1783年

アメリカ合衆国とイギリスがアメリカ独立戦争の講和条約・パリ条約を締結。

アメリカ独立戦争を正式に終結させるパリ条約が締結された日。
アメリカ合衆国とイギリスは1783年11月30日にパリ条約を調印し、アメリカ独立戦争に終止符を打ちました。イギリスはアメリカの独立を正式に承認し、領土配分や未払い債務の処理など和平条件を定めました。交渉にはフランスやスペインも関与しましたが、最終的に両国で署名が行われました。この条約により新生アメリカは国際的に主権国家としての地位を確立し、西部開拓や連邦体制の整備が促進されました。さらに、この和平はヨーロッパ列強の植民地政策にも影響を与えました。
1783年 アメリカ合衆国 イギリス アメリカ独立戦争 パリ条約
1786年

トスカーナ大公国において、レオポルト1世(後の神聖ローマ皇帝レオポルト2世)が、ヨーロッパでは初めて死刑制度の廃止を宣言。(シティズ・フォー・ライフの日)

トスカーナ大公国でヨーロッパ初の死刑制度廃止を宣言した日。
トスカーナ大公国のレオポルト1世は1786年11月30日に欧州で初めて死刑制度の廃止を宣言しました。人道主義的見地から公開処刑の廃止や軽罪刑罰の見直しを実施し、大胆な司法改革を断行しました。後に神聖ローマ皇帝レオポルト2世として即位した彼の改革はヨーロッパ各地に影響を与えました。思想家や政治家はこの動きを高く評価し、死刑反対運動の先駆けとなりました。現在では「シティズ・フォー・ライフの日」として記念されています。
1786年 トスカーナ大公国 神聖ローマ皇帝 レオポルト2世 死刑 シティズ・フォー・ライフの日
1814年

フランツ・シューベルトが『羊飼いの嘆きの歌』を作曲。

シューベルトが歌曲『羊飼いの嘆きの歌』を作曲した日。
フランツ・シューベルトは1814年11月30日に歌曲『羊飼いの嘆きの歌』を作曲しました。ドイツ・ロマン派を代表するリートの一つで、美しいメロディと詩情豊かな歌詞が特徴です。詩はヨハン・コルネリウス・ウェルトムによるもので、自然への憧憬と人間の寂寥感を表現しています。シューベルトのキャリア初期における代表作として、その才能が鮮やかに示された作品です。後世の作曲家や演奏家にも大きな影響を与え、現在も頻繁に演奏されています。
1814年 フランツ・シューベルト 羊飼いの嘆きの歌
1853年

クリミア戦争: シノープの海戦。オスマン帝国の軍港シノープをロシア黒海艦隊が奇襲。これ機にイギリス・フランスがクリミア戦争への介入を決意。

ロシア艦隊がシノープ軍港を奇襲し、英仏の参戦を促した海戦。
クリミア戦争の発端となるシノープの海戦が1853年11月30日に起こりました。ロシア黒海艦隊はオスマン帝国のシノープ軍港を奇襲し、防備を壊滅させました。オスマン帝国は応戦できず、港湾は大きな被害を受けました。この奇襲を受けてイギリスとフランスはロシアの南下政策を警戒し、クリミア戦争への介入を決意しました。以後のセヴァストポリ包囲戦などが欧州列強の勢力均衡に影響を与えました。
1853年 クリミア戦争 シノープの海戦 オスマン帝国 ロシア イギリス フランス
1864年

南北戦争: 第二次フランクリンの戦い。

テネシー州フランクリンで行われた第二次フランクリンの戦いが発生した日。
南北戦争における第二次フランクリンの戦いは1864年11月30日に発生しました。戦場はテネシー州フランクリン近郊で、北軍が堅固な防御陣地を築いていました。南軍は激しく攻撃を仕掛けましたが、北軍の塹壕戦と反撃により大きな損害を出しました。両軍合わせて数千名の死傷者が発生し、この戦闘はフランクリン・ナッシュビル・キャンペーンの重要な転換点となりました。南軍の戦力消耗は後の戦況に深刻な影響を与えました。
1864年 南北戦争 第二次フランクリンの戦い
1872年

史上初のサッカー国際試合となるイングランド対スコットランドの試合を開催。

世界初のサッカー国際試合としてイングランド対スコットランド戦が開催された日。
世界初のサッカー国際試合は1872年11月30日にグラスゴーで開催されました。イングランド代表とスコットランド代表が対戦し、結果は0-0の引き分けでした。試合はハミルトン・クレッセントで実施され、当時のルールや装備は現代とは大きく異なっていました。この一戦はサッカーの国際普及の契機となり、後のFIFA設立へとつながる歴史的な出来事です。イングランドとスコットランドのライバル関係は現在も多くのファンを魅了しています。
1872年 サッカー イングランド スコットランド
1888年

