1900年
マックス・プランクが黒体放射についてのプランクの法則を発表。「量子論の誕生日」と呼ばれる。
1900年、マックス・プランクが黒体放射に関する法則を発表、量子論の幕開け。
1900年12月14日、ドイツの物理学者マックス・プランクが黒体放射の理論を公表した。エネルギーの放出が連続ではなく離散的(量子)であると仮定し、プランク定数を導入した。これまで説明できなかった熱輻射のスペクトルを正確に再現し、古典物理学の限界を示した。プランクの法則は量子論の基礎となり、以後の物理学に革命的な影響を与えた。
1900年
マックス・プランク
黒体放射
プランクの法則
量子論
1910年
徳川好敏陸軍大尉が日本初の飛行実験に成功。
1910年、日本初の飛行実験に徳川好敏陸軍大尉が成功。
1910年12月14日、徳川好敏陸軍大尉が国内初となる飛行機による飛行実験に成功した。フランス製モーリス・ファルマン機を使用し、数分間の飛行を達成した。これを契機に日本における航空技術の研究と普及が本格化し、後の航空界を牽引する人材育成と制度整備が進んだ。好敏はその後多くの飛行記録を樹立し、航空の先駆者として知られる。
1910年
徳川好敏
1911年
ノルウェーのロアール・アムンセン隊が南極点に史上初めて到達。
1911年、ロアール・アムンセン隊が史上初めて南極点に到達。
1911年12月14日(現地時間)、ノルウェーの探検家ロアール・アムンセン率いる探検隊が南極点に到達した。隊は犬ぞりを駆使し、厳しい天候と難路を約99日間で踏破した。ライバルだったイギリスのスコット隊を先んじた先達の偉業として称賛され、極地探検の歴史に新たな章を刻んだ。アムンセンは帰国後、国民的英雄として迎えられ、多くの栄誉を得た。
1911年
ノルウェー
ロアール・アムンセン
南極点
1913年
日本海軍の戦艦「榛名」が進水。
日本海軍の戦艦「榛名」が進水し、のちの太平洋戦争で重要な役割を果たしました。
1907年に起工された「榛名」は、長門型戦艦の2番艦として建造されました。1913年12月14日に横須賀海軍工廠で進水式を実施し、多数の観衆が見守りました。主砲は41センチ砲4基を搭載し、当時世界最大級の火力を誇りました。機関は改良型の重油専焼缶を採用し、速力は最大26ノットを発揮しました。進水後は公試運転を経て就役し、その後大正から昭和期を通じて日本海軍の中核を担いました。太平洋戦争では艦隊決戦や沖縄戦などで活躍し、終戦前に損傷して戦後に解体されました。
1913年
日本海軍
榛名
1958年
ソ連の南極探検隊が南極大陸の到達不能極に史上初めて到達。
ソ連の南極探検隊が史上初めて到達不能極に到達しました。
1958年12月14日、ソ連の南極探検隊は観測基地ヴィスタークに出発し、南極大陸の到達不能極へ挑戦しました。到達不能極とは南極大陸上の地理的中心から最も遠い地点を指し、極寒と氷雪の中での行動は極めて困難とされていました。隊は機械化した車両隊と犬ぞり隊に分かれて進行し、通信や医療のサポート体制を強化しました。複数の氷河を越え、厳しい気象条件を乗り越えた結果、同日に史上初の到達を達成しました。この成功は極地探査技術の進歩を示すとともに、冷戦下での科学的成果として世界の注目を集めました。
1958年
南極大陸
到達不能極
1962年
アメリカの金星探査機「マリナー2号」が金星に最接近し、史上初の惑星フライバイに成功。
アメリカの金星探査機マリナー2号が史上初の惑星フライバイに成功。
1962年12月14日、NASAの無人探査機マリナー2号が金星に最接近し、史上初の惑星フライバイに成功しました。
探査機は金星から約3万5000キロまで接近し、表面温度が高温であることや濃密な二酸化炭素大気を確認しました。
マリナー2号は加速度計、温度計、放射線計など複数の科学機器を搭載し、惑星大気や磁場のデータを送信しました。
これにより金星の過酷な環境が明らかとなり、今後の惑星探査計画に大きな影響を与えました。
本ミッションは人類が初めて地球以外の惑星に接近観測した歴史的な成果とされています。
1962年
マリナー2号
金星
フライバイ
1972年
宇宙飛行士兼科学者(ハリソン・シュミット)が初めて参加したアポロ17号で、月面最後の船外活動が行われる。
アポロ17号で月面最後の船外活動が行われ、科学者のハリソン・シュミットが参加。
1972年12月14日、アポロ17号の月面最後の第3回月面活動(EVA)が行われました。
このミッションには初の地質学者でもある宇宙飛行士ハリソン・シュミットが搭乗し、科学的調査をリードしました。
シュミットは月表面のサンプル採取や地質構造の観察を実施し、貴重な岩石サンプルを地球に持ち帰りました。
同ミッションは月探査計画最後の有人飛行となり、合計で約110キログラムの月岩を地球に持ち帰りました。
アポロ計画の集大成として、科学的成果と探査技術の両面で大きな意義を残しました。
1972年
ハリソン・シュミット
アポロ17号
2011年
地球が太陽の周りを165周する間、海王星が太陽の周りを1周し、発見された1846年9月23日の位置に戻る。
2011年12月14日、海王星が発見から約165地球年で太陽を一周し、発見当初の位置へと戻った天文イベントです。
海王星は1846年9月23日にヨハン・ゴットフリート・ガレらによって発見されました。公転周期は約164.8地球年とされ、2011年12月14日に発見当時の黄道上の位置に到達。観測会や解説記事が各地で発表され、長い天体周期を実感させる希少な現象として注目を集めました。この出来事は太陽系の構造や歴史的発見の意義を再認識させる機会となりました。
2011年
海王星
1846年
9月23日