
1911年 トーマス・ブレーク・グラバー 1838年
1921年

カミーユ・サン=サーンス

(1835 - 1921)

作曲家、オルガニスト

作曲家 オルガニスト
フランスの作曲家・オルガニスト。優雅で技巧的な作品を多数残した。
1835年にフランスで生まれ、幼少期から音楽の才能を顕示した。 パリ国立高等音楽院で学び、オルガン奏者としても活躍。 代表作に「オルガン付き交響曲第3番」や「動物の謝肉祭」があり、広く親しまれる。 室内楽や協奏曲など幅広いジャンルで活躍し、後進の教育にも尽力した。 1921年12月16日にアルジェで死去し、その功績は今日まで高く評価されている。
1921年 カミーユ・サン=サーンス 作曲家 オルガニスト 1835年
1922年

エリエゼル・ベン・イェフダー

(1858 - 1922)

現代ヘブライ語創案者

現代ヘブライ語創案者
ヘブライ語を現代の共通語として復興させた言語学者。
1858年にベラルーシで生まれ、ユダヤ人教育に熱心な家庭で育つ。 1881年にパレスチナに移住し、ヘブライ語を日常語に再興するための活動を開始。 新聞『ハツヴィ』を創刊し、言論や教育を通じて語彙拡充に努めた。 辞書編纂にも取り組み、近代ヘブライ語辞典の基礎を築いた。 家庭内でもヘブライ語のみを使用するなど、実生活での定着を試みた。 1922年12月16日にエルサレムで死去し、ヘブライ語復興運動の先駆者として称えられている。
1922年 エリエゼル・ベン・イェフダー ヘブライ語 1858年