建興4年11月12日

西晋が滅亡する。

316年、西晋最後の皇帝が捕らえられ王朝が崩壊し、五胡十六国時代が始まりました。
316年、西晋最後の皇帝が捕らえられ王朝が崩壊し、五胡十六国時代が始まりました。 当時、内乱や外敵の侵攻で弱体化していた西晋は建興4年(316年)11月に洛陽を奪われ、皇帝は処刑されました。 約一世紀にわたって続いた王朝は滅亡し、華北は異民族による諸王朝の興亡が相次ぐ混乱期へと突入しました。 この出来事は中国史における重要な政治的転換点とされ、後の統治体制にも影響を及ぼしました。 現在も洛陽の遺跡からは当時の動乱を物語る遺物が発見され続けています。
316年 建興 11月12日 西晋
1098年

第1回十字軍: マアッラ攻囲戦が終結。

第1回十字軍の遠征中、マアッラ攻囲戦が終結し、キリスト教勢力が都市を掌握しました。
1098年、第1回十字軍兵士はシリア北部のマアッラ(現マアッタ・アル=ヌアマン)を包囲しました。 厳冬と補給難の中で都市を攻略し、多数の住民が虐殺されたと伝えられています。 一部史料には飢餓を耐えかねた兵士たちの食人行為も記録され、十字軍の過酷な実態を象徴しました。 この勝利は十字軍南進の重要拠点確保につながり、その後の遠征行動にも影響を与えました。 同時に過激な戦術への批判も生まれ、中世ヨーロッパの宗教戦争史に暗い一頁を刻みました。
1098年 第1回十字軍 マアッラ攻囲戦
1408年

ハンガリー王ジギスムントがドラゴン騎士団を設立。

ハンガリー王ジギスムントが王国の騎士団としてドラゴン騎士団を創設しました。
1408年、ハンガリー王ジギスムント(後の神聖ローマ皇帝)は国境防衛と王権強化を目的にドラゴン騎士団を設立しました。 この騎士団は騎士精神と忠誠を重んじ、王家護衛や軍事行動を担った精鋭部隊とされます。 紋章に龍をあしらった甲冑と旗は権威の象徴となり、後世の騎士文化にも影響を与えました。 内部には貴族や有力者が参加し、宮廷内で政治的役割も果たしました。 騎士団はジギスムントの軍事改革の一環として、中央集権化を支えた重要な存在でした。
1408年 ジギスムント ドラゴン騎士団
1781年

アメリカ独立戦争: ウェサン島の海戦。

アメリカ独立戦争中、ウェサン島沖で小規模な海戦が行われました。
1781年12月12日、アメリカ独立戦争の周辺海域で英仏両海軍がウェサン島を巡って衝突しました。 この海戦ではイギリス艦隊が防衛を試みる中、フランス艦隊が支援を行ったアメリカ側と対峙しました。 交戦は数時間におよび、双方に船体損傷や損失が生じました。 戦略的には大規模な転換点とはならなかったものの、海上支配権を巡る攻防の象徴的な戦闘です。 結果的に英仏の海上戦力は均衡を保ち、戦争の長期化を予感させました。
1781年 アメリカ独立戦争 ウェサン島の海戦
1787年

ペンシルベニア州がアメリカ合衆国憲法を承認し、アメリカ合衆国2番目の州となる。

ペンシルベニア州が合衆国憲法を批准し、連邦組織の第2州となりました。
1787年12月12日、ペンシルベニア州はアメリカ合衆国憲法を正式に承認しました。 これにより州は13植民地中2番目に連邦に加盟し、合衆国政治の構造確立に寄与しました。 フィラデルフィアでの議会で州代表は憲法支持派が多数を占め、議論の末に批准が決定されました。 同州の経済・人口規模は大きく、合衆国の初期政策形成に強い影響力を及ぼしました。 承認に伴い、州政府は連邦法と州法の調整に着手し、合衆国統合の先導役を担いました。
1787年 ペンシルベニア州 アメリカ合衆国憲法 アメリカ合衆国
1847年

ドイツの電機機器メーカーシーメンスがベルリンで設立される。

シーメンス社がベルリンで創業され、電信技術の発展を支えました。
1847年12月12日、ヴェルナー・フォン・シーメンスらによりベルリンで「シーメンス通信社」が設立されました。 同社は電気通信機器の製造を手掛け、初期の電信システム普及に貢献しました。 創業者シーメンスは技術者として国際的評価を受け、この企業は急速に欧州各地へ展開しました。 後に社名は「シーメンス」となり、電力や医療機器、交通インフラなど多角化を果たします。 今日ではグローバル企業としてエネルギー・インフラ領域で先端技術を提供し続けています。
1847年 ドイツ シーメンス ベルリン
明治3年閏10月20日

