1913年
京都法政学校が私立立命館大学に改称。
京都法政学校が私立立命館大学に改称し、新たな教育理念を掲げました。
1913年12月11日、京都法政学校は「私立立命館大学」へと名称を変更しました。
創設者の西園寺公望や添田一三らが提唱した「立命」の理念は、自主性と社会貢献を重視する教育方針です。
改称後は学制の整備やキャンパスの拡充が進み、学生数と教育内容が飛躍的に拡大しました。
その後も立命館大学は国際交流や研究活動を強化し、総合大学としての地位を確立しました。
現在では京都市と大阪府に複数のキャンパスを持ち、多彩な学問分野を提供しています。
1913年
京都法政学校
私立立命館大学
1946年
国際連合児童基金(ユニセフ)発足。
国連の児童援助機関としてユニセフ(UNICEF)が発足しました。
第二次世界大戦後の1946年、国際連合総会の決議により国際連合児童基金(UNICEF)が設立されました。戦争によって打撃を受けた世界中の児童支援を目的とし、食料や医療、教育などさまざまな支援活動を行う機関です。初期はヨーロッパ復興支援を中心に活動し、その後中東やアジア、アフリカなど世界各地に支援を拡大しました。1950年代以降は予防接種プログラムに注力し、小児麻痺や麻疹などの撲滅に大きく貢献しました。現在では常駐職員と幅広い寄付者ネットワークを持ち、国際的な児童福祉のリーディング機関として活動を続けています。
1946年
国際連合児童基金
1959年
三井三池鉱山で退職勧告に応じない1278人に指名解雇を通告。三井三池争議が始まる。
三井三池鉱山で大規模な労働争議「三井三池争議」が始まりました。
1959年12月11日、三井三池鉱山の経営側が1278人の労働者に退職勧告に応じない場合は指名解雇する旨を通告しました。これを契機に三井三池労働組合と会社側の対立が激化し、全国的な注目を集める争議に発展しました。争議は約半年にわたり続き、警察や機動隊の介入による衝突も発生しました。高度経済成長期の労働問題を象徴する事件として歴史に刻まれています。最終的に和解に至りましたが、労働組合運動や労使関係の在り方に大きな影響を与えました。
1959年
三井三池鉱山
三井三池争議
1983年
ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世がローマのルター派教会を訪問し、新旧キリスト教の対立が終結。
教皇ヨハネ・パウロ2世が史上初めてルター派教会を公式訪問し、カトリックとプロテスタントの和解を大きく前進させました。
1983年12月11日、教皇ヨハネ・パウロ2世はローマ市内のルター派教会を訪問しました。これはカトリック教会の歴史上初めてプロテスタント教会を公式に訪れた出来事です。訪問は宗教改革以来続いてきた両教派の溝を埋める象徴的な一歩とされました。この行動はエキュメニカル運動を大きく推進し、カトリックとルター派の対話と協力関係の深化につながりました。以降、両教派間の対立緩和と連携が進み、現代におけるキリスト教の相互理解に寄与しました。
1983年
ヨハネ・パウロ2世
ルター派教会
2005年
クロナラ暴動。
オーストラリア・シドニー郊外クロナラで起きた人種間衝突による暴動。
2005年12月11日、シドニーのビーチ町クロナラで白豪主義を掲げる若者らと中東系移民の間で衝突が発生。
ソーシャルメディアやSMSでの扇動が暴徒化を助長し、若者数百名が道路封鎖や店への襲撃などを行いました。
警察は数百人を逮捕し、一連の騒動はオーストラリア社会の多文化共生や排外主義問題を浮き彫りにしました。
事件後、政府は地域交流や教育プログラムを強化し、社会的包摂の必要性が再認識されました。
この暴動は国民の間に人種差別と寛容の在り方についての議論を喚起しました。
2005年
クロナラ暴動
2006年
テヘランでホロコースト否認論者によるホロコースト・グローバルヴィジョン検討国際会議が開催。
テヘランでホロコースト否認者が集い、歴史解釈を巡る国際会議を開催。
2006年12月11日、イラン・テヘランで「ホロコースト・グローバルヴィジョン検討国際会議」が開催されました。
イラン政府の後援を受け、専門家や政治家らが第二次世界大戦中のホロコーストを否定する主張を展開。
国際的な歴史学者や各国政府はこの会議を強く非難し、多くがボイコットしました。
多くのメディアがこの会議を報じ、世界各地で抗議集会が行われました。
この出来事は歴史認識を巡る国際的な対立や、表現の自由と歴史的事実の検証に関する議論を呼び起こしました。
2006年
テヘラン
ホロコースト否認
ホロコースト・グローバルヴィジョン検討国際会議