宣徳2年11月11日

英宗

(1427 - 1464)

明の第6代、第8代皇帝

明の第6代 第8代皇帝
明朝の第6代および第8代皇帝。 土木の変でオイラト部に捕らえられながらも、後に復位した異例の治世を送った皇帝。
英宗(朱祁鎮、1427年 - 1464年)は、明朝の第6代皇帝(諱は祁鎮)で、兄に代わって第8代皇帝として再即位した。 1435年に8歳で即位し、1449年の土木の変ではオイラト部(モンゴル)に捕らえられた。 その後退位し、弟の景泰帝が即位したが、1457年に天順帝として復位を果たした。 復位後は文才を発揮し、学術や文化の振興に力を入れた。 しかし、朝廷内の権力争いが激化し、健康を損ねたまま1464年に崩御した。 彼の二度の即位は明朝史上でも稀有な出来事として語り継がれている。
1427年 11月11日 英宗 皇帝 1464年
寛永元年10月19日

酒井忠清

(1624 - 1681)

江戸時代初期の譜代大名、老中、大老

江戸時代初期の譜代大名 老中 大老
江戸時代初期の譜代大名。 老中・大老として幕政を補佐した。
酒井忠清(1624年 - 1681年)は、姫路藩主として譜代大名家を継ぎ、江戸幕府の要職に就いた。 寛文年間に老中に任命され、幕府の財政再建や法令整備に参加。 後に大老に昇格し、将軍綱吉の側近として大政を補佐した。 領国の経営にも積極的に取り組み、年貢制改革や治水事業を通じて藩財政を安定させた。 1681年に隠居し、同年中に薨去した。
1624年 寛永 10月19日 酒井忠清 江戸時代 譜代大名 老中 大老 1681年
1627年

ジョン・レイ

(1627 - 1705)

博物学者

博物学者
イギリスの博物学者。 植物や動物の分類学に多大な貢献をした。
ジョン・レイ(1627年 - 1705年)は、イギリスの博物学者で、近代分類学の父と称される。 『植物誌(Historia Plantarum)』などの著作で、種の概念を導入し、自然の秩序を体系化した。 動物分類にも着手し、魚類や鳥類の分類を行った先駆的研究は後のリンネに大きな影響を与えた。 ケンブリッジ大学で牧師として教えながら研究を続け、自然神学の立場から自然界の秩序を論じた。 生涯を通じて膨大な観察記録を蓄積し、博物学の発展に不可欠な基盤を築いた。
1627年 ジョン・レイ 博物学者 1705年
1679年

アントニオ・ファルネーゼ

(1679 - 1731)

ファルネーゼ家最後のパルマ及びピアチェンツァ公

ファルネーゼ家最後のパルマ及びピアチェンツァ公
イタリアのパルマおよびピアチェンツァ公。 ファルネーゼ家最後の公爵として知られる。
アントニオ・ファルネーゼ(1679年 - 1731年)は、パルマ・ピアチェンツァ公国の最後の公爵。 父オルランド・ファルネーゼの跡を継ぎ、イタリア北部の領地を治めた。 宮廷文化の振興に努め、建築や絵画の保護者として知られる。 しかし男子後継者に恵まれず、彼の死後に領地はスペイン王家のブルボン家に移された。 短い治世ながらもパルマ宮廷を文化的拠点に高めた功績が評価されている。
1679年 アントニオ・ファルネーゼ ファルネーゼ家 パルマ ピアチェンツァ 1731年
1690年

クリスティアン・アウグスト

(1690 - 1747)

アンハルト=ツェルプスト侯、ロシアの女帝エカチェリーナ2世の父

アンハルト=ツェルプスト侯 ロシアの女帝エカチェリーナ2世の父
アンハルト=ツェルプスト侯。 ロシア女帝エカチェリーナ2世の父としても知られる。
クリスティアン・アウグスト(1690年 - 1747年)は、ドイツのアンハルト=ツェルプスト侯爵家の当主。 ロシア皇帝ピョートル3世と結婚した娘ソフィア・フレデリカ(後のエカチェリーナ2世)を持つことで知られる。 侯として領国内の行政改革や領主権強化に努め、周辺諸国との外交関係を維持した。 プロイセンやロシアとの縁組を通じて家系の地位向上を図り、領地発展に貢献した。 1747年に侯位を子に譲り隠居し、その年に没した。
1690年 クリスティアン・アウグスト ロシア 女帝 エカチェリーナ2世 1747年
1728年

ヨハン・ゲルハルト・ケーニヒ

(1728 - 1785)

医師、植物学者

医師 植物学者
ドイツの医師・植物学者。 インド亜大陸で熱帯植物の研究に従事した。
ヨハン・ゲルハルト・ケーニヒ(1728年 - 1785年)は、ドイツ出身の医師で、植物学者としても著名。 デンマーク東インド会社の招聘によりインド亜大陸に渡り、熱帯植物の採集と分類を行った。 採取標本をヨーロッパに送付し、多くの新種を学界に紹介した。 医学の知識を活かし、薬用植物の研究を進めたことで薬草学にも寄与。 後にヨーロッパに戻り、博物館や大学で植物学の教育・研究体制の確立に貢献した。
1728年 ヨハン・ゲルハルト・ケーニヒ 医師 植物学者 1785年
延享2年11月7日