官設鉄道(国鉄の前身)の建設母体が「民部省鉄道掛」から「工部省鉄道掛」へと改組。

官設鉄道の運営組織が民部省から工部省へ改組されました。
1870年12月12日(明治3年閏10月20日)、官設鉄道建設を担う組織が改組されました。 それまで鉄道事業を担当していた民部省鉄道掛が解消され、工部省鉄道掛が新設されました。 この改編は明治政府の近代化政策の一環で、技術導入と組織強化を狙いとしました。 鉄道企画から建設、運営までを専門的に扱う体制が整備され、敷設事業が加速しました。 日本初の鉄道開通に向けた制度的基盤を築く重要なステップと評価されています。
1870年 明治 閏10月20日 官設鉄道 民部省 工部省
1901年

マルコーニがイギリス・カナダ間の大西洋横断無線通信を成功させる。

マルコーニが大西洋横断無線通信に世界で初めて成功しました。
1901年12月12日、グリエルモ・マルコーニはイギリス・コーンウォール州からカナダ・ノバスコシア州への大西洋横断無線通信実験に成功しました。 送信は1,890キロ以上の距離を越え、長波無線電信を利用して文字情報が伝達されました。 この成果は無線通信技術の画期的進歩を示し、航海や通信網の未来を大きく変えました。 マルコーニはこの功績により後年ノーベル賞候補にも挙げられ、無線業界のパイオニアと称されます。 以後、無線は軍事・商業・日常生活に広く普及する基盤技術となりました。
1901年 マルコーニ イギリス カナダ 大西洋 無線通信
1908年

北原白秋、木下杢太郎らが青年文芸・美術家の懇談会「パンの会」を結成。

北原白秋らが文学と美術を結びつける懇談会「パンの会」を結成しました。
1908年12月12日、詩人・北原白秋と評論家・木下杢太郎らが『パンの会』を結成しました。 同会は青年文芸家や美術家が集い、詩歌・短歌・批評・絵画など表現の自由な交流を目指しました。 名称の由来はフランス語の『pain(パン)』を通じて文化の糧を分かち合う意図によるとされます。 会合では互いの創作物を批評し合い、新感覚派の萌芽ともなった斬新な試みが展開されました。 この運動は大正期の新興芸術運動に影響を与え、日本近代文学史において特筆されます。
1908年 北原白秋 木下杢太郎 パンの会
1911年

イギリス支配下のインド帝国がコルカタ(カルカッタ)からニューデリーに遷都。

インド帝国の首都がコルカタからニューデリーに正式に移されました。
1911年12月12日、英国統治下のインド帝国は公式にコルカタからニューデリーへの遷都を実施しました。 これは英王ジョージ5世が出席したデリー王大冠礼に合わせた政治的演出でもありました。 新首都ニューデリーは設計者エドウィン・ルティエンスらによる壮大な都市計画のもと建設が進められました。 行政庁舎やレジデンシーが整備され、将来的にインド統治の中心として機能することが期待されました。 遷都は文化的にも画期的で、英国式とインド様式が融合した建築美が象徴となりました。
1911年 インド帝国 コルカタ ニューデリー 遷都
1913年

1911年にルーヴル美術館から盗まれて以来行方不明になっていた『モナ・リザ』がフィレンツェで発見される。

1911年に盗難された名画『モナ・リザ』がフィレンツェで発見された出来事。
1911年8月にルーヴル美術館から盗まれて以来、行方不明となっていたレオナルド・ダ・ヴィンチ作『モナ・リザ』。 1913年12月12日、イタリア・フィレンツェで美術商ヴィンチェンツォ・ペルージャによって押収され、帰還が確定。 その後、作品は無事パリに返還され、再び世界中の人々に賞賛されることとなった。 この発見は芸術史上の大事件とされ、モナ・リザの人気と価値をさらに高めた。
1913年 1911年 ルーヴル美術館 モナ・リザ フィレンツェ
1915年

中華民国大総統袁世凱が皇帝に即位、元号は洪憲とし、国号は中華帝国に改称。

袁世凱が中華民国大総統から皇帝に即位し、洪憲元号の下に中華帝国を樹立した事件。
1915年12月12日、中華民国初代大総統袁世凱が皇帝に即位を宣言。 元号を「洪憲」、国号を「中華帝国」に改称し、帝政復古を図った。 しかし国内外の反発や軍閥の反乱が相次ぎ、わずか83日で退位に追い込まれた。 この試みは近代中国の政治混乱を象徴する出来事として知られる。
1915年 中華民国大総統 袁世凱 皇帝 元号 洪憲 中華帝国