1898年

官設鉄道・上田 軽井沢間(後の信越本線、現しなの鉄道)が延伸開業。直江津 軽井沢間が鉄道で結ばれる。

1898年12月1日、官設鉄道の上田–軽井沢間が延伸開業し、直江津と軽井沢が鉄道で結ばれました。
1898年12月1日、官設鉄道(後の信越本線)が上田駅から軽井沢駅までの区間を延伸開業。 これにより北陸地方と関東地域を直結する鉄道路線の一部が整備されました。 冬季の降雪対策としてトンネルやスノーシェッドの建設も実施され、安全運行を支えました。 旅客・貨物輸送の効率化に寄与し、沿線地域の経済発展に大きな影響を与えました。 現在はしなの鉄道が同区間を運行し、観光利用でも人気です。
1898年 上田 軽井沢 信越本線 しなの鉄道 直江津
1898年

淀橋浄水場通水。東京に初の近代水道ができる。

1898年12月1日、淀橋浄水場の通水が開始され、東京に初の近代水道が整備されました。
淀橋浄水場は当時最新のろ過設備と煉瓦造りの浄水池を備えた浄水施設。 1898年12月1日、隅田川から取水した水が浄化され、市街地の家庭や公共施設に供給開始。 安全な飲料水の供給は都市衛生を改善し、疫病予防や人口増加に対応する基盤を築きました。 開設当時の施設は東京都の歴史的建造物に登録され、現在も一部が保存されています。 この事業は日本の水道史における大きな転換点となりました。
1898年 淀橋浄水場
1900年

東海道本線を運行する客車に蒸気暖房が導入。

1900年12月1日、東海道本線の客車に蒸気暖房が導入され、冬季の快適性が向上しました。
1900年12月1日、東海道本線を走る客車に機関車ボイラーから供給される蒸気暖房装置が装備。 蒸気が放熱管を通じて車内に循環し、氷点下の車内温度を効果的に上昇させました。 これにより長距離列車でも乗客は快適に移動できるようになり、利用者の満足度が向上。 蒸気暖房の成功を受け、国内各路線で同様の技術導入が進み、鉄道旅の質を高めました。 後に電気暖房や空調システムへの道を開く技術革新でした。
1900年 東海道本線 蒸気暖房
1911年

阪堺電気軌道が恵美須町〜市ノ町を開業。

1911年12月1日、阪堺電気軌道が恵美須町〜市ノ町間の営業を開始しました。
阪堺電気軌道は大阪市と堺市を結ぶ路面電車ネットワークを整備。 1911年12月1日、恵美須町駅から市ノ町駅までの区間が開業し、市街地に新たな交通手段が登場。 当時の車両は木製車体に電気モーターを搭載し、乗客輸送だけでなく貨物輸送にも利用。 開業は地域の商業発展と都市交通の近代化を促進し、後の路線延伸の基盤となりました。 現在も阪堺線として運行を続け、大阪の歴史的交通遺産として親しまれています。
1911年 阪堺電気軌道
1912年

鹿児島電気軌道が、武之橋~谷山間6.4kmを開業。

1912年12月1日、鹿児島電気軌道が武之橋から谷山間6.4kmの軌道線を開業しました。
大正元年から建設が進められていた鹿児島電気軌道の軌道線が完成し、武之橋~谷山間6.4kmが開業しました。新路線の開通により、地元住民の通勤や物資輸送が大幅に効率化されました。当時は馬車や人力車が主要な交通手段で、電気軌道の導入は都市の近代化を後押ししました。開業当初は1日数便の運行でしたが、利用者増加に伴い徐々に本数が増便されました。この路線は現在の鹿児島市電の歴史的な起点とされています。
1912年 鹿児島電気軌道
1913年

ブエノスアイレス地下鉄が開業。

1913年12月1日、ブエノスアイレス地下鉄(Subte)が開業し、ラテンアメリカ初の地下鉄網が誕生しました。
南米初の地下鉄として計画されたブエノスアイレス地下鉄は、全長約2.5km・5駅の路線で市中心部を結びました。混雑する路上交通の緩和と通勤時間の短縮に大きく貢献しました。電化方式や車両の近代化が導入され、乗り換え利便性も考慮された設計が特徴です。開業後は利用者数が急増し、以降も路線網が順次拡大されていきました。現在では「Subte」として市内交通の大動脈となっています。
1913年 ブエノスアイレス地下鉄
1934年

