1937年
大阪市営渡船、桜島発天保山行き「第三桜島丸」(11.5トン)が悪天候と定員超過が重なり沈没。死者・行方不明者57人。
1937年12月1日、大阪市営渡船「第三桜島丸」が悪天候と定員超過で沈没し、57人が死亡または行方不明となりました。
1937年12月1日、大阪市が運航していた渡船「第三桜島丸」(排水量11.5トン)が桜島港を出航し天保山を目指しました。
出航時は悪天候で高波が発生しており、さらに定員を超過する乗客が乗船していたとされています。
航行中に船体がバランスを崩し転覆、短時間で沈没しました。
近隣の漁船や救助艇が出動しましたが、多くの乗客が船内に取り残され、57人が死亡または行方不明となりました。
事件を受けて船舶の定員管理強化や安全設備の見直しが進められ、公共交通の安全意識が高まりました。
1937年
大阪市
渡船
桜島
天保山