1908年

北原白秋、木下杢太郎らが青年文芸・美術家の懇談会「パンの会」を結成。

北原白秋らが文学と美術を結びつける懇談会「パンの会」を結成しました。
1908年12月12日、詩人・北原白秋と評論家・木下杢太郎らが『パンの会』を結成しました。 同会は青年文芸家や美術家が集い、詩歌・短歌・批評・絵画など表現の自由な交流を目指しました。 名称の由来はフランス語の『pain(パン)』を通じて文化の糧を分かち合う意図によるとされます。 会合では互いの創作物を批評し合い、新感覚派の萌芽ともなった斬新な試みが展開されました。 この運動は大正期の新興芸術運動に影響を与え、日本近代文学史において特筆されます。
1908年 北原白秋 木下杢太郎 パンの会
1913年

1911年にルーヴル美術館から盗まれて以来行方不明になっていた『モナ・リザ』がフィレンツェで発見される。

1911年に盗難された名画『モナ・リザ』がフィレンツェで発見された出来事。
1911年8月にルーヴル美術館から盗まれて以来、行方不明となっていたレオナルド・ダ・ヴィンチ作『モナ・リザ』。 1913年12月12日、イタリア・フィレンツェで美術商ヴィンチェンツォ・ペルージャによって押収され、帰還が確定。 その後、作品は無事パリに返還され、再び世界中の人々に賞賛されることとなった。 この発見は芸術史上の大事件とされ、モナ・リザの人気と価値をさらに高めた。
1913年 1911年 ルーヴル美術館 モナ・リザ フィレンツェ
1945年

GHQが、『忠臣蔵』などの仇討ち・心中物の芝居の上演禁止を指令。

1945年12月12日、GHQが日本の仇討ちや心中物の伝統的な芝居上演を禁止する指令を発しました。
連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は戦後日本の民主化・非軍国主義化政策の一環として、『忠臣蔵』など仇討ちや心中を描く時代劇作品の上演を禁止しました。これにより歌舞伎や人形浄瑠璃を含む伝統演劇は大きな打撃を受け、脚本の改変や上演停止を余儀なくされました。文化統制として批判もあった一方で、戦争を煽動する劇の排除という意図がありました。禁止措置は占領期の数年間続き、戦後日本の演劇界に深い影響を与えました。
1945年 GHQ 忠臣蔵 仇討ち 心中 芝居
1988年

岩波書店が絵本『ちびくろサンボ』を絶版とする。

1988年、岩波書店が児童書『ちびくろ・さんぼ』を絶版化した。
『ちびくろ・さんぼ』は1899年に英国で発表された児童書で、日本でも長年出版されてきました。 しかし1980年代に入り、人種的ステレオタイプを助長するとの批判が高まりました。 岩波書店は検討を重ねた結果、1988年12月12日に同書の絶版を発表しました。 この決定は出版界や教育現場で賛否を呼び、以後の児童書出版における表現論議に影響を与えました。 1988年の絶版措置は、表現と社会的配慮のバランスを問う転機となりました。
1988年 岩波書店 絵本 ちびくろサンボ 絶版