日墨修好通商条約締結。日本初の対等条約。

日本とメキシコが初の対等修好通商条約を締結した日。
日本とメキシコは1888年11月30日に日墨修好通商条約を締結しました。これは日本が欧米列強と結んだ初の対等条約であり、関税自主権や領事裁判権が認められました。条約の締結により両国間の貿易と文化交流が促進され、日本の国際的地位向上に寄与しました。メキシコ側も日本市場へのアクセスを得ることで経済的利益を拡大しました。この条約は日本の近代外交史における重要な一歩となりました。
1888年 日墨修好通商条約
1892年

千島艦事件: 日本海軍の水雷砲艦千島がイギリス商船と衝突、千島は沈没し商船側も損傷を受けた。

日本海軍の水雷砲艦「千島」が英商船と衝突して沈没した事故。
千島艦事件は1892年11月30日に発生した海難事故で、日本海軍の水雷砲艦『千島』がイギリス商船と衝突しました。衝突により『千島』は短時間で沈没し、乗員に死傷者が出ました。商船側も損傷を受けたものの重大な被害は免れています。この事件は海上交通の安全問題と国際賠償問題を引き起こし、日英関係に一時的な緊張をもたらしました。以降、日本海軍では航行ルールの整備と訓練強化が進められました。
1892年 千島艦事件 日本海軍 千島
1892年

福澤諭吉の後援で北里柴三郎が大日本私立衛生会伝染病研究所(現東京大学医科学研究所)を設立。

北里柴三郎が福澤諭吉の支援を受けて伝染病研究所を設立した日。
北里柴三郎は1892年11月30日に福澤諭吉の後援を得て大日本私立衛生会伝染病研究所を設立しました。これは現在の東京大学医科学研究所の前身であり、日本初の本格的な伝染病研究機関でした。北里は破傷風およびジフテリア血清療法で世界的に貢献し、本研究所でもワクチン開発や基礎免疫学の研究を推進しました。福澤諭吉の支援は近代日本の医学研究基盤の確立に大きく寄与しました。この施設は後に大学附属の研究所として発展し、医学界で重要な役割を果たしています。
福澤諭吉 北里柴三郎 東京大学医科学研究所
1908年

日本の駐米大使高平小五郎とアメリカ合衆国国務長官エリフ・ルートが高平・ルート協定に調印。

高平小五郎駐米大使とエリフ・ルート米国国務長官が太平洋地域の現状維持を確認する協定に調印した日。
高平小五郎駐米大使とエリフ・ルート米国国務長官は1908年11月30日に高平・ルート協定に調印しました。本協定では日米両国が太平洋地域における現状維持と相互尊重を確認し、領域変更を共に認めないことが明記されました。具体的には中国の門戸開放と領土保全、フィリピンおよびハワイにおける支配権を互いに尊重する条項が含まれています。この合意により日米関係は一時的に安定化し、両国は協調的な外交姿勢を示しました。その後の国際秩序にも影響を及ぼし、太平洋地域のパワーバランス維持に寄与しました。
1908年 日本 高平小五郎 アメリカ合衆国国務長官 エリフ・ルート 高平・ルート協定
1919年

食品工業(現キユーピー)が創業。

1919年11月30日、日本で初のマヨネーズメーカー「食品工業」が設立されました。 創業者の林八郎が欧米から製造技術を導入し、国内の食文化に新風を吹き込みました。 後に「キユーピー」と社名を改め、現在も家庭料理の定番となっています。
1919年11月30日、卵黄を主原料とするマヨネーズの大量生産を目的に「食品工業」が創業。 創業者・林八郎は渡欧して本場の製法を学び、国内で初の本格的な生産ラインを確立しました。 1922年に「キユーピー」と商標登録を行い、ブランド化を推進。 戦後の食生活に革命をもたらし、以来日本のマヨネーズ市場を牽引する存在となります。 多彩な調味料や食品加工品の開発を通じ、食文化の多様化にも大きく貢献。 現在も国内トップシェアを誇り、世界各国へ輸出を行うグローバル企業へ成長しています。
1919年 キユーピー
1920年

高山義三の除隊を迎えに来た鍋山貞親ら社会主義者の集団が警官と衝突し、治安維持法違反などで逮捕。(京都赤旗事件)

1920年11月30日、除隊帰りの高山義三を迎えに来た社会主義者と警官が衝突し、京都赤旗事件が発生しました。
1920年11月30日、社会主義者の鍋山貞親らが京都で除隊帰りの高山義三を出迎えようとした際、警官隊と衝突。 治安維持法違反の疑いで多数の活動家が一斉逮捕され、事件は「京都赤旗事件」と呼ばれるようになります。 当時の治安維持法は反政府的思想や運動を厳しく取り締まり、言論統制の象徴とされました。 この事件は左派運動への弾圧として国内外で批判を集め、政治的緊張を一層高めます。 後に学界やメディアで戦前の言論弾圧の代表例として検証され、歴史的意義が再評価されています。 今日では近代日本の言論・思想の自由に関する教訓として語り継がれています。
1920年 高山義三 鍋山貞親 治安維持法 京都赤旗事件