島津重豪

(1745 - 1833)

薩摩藩の第8代藩主

薩摩藩の第8代藩主
薩摩藩第8代藩主。 藩政改革や西洋技術の導入に尽力した。
島津重豪(1745年 - 1833年)は、薩摩藩の第8代藩主として長期間にわたり治世を行った。 藩の財政再建を目的に郷中教育の整備や産業振興策を推進した。 集成館事業では蒸気機関や製鉄技術など西洋の科学技術導入に取り組み、産業基盤を強化。 また、藩校造士館を整備し人材育成にも力を注いだ。 彼の統治は後の明治維新に繋がる人材と技術の土壌を築いたと評価される。
1745年 延享 11月7日 島津重豪 薩摩藩 1833年
1797年

ガエターノ・ドニゼッティ

(1797 - 1848)

オペラ作曲家

オペラ作曲家
イタリア・ベルカント楽派のオペラ作曲家。 『愛の妙薬』など数多くの名作を残した。
ガエターノ・ドニゼッティ(1797年 - 1848年)は、イタリア出身の作曲家で、ベルカントオペラの重要人物。 『ランメルモールのルチア』『愛の妙薬』など、巧妙なアリアとドラマ性を兼ね備えた作品を多数創作。 若くして成功を収め、ヨーロッパ各地のオペラハウスで高い評価を得た。 交響曲や室内楽にも取り組むなど多才で、音楽理論にも造詣が深かった。 晩年に健康を害しつつも精力的に作品を発表し、1848年に逝去した。
1797年 ガエターノ・ドニゼッティ 1848年
1803年

ゴットフリート・ゼンパー

(1803 - 1879)

建築家

建築家
ドイツの建築家・都市計画家。 ドレスデンのゼンパーオペラ座などで知られる。
ゴットフリート・ゼンパー(1803年 - 1879年)は、ドイツの建築家で、19世紀ネオバロック様式を代表する人物。 代表作『ゼンパーオペラ座』は、その豪華な装飾と合理的な設計で高く評価された。 政治的混乱により一度亡命したが、その後ドレスデンに戻り建築活動を継続。 『建築史と技法』などの著作を通じて建築史学の発展にも寄与した。 後進の建築家を育成し、都市計画の理論と実践を結びつけた点でも功績が大きい。
1803年 ゴットフリート・ゼンパー 1879年
1803年

クリスチャン・ドップラー

(1803 - 1853)

物理学者

物理学者
オーストリアの物理学者。 ドップラー効果を提唱し、多くの分野で応用された。
クリスチャン・ドップラー(1803年 - 1853年)は、オーストリア出身の物理学者・数学者。 1842年に発表した論文で、観測者と波源の相対速度に応じて波長が変化する『ドップラー効果』を解明。 この理論は天文学、レーダー技術、医療用超音波診断など多岐にわたる分野で応用された。 ウィーン工科大学やグラーツ工科大学で教鞭を執り、工学教育の基盤構築に貢献した。 生涯にわたり波動現象の研究に専念し、工学物理学の発展に大きく寄与した。
クリスチャン・ドップラー 物理学者 1853年
1813年

フランツ・ミクロシッチ

(1813 - 1881)

言語学者

言語学者
オーストリア出身の言語学者で、南スラヴ語の比較研究を開拓した。
フランツ・ミクロシッチは1813年に現在のスロベニアにあたるコドレティで生まれた。ヴィーン大学で教鞭を執りつつ、スラヴ語族の文法研究を行った。特に南スラヴ語の文法体系を比較分析し、『スラヴ文法』などの著作を残している。19世紀の言語学発展に大きく貢献し、多くの弟子を育成した。1881年にウィーンで没し、その業績は現在でも高く評価されている。
1813年 フランツ・ミクロシッチ 言語学者 1881年
文化12年10月29日

井伊直弼

(1815 - 1860)

江戸幕府の大老、彦根藩主

江戸幕府の大老 彦根藩主
江戸幕府の大老として日米修好通商条約を調印し、安政の大獄を主導した。
井伊直弼は1815年(文化12年)に彦根藩主・井伊直中の次男として生まれた。1860年に大老に就任し、幕府の開国政策を巡り日米修好通商条約を調印して幕府の独裁的な体制を強化した。反対派の取り締まりを断行する安政の大獄を主導し、政治的権力を集中させた。これに反発した尊王攘夷派の志士たちにより桜田門外の変で暗殺され、その死は幕末動乱を加速させた。現在も賛否両論ある評価を受けている。
1815年 文化 10月29日 井伊直弼 江戸幕府 大老 彦根藩主 1860年