1960年

蒸気機関車に変わる日本初の気動車特急「はつかり」が運転開始。電車の運行が開始される1968年(昭和43年)9月9日まで活躍した。

日本初の気動車特急「はつかり」がデビューし、列車旅の速度と快適性を一段と向上させた出来事。
1960年12月10日、蒸気機関車から気動車へと移行した日本初の気動車特急「はつかり」が運転を開始しました。 ディーゼル機関を搭載し、蒸気機関車に比べて高速かつ定時性が向上。 主に東北本線・常磐線経由で上野―青森間を結び、乗客から好評を博しました。 車両は新潟鐵工所製で、快適な座席や冷暖房設備が導入されました。 はつかりは1968年の電車化まで8年間にわたり、日本の特急列車の先駆けとして活躍しました。
1960年 蒸気機関車 気動車 はつかり 1968年 9月9日
1961年

伊豆急行線伊東駅 伊豆急下田駅間が開業。

伊豆半島を横断する伊豆急行線の伊東駅〜伊豆急下田駅間が開業し、観光交通が飛躍的に向上した日。
1961年12月10日、伊豆急行線の伊東駅から伊豆急下田駅までの区間が正式に開業しました。 沿線には温泉地や海岸リゾートが点在し、観光客の移動利便性が大幅に向上。 開業当初から観光列車が運行され、多くの行楽客で賑わいました。 地域経済には温泉宿泊業や飲食産業への波及効果が期待されました。 以来、伊豆急行線は観光鉄道のモデルケースとして注目され続けています。
1961年 伊豆急行線 伊東駅 伊豆急下田駅
1974年

国鉄八本松駅での貨物取扱終了。

1974年12月10日、国鉄八本松駅の貨物取り扱い業務が終了。地域輸送の歴史的な節目を迎え、物流構造に変化が生じました。
八本松駅は1950年代から中国地方の貨物輸送拠点として機能。 しかし自動車輸送の普及や貨物需要の変動により取り扱い量が減少。 1974年12月10日をもって貨物扱いが廃止され、駅は旅客専用に転換。 地元企業や農林産物の出荷方法が見直され、トラック輸送への移行が進みました。 この決定は国鉄の合理化政策の一環として行われ、全国的な貨物体系見直しに繋がりました。
1974年 国鉄 八本松駅
1991年

都営地下鉄12号線(現・大江戸線)練馬駅 光が丘駅間が開業。

1991年12月10日、都営地下鉄12号線(現・大江戸線)の練馬駅から光が丘駅間が開業し、都心と西部地域のアクセスが向上しました。
都営地下鉄12号線は1986年に着工し、西東京と都心を結ぶ新路線として計画。 1991年12月10日、練馬駅から光が丘駅までの区間が開業し、地下5階構造の駅も登場。 沿線には住宅地や商業施設が広がり、通勤・通学の利便性が飛躍的に向上。 この区間開業により、当路線は環状線的な運行が可能となり、沿線の再開発も促進。 後の大江戸線全線開通へ向けた重要なステップとなりました。
1991年 大江戸線 練馬駅 光が丘駅
1997年

山陽自動車道の神戸JCT 山口JCT間が全線開通し、中国自動車道とのダブルネットワークが完成。

山陽自動車道の神戸JCTから山口JCT間が全線開通し、中国自動車道とのダブルネットワークが完成しました。
1997年12月10日、山陽自動車道の神戸JCTから山口JCT間が開通し、日本の高速道路網がさらに充実しました。 この開通により、中国自動車道と合わせたダブルネットワークが完成し、物流や観光ルートが大幅に効率化。 西日本地域の連携が強化され、経済活動や地域間の交流に貢献しました。 また新たなジャンクションの整備でアクセスが向上し、運転者の利便性が高まりました。 地域の発展を支える重要なインフラ整備として位置づけられています。
1997年 山陽自動車道 神戸JCT 山口JCT 中国自動車道