丹那トンネルが開通。これに伴い東海道本線のルート変更され元のルートが御殿場線として分離。ダイヤ改正も同時に実施。

1934年12月1日、丹那トンネルが開通し、東海道本線のルートが変更、旧線は御殿場線として分離されました。
1934年12月1日、静岡県の丹那トンネルが完成し、熱海~三島間の鉄道ルートが直線化されました。 全長約7.8kmのトンネルは当時東洋一の工事難易度を誇り、多くの技術者と労働者が投入されました。 これにより東海道本線の所要時間が大幅に短縮され、輸送能力の向上が実現しました。 旧ルートは御殿場線として分離され、主に貨物列車やローカル列車の運行に利用されるようになりました。 同日には全国的なダイヤ改正も実施され、新線開業に合わせた旅客列車の時刻変更が行われました。 丹那トンネルは戦後も東海道新幹線建設まで重要な路線として機能し続けました。
丹那トンネル 東海道本線 御殿場線 ダイヤ改正
1934年

国鉄初の流線型蒸気機関車、C53形43号機が運行開始。

1934年12月1日、国鉄初の流線型蒸気機関車C53形43号機が営業運転を開始しました。
1934年12月1日、日本国有鉄道(当時の日本政府鉄道)はC53形43号機を運行開始しました。 C53形は流線型を採用し、高速列車牽引用として設計された蒸気機関車です。 先進的な外観だけでなく、ボイラー性能や空気抵抗低減にも配慮した斬新な機構が特徴です。 最高運転速度は約100km/hとされ、東京~大阪間の急行列車牽引を想定していました。 同形式は計14両が製造され、一部は終戦後も現役で活躍するなど高い評価を受けました。 現在は保存機として博物館に展示され、その美しい流線型デザインが注目を集めています。
国鉄 C53形
1949年

京阪神急行電鉄に統合されていた京阪電気鉄道が分離再独立。

京阪電気鉄道が京阪神急行電鉄から分離して再び独立企業として発足した日。戦後の鉄道事業再編の一環です。
1949年、京阪神急行電鉄に統合されていた京阪電気鉄道が分社化され、再び独立企業として発足しました。 戦時統合によって大手私鉄同士が一体化された背景があり、戦後の企業再編の一環として実施されました。 再独立に伴い、路線や車両運用が分離されることで独自の経営路線を再構築しました。 地元大阪・京都間の鉄道ネットワークにおいて、京阪電気鉄道は沿線サービスや車両改良を積極的に推進しました。 以降、京阪電気鉄道は自社ブランドを確立し、観光輸送や通勤輸送で重要な存在となりました。
京阪神急行電鉄 京阪電気鉄道
1953年

松阪と伊勢を結ぶ日本初の有料道路、参宮有料道路が開通。

日本初の有料道路「参宮有料道路」が松阪と伊勢間で開通した日。自動車交通の一大進展です。
1953年12月1日、三重県松阪市と伊勢市を結ぶ日本初の有料道路「参宮有料道路」が開通しました。 全長約15kmの道路は、通行料金を徴収することで建設費や維持費を賄う方式を導入しました。 伊勢神宮参拝者や観光客の移動時間が大幅に短縮され、地域経済の活性化に寄与しました。 当時の自動車交通の増加に対応した画期的なインフラ整備として注目を集めました。 この事例はその後の日本の有料道路網整備のモデルケースとなり、全国に広がっていきました。
1953年 松阪 伊勢 有料道路 参宮有料道路
1955年

同年10月、佐世保と長崎を結ぶ国道202号に日本初の有料道路橋として西海橋が完成。この日供用が開始された。

日本初の有料道路橋である西海橋が供用開始された日。国道202号の交通網が強化されました。
1955年10月に完成した西海橋が、12月1日に国道202号の一部として正式に供用されました。 佐世保市と長崎市を結ぶ橋梁は、有料道路橋として国内初の事例となります。 長さ約300mの鋼製トラス橋で、海峡を横断することで物流と通勤の利便性が大幅に向上しました。 通行料金を徴収する方式により、建設費と維持管理費を賄う仕組みが導入されました。 この橋の開通は九州西部地域の活性化に寄与し、後の道路インフラ整備の先駆けとなりました。
1955年 佐世保 長崎 国道202号 西海橋
1958年

日本初のステンレス製電車、東急5200系が運行開始。

東急5200系、日本初のステンレス製電車が運行を開始。 軽量化と耐久性向上を実現した革新的な車両。
1958年12月1日、東急電鉄が日本初のステンレス製電車「5200系」を導入。 ステンレス車体により軽量化と耐錆性を両立し、メンテナンスコストの低減に寄与。 この新素材の採用は以降の車両設計に大きな影響を与えた。 5200系は都市部の通勤輸送を支え、快適性と効率性を高めた。 現在でも一部車両が保存され、鉄道ファンから高い評価を受けている。
東急5200系