1884年
横浜にあった東海鎮守府が横須賀に移転し、横須賀鎮守府が開庁。横須賀造船所が横須賀鎮守府の管轄となり「海軍造船所条例」(1884年12月15日制定)に基づき、海軍専用の造船所となる。
1884年、東海鎮守府が横須賀に移転し、横須賀鎮守府と横須賀造船所が開庁しました。
明治政府は海軍力強化の一環として東海鎮守府を横須賀へ移転しました。
同日、横須賀造船所は海軍専用の造船所として海軍造船所条例に基づき再編されました。
新設の横須賀鎮守府は日本海軍の中核拠点となり、造船所は戦艦や巡洋艦の建造基地として機能しました。
これにより日本は近代海軍力を整備し、その後の日清戦争・日露戦争において大きな成果を上げました。
横須賀は現在も海上自衛隊の主要基地として重要視されています。
横須賀鎮守府
横須賀造船所
1901年
官営鉄道(後の日本国有鉄道)が東海道本線の急行2往復に食堂車の連結を始める。
1901年12月15日、官営鉄道(後の日本国有鉄道)が東海道本線の急行列車に初めて食堂車を連結しました。
当時、長距離列車の旅客サービス向上を目的に、官営鉄道(後の日本国有鉄道)が東海道本線の急行2往復に食堂車を導入しました。
これにより車内で温かい食事を楽しむことが可能となり、旅の快適性が大きく向上しました。
食堂車は日本の鉄道史における画期的なサービスであり、後の特急列車や寝台列車の発展につながる重要な一歩でした。
列車旅行の価値を高めるとともに、地方の食材や料理を列車内で提供する新たなビジネスモデルも生まれました。
乗客から好評を博し、その後各地の路線でも食堂車の連結が広がっていきました。
1901年
日本国有鉄道
1902年
篠ノ井線が全通。
1902年12月15日、篠ノ井線が全線開通し、長野県内の鉄道ネットワークが整備されました。
中央本線の補完路線として建設が進められていた篠ノ井線が、この日に全区間で営業運転を開始しました。
篠ノ井駅から松本駅を結ぶ約66キロメートルの路線は、信越地方の交通の要所をつなぎます。
路線開通により、地域産品の輸送効率が向上し、観光や経済活動にも弾みがつきました。
冬季の寒冷地を走る山岳路線として、沿線にはトンネルやスイッチバック区間などの技術的特徴も見られます。
現在もJR東日本の主要路線として多くの乗客に利用されています。
1902年
篠ノ井線
1925年
東京乗合自動車の子会社である東京遊覧乗合自動車が、上野を起点とした日本初の定期観光バス「ユーランバス」の走行を開始する。
1925年12月15日、上野駅発着の日本初の定期観光バス「ユーランバス」が運行を開始しました。
東京乗合自動車の子会社・東京遊覧乗合自動車が、日本で初めての定期観光バス事業を立ち上げました。
ユーランバスは上野を起点に浅草や皇居周辺など東京の名所を巡るルートを設定しました。
ガイドによる観光案内と手軽な乗降方式で、都市観光の新たなスタイルを提案しました。
このサービスは大正末期の都市レジャー需要を捉え、多くの観光客に支持されました。
その後、日本各地で観光バスが導入され、地域振興や観光産業の発展に寄与しました。
1925年
東京乗合自動車
東京遊覧乗合自動車
定期観光バス
1948年
岳南鉄道が設立される。
静岡県の岳南地方を結ぶ岳南鉄道が設立され、地域の産業と通勤を支える鉄道路線の準備が始まる。
1948年12月15日、富士市と吉原を結ぶ岳南鉄道が設立された。
同社は主に石油コンビナート向けの貨物輸送を担い、戦後復興期の産業発展に大きく寄与した。
また沿線住民の通勤輸送も行い、地域社会の生活基盤を支えた。
後に第三セクター方式へ移行し、観光列車の運行や軽量気動車の導入など特色あるサービスを展開している。
現在も地元の主要交通手段として親しまれている。
1948年
岳南鉄道
1980年
大阪高速鉄道(大阪モノレール)設立。
大阪高速鉄道株式会社(大阪モノレール)が設立される。
1980年12月15日、大阪高速鉄道株式会社(大阪モノレール)が設立されました。
同社は大阪国際空港と北大阪地域を結ぶモノレールの建設・運営を担う目的で発足。
設立にあたり資本金を調達し、路線計画と施設投資の検討に着手。
沿線の住宅地開発や観光スポットとの連携も構想され、新たな交通手段の実現が期待されました。
1990年の開業に向けて、地域経済・都市計画への影響が注目されました。
1980年
大阪高速鉄道
1999年
都営地下鉄12号線の路線名称を「大江戸線」に決定。
都営地下鉄12号線の正式路線名称が「大江戸線」に決定しました。
環状路線として都心と下町を結ぶ特色的な路線です。
1999年12月15日、東京都交通局は都営地下鉄12号線の路線名称を「大江戸線」と正式に決定しました。
大江戸線は環状路線として、大門駅と都庁前駅を結ぶ運行計画を持ち、都心部の輸送力強化を目的としています。
路線カラーはピンクで、2000年12月12日に一部区間が開業し、その後も段階的に延伸しました。
沿線には東京の歴史的名所や繁華街が点在し、観光客や通勤客に利用されています。
正式名称決定は路線の認知向上と利用促進に大きく寄与しました。
1999年
大江戸線