1872年

1か月前にニューヨークを出航したメアリー・セレスト号が、ポルトガル沖で無人で漂流しているのが発見される。

消息不明の船『メアリー・セレスト号』が無人で漂流しているのを発見された。
1872年12月4日、ヴィデリア号の乗組員が大西洋のポルトガル沖で『メアリー・セレスト号』を発見した。 船内には乗組員の姿はなく、食料や個人所持品は残されていたが乗員は跡形もなく消えていた。 甲板上の食卓には未片付けの食事が残っており、乗員の行方は今もって謎のままである。 この不可解な出来事は海洋ミステリーの代表例として、数々の書籍や映画の題材となった。 調査では自然現象や船内事故説など様々な仮説が提示されているが、決定的な証拠は見つかっていない。
1872年 メアリー・セレスト号
1959年

新潟日赤センター爆破未遂事件。

1959年、新潟の日赤センターを狙った爆破未遂事件が発生した。
1959年12月4日、新潟市にある日本赤十字社の支援施設「新潟日赤センター」で爆破未遂事件が起きました。 犯人はセンターの建物付近に爆発物とみられる装置を設置しましたが、幸い爆発せず被害は最小限にとどまりました。 事件を受けて警察は厳重な警備態勢を敷き、爆発物の入手経路や動機の解明を進めました。 赤十字社関係者や市民に不安が広がり、社会的にも大きな衝撃を与えました。 この事件は国内のテロ対策や施設警備の在り方について議論を呼ぶ契機となりました。
1959年 新潟日赤センター爆破未遂事件
1965年

1965年ニューヨーク空中衝突事故。

1965年、ニューヨーク上空で航空機同士の空中衝突事故が発生した。
1965年12月4日、ニューヨーク市上空で2機の航空機が空中衝突する事故が発生しました。 事故には商業旅客機や民間機が巻き込まれ、乗員乗客に多数の死傷者が出ました。 衝突原因は航空交通管制の混雑や通信の不備とされ、その後の調査で管制システムの再検討が求められました。 この事故は世界的にも大きな衝撃を与え、航空安全対策の強化と管制技術の革新を促す契機となりました。 以降、航空ルートや高度分離、レーダー監視の運用改善が進められました。
1965年 1965年ニューヨーク空中衝突事故
1977年

マレーシア航空システム653便ハイジャック墜落事件が発生。乗員・乗客100人全員が死亡。

1977年12月4日、マレーシア航空システム653便がハイジャックされ墜落し、乗員・乗客100人全員が死亡しました。
653便はケランタン州からシンガポールへ向かう国内線で、離陸直後に犯人とみられる人物によりハイジャックされました。 コックピット内で銃撃が発生し、操縦不能となった飛行機はマレー半島東部のジャングルに墜落しました。 乗員乗客合わせて100名は全員即死し、航空史上最悪級のハイジャック事故となりました。 犯人の目的や背景は不明のまま調査は難航し、真相は未解明です。 この事故を契機にマレーシア航空をはじめ各国で航空機の安全対策とテロ対策が強化されました。
マレーシア航空システム653便ハイジャック墜落事件