天正6年11月12日

島津義久、義弘、家久兄弟が大友軍に大勝する。(耳川の戦い)

島津義久・義弘・家久兄弟が耳川の戦いで大友軍に大勝し、九州制覇への足掛かりを築いた。
1578年12月10日、九州の耳川で島津氏と大友氏が衝突しました。 島津義久・義弘・家久の兄弟三人が率いる島津軍は機動力と鉄砲隊を駆使して大友軍を撃破しました。 大友宗麟率いる約2万の大軍を相手に、1万人余りの島津軍が圧倒的勝利を収めました。 この勝利により島津氏は九州南部での勢力を確固たるものとし、後の九州制覇へ大きく前進しました。 戦術面でも軍事構造の転換を示す重要な合戦とされています。
1578年 天正 11月12日 島津義久 義弘 家久 大友軍 耳川の戦い
1941年

第二次世界大戦: マレー沖海戦。日本海軍の陸上攻撃機隊がイギリスの戦艦プリンス・オブ・ウェールズを撃沈。

マレー沖海戦で日本海軍が英戦艦プリンス・オブ・ウェールズを撃沈し、太平洋戦線の緒戦で優位を得た。
1941年12月10日、マレー沖海戦において日本海軍の航空隊がイギリス海軍の戦艦プリンス・オブ・ウェールズを撃沈しました。 これはマレー半島への上陸作戦を支援する空母部隊による攻撃で、短時間で戦艦を無力化しました。 イギリス海軍はレパルスとプリンス・オブ・ウェールズの二隻を喪失し、太平洋・極東での勢力均衡が大きく崩れました。 この勝利により日本軍はマレー侵攻を促進し、シンガポール陥落への道筋を固めました。 航空機を活用した海戦の威力を示した海戦として評価されています。
1941年 第二次世界大戦 マレー沖海戦 日本海軍 プリンス・オブ・ウェールズ
1941年

第二次世界大戦: 日本軍がグアム・タラワ・マキン(現キリバス)を占領。

第二次世界大戦中、日本軍が太平洋の戦略拠点であるグアム、タラワ、マキンを相次いで占領した出来事。
第二次世界大戦が太平洋で激化する中、日本軍は1941年12月10日にグアム、タラワ、マキンを相次いで制圧しました。 これらの島々は連合軍の補給網を断つ戦略的要衝であり、上陸作戦には艦砲射撃と航空支援が伴いました。 特にタラワでは激戦となり、多くの双方の犠牲者を出しました。 占領後、日本軍は防衛線を構築し、連合軍の反攻を遅延させる狙いがありました。 しかし、後のミッドウェー海戦などで形勢が逆転し、これらの拠点は再び連合軍の手に渡ることになります。
日本軍 グアム タラワ キリバス
1949年

国共内戦: 蔣介石率いる中華民国政府が、中国大陸の統治権を喪失(大陸失陥)。

中国大陸の国共内戦で、中華民国政府が国土を失い、台湾へ撤退を余儀なくされた重要な転機。
1949年12月10日、国共内戦で敗北した蒋介石率いる中華民国政府は大陸での統治権を喪失しました。 これにより国民政府は首都を南京から台湾へ移し、台北を臨時首都と定めました。 中国共産党が中華人民共和国の建国準備を加速させ、毛沢東による新国家樹立への道を開きます。 大陸に残る国民党支持者は逃れられず、多くが難民として台湾へ渡りました。 この出来事は現在の中台関係にも大きな影響を与え続けています。
1949年 国共内戦 蔣介石 中華民国 中国大陸