536年

東ローマ帝国の将軍ベリサリウスが東ゴート王国のローマに入城。

東ローマ帝国の将軍ベリサリウスが、東ゴート王国支配下のローマに入城しました。
東ローマ帝国(ビザンツ帝国)は6世紀のゴート戦争でイタリア半島の制圧を図りました。 将軍ベリサリウスはユスティニアヌス1世の命を受けて遠征を指揮。 536年12月9日、ベリサリウスはかつて東ゴート王国の首都だったローマに入城しました。 この入城はローマ再征服の第一歩となり、西欧世界に大きな影響を与えました。 彼の戦略と政治的手腕は、東ローマ帝国の一時的な勢力回復を象徴しています。
536年 東ローマ帝国 ベリサリウス 東ゴート王国 ローマ
1935年

12.9運動。日本が河北省などに設置する予定の冀察政務委員会に反対して北京の学生が抗日デモ。

北京の学生たちが冀察政務委員会設置に反対し、抗日デモ「12・9運動」を展開しました。
1935年12月9日、中国北京の大学生らが河北省・察哈爾省に設置予定の冀察政務委員会に抗議。 冀察政務委員会は日本の傀儡政権樹立を目的とした組織とされていました。 学生たちは中国全土で対日抵抗を訴え、国民の支持を獲得。 この「12・9運動」は中国学生運動史上重要な位置を占め、国民政府にも影響。 七七事変後の抗日民族統一戦線形成の契機となりました。
1935年 河北省 冀察政務委員会
1941年

第二次世界大戦: 中国国民政府・大韓民国臨時政府・キューバ・グアテマラ・フィリピンが日本・ドイツに宣戦布告。

中国国民政府や複数国が日本・ドイツに対して正式に宣戦布告しました。
1941年12月9日、中国国民政府は日本・ドイツへの宣戦を公式に宣言。 これに続き、大韓民国臨時政府、キューバ、グアテマラ、フィリピンが同様に宣戦布告。 太平洋戦争開戦後、連合国側の結束を象徴する動きとなりました。 中国は既に日中戦争下にありましたが、形式的に枢軸国との全面戦争に突入。 各国の参戦は枢軸国包囲網の強化に寄与しました。
1941年 第二次世界大戦 中国国民政府 大韓民国臨時政府 キューバ グアテマラ フィリピン 日本 ドイツ
1946年

ニュルンベルク継続裁判が開始。

第二次世界大戦後の戦犯裁判、ニュルンベルク継続裁判が米国軍事裁判により開始されました。
1946年12月9日、ナチス・ドイツの戦犯を審理するニュルンベルク継続裁判(アメリカ軍事裁判)が開始されました。 この裁判はニュルンベルク初期裁判(IMT)に続く複数の裁判で構成され、ゲシュタポ幹部や戦争産業関係者などが被告となりました。 裁判は1946年末から1949年にかけて実施され、戦争犯罪や人道に対する罪の法的枠組みを確立しました。 その判決では死刑や懲役など厳しい刑罰が科され、国際刑事法の先駆けとされています。 戦後世界の正義と責任を問う重要なプロセスとして評価されています。
1946年 ニュルンベルク継続裁判
1987年

対ソ連軍領空侵犯機警告射撃事件が起こる。

1987年12月9日、ソ連軍の領空を侵犯した航空機に対し、警告射撃が行われる軍事的緊張が高まりました。
冷戦期にソ連領空を侵犯した航空機に対し、ソ連軍戦闘機が機関砲による警告射撃を実施。 事件の詳細や航空機の国籍は明らかにされず、多くの謎を残した。 ソ連と西側諸国の軍事的緊張を象徴する出来事となった。 領空侵犯時の対応ルールや国際法の適用が改めて問われた。 当時の航空・軍事政策議論に大きな影響を与えた。 冷戦期の危機管理の一例として後に検証された。
1987年 対ソ連軍領空侵犯機警告射撃事件