498年

第51代ローマ教皇シンマクスが即位。

498年11月22日、第51代ローマ教皇シンマクスが即位しました。
シンマクスは498年に教皇に選出され、その治世では教会の統一と内紛解消に努めました。即位を巡ってはシンマクス派とローレンティウス派の対立が激化し、教会分裂の危機に直面しました。彼はローマ教会の権威回復を目指し、幾度もの協議を経て異端の排除や教会法の整備を推進しました。結果として教皇権の基盤が強化され、後の教皇領拡大の土台を築いたと評価されています。
498年 ローマ教皇 シンマクス
1220年

フリードリヒ2世が神聖ローマ皇帝に即位。

1220年11月22日、フリードリヒ2世がローマで神聖ローマ皇帝として戴冠しました。
フリードリヒ2世は若くして皇帝に即位し、後に“最も洗練された中世皇帝”と称されました。戴冠式は教皇ホノリウス3世によって執り行われ、神聖ローマ帝国の権威を象徴する重要な儀式となりました。在位中、彼は六度の十字軍遠征を計画し、イタリア政策や文化振興にも力を注ぎました。その統治は教皇庁や各領邦との緊張を孕みつつも、中世ヨーロッパの政治地図を大きく塗り替えました。
1220年 フリードリヒ2世 神聖ローマ皇帝
1497年

ヴァスコ・ダ・ガマが第一次航海で喜望峰に到達。

1497年11月22日、ヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰を通過し、ヨーロッパからインドへの新航路を開拓しました。
ポルトガル王ジョアン2世の命を受けたダ・ガマは、一行を率いて西アフリカから南下し、ついに喜望峰を回航しました。この航海により海路でのインド交易が可能となり、香辛料貿易を中心とした大航海時代の幕開けとなりました。困難な航海ながら現地民との接触や嵐の克服に成功し、帰国後には巨万の富と名声を手にしました。彼の成果は以後の植民地政策や世界経済の構造転換に大きな影響を与えました。
1497年 ヴァスコ・ダ・ガマ 喜望峰
弘治3年11月2日

織田信長が清洲城で弟の織田信行を暗殺する。

1557年11月22日、織田信長が清洲城で弟の織田信行を討ち、家督争いに勝利しました。
尾張国を治める織田氏の内部抗争を背景に、信長は弟・信行を城内に呼び寄せ暗殺に及びました。これにより信行派の抵抗勢力は壊滅し、信長は尾張統一への道を確固たるものとしました。事件は信長の非情かつ冷酷な権力掌握の一端とされ、その手法は後の天下統一事業にも影響を与えました。清洲城は後に織田家の拠点として繁栄を見せ、信長の基盤となりました。
1557年 弘治 11月2日 織田信長 清洲城 織田信行
1641年

長期議会: 国王チャールズ1世の悪政を挙げ議会改革を要求する議会の大諫奏(大抗議文)がイングランド議会で可決。

1641年11月22日、長期議会でチャールズ1世の統治を批判する『大諫奏』が可決されました。
イングランド長期議会は王権強化を図るチャールズ1世に対抗し、議会の権限拡大を目指して招集されました。11月22日に採択された『大諫奏(グランド・リモンストランス)』は、王の専制的政策を列挙し改善を要求する画期的文書です。この決議は両者の対立を決定的に深め、のちの清教徒革命への伏線となりました。文書は国民への宣伝効果も大きく、議会政治の重要性を社会に印象付けました。
1641年 長期議会 チャールズ1世 議会の大諫奏 イングランド議会
1757年

七年戦争: ブレスラウの戦いが行われる。

1757年11月22日、七年戦争の一環としてブレスラウの戦いが行われました。
プロイセン王フリードリヒ大王率いる軍とオーストリア皇帝カール1世率いる連合軍がシレジア地方で激突した戦闘です。プロイセン軍は数で劣勢を強いられつつも巧みな戦術で持ちこたえ、補給路を確保しました。戦いの結果は決定的ではなかったものの、七年戦争全体の動勢に影響を与えました。この戦闘は近代戦術や軍制改革の一翼を担い、軍事史上にも重要な事例として残されています。
1757年 七年戦争 ブレスラウの戦い
1821年

イギリスでパーマー式モノレールが特許登録される。

1821年11月22日、イギリスでパーマー式モノレールが特許登録されました。
発明家ウィリアム・パーマーは、従来の鉄道とは異なる単線高架式輸送システムを提案し、1821年に特許を取得しました。パーマー式モノレールは実用化には至らなかったものの、鉄道技術の多様化に貢献しました。その構想は後世の軽量輸送システム開発に影響を与え、産業革命期の技術革新の一端として注目されています。鉄道史の研究対象としても評価が高い発明です。
1821年 イギリス パーマー式モノレール
1830年

第2代グレイ伯爵チャールズ・グレイがイギリスの首相に就任。

1830年11月22日、第2代グレイ伯爵チャールズ・グレイがイギリス首相に就任しました。
グレイ内閣は改革党を率い、選挙制度改革やカトリック教徒解放法の成立を目指しました。翌1832年には選挙法改正法(グレイ改革法)を成立させ、腐敗選挙区の廃止や有権者拡大を実現しました。また、奴隷制廃止に向けた動きも後押しし、1833年の奴隷廃止法成立の布石となりました。彼の政権は1834年まで継続し、近代英国政治の基礎を築いたと評価されます。
1830年 第2代グレイ伯爵チャールズ・グレイ イギリスの首相
1869年

ダンバートンで帆船「カティーサーク」の進水式。

1869年11月22日、ダンバートンで帆船『カティーサーク』の進水式が行われました。
『カティーサーク』はスコット&リントン造船所で建造された高速クリッパー船で、その優美な船体と速力で知られました。茶葉輸送を主目的に設計され、東洋航路で数々の航海記録を樹立しました。進水式には地元住民や関係者が集い、その壮観さが話題となりました。現在は英国グリニッジに係留保存され、海事博物館として一般公開されています。
1869年 ダンバートン カティーサーク
1908年

アルバニア語アルファベットの標準化を目的としたマナスティル会議が終了。(アルバニア語アルファベットの日)

1908年11月22日、アルバニア語アルファベット標準化を目指すマナスティル会議が閉幕しました。
オスマン帝国支配下のマナスティル(現ビトラ)でアルバニア人知識人が集い、共通のアルファベットを採択しました。主にラテン文字を基調とする方式が選ばれ、方言の違いを越えて統一を図る試みでした。会議の決定はアルバニア文化復興と国民意識形成に大きく寄与し、11月22日は『アルバニア語アルファベットの日』として記念されています。以後、教育や出版物で新文字が導入され、言語統一が進められました。
1908年 アルバニア語アルファベット マナスティル会議
1928年

モーリス・ラヴェル作曲の「ボレロ」がパリ・オペラ座で初演。

モーリス・ラヴェルの代表作「ボレロ」がパリ・オペラ座で初演された日です。
1928年11月22日、作曲家モーリス・ラヴェルの「ボレロ」がパリ・オペラ座で初演されました。 単一のテーマを繰り返しながら徐々に盛り上がる構成と、巧みなオーケストレーションが特徴です。 初演は大きな反響を呼び、ラヴェルの代表作として世界的に知られるようになりました。 後に様々な編曲や公演を重ね、クラシック界のみならず映画や演劇などでも多用されています。 今日でもボレロは演奏会の定番として、多くのオーケストラに演奏されています。
1928年 モーリス・ラヴェル ボレロ パリ・オペラ座
1929年

大軌花園ラグビー場の開場式が行われる。

日本初の本格的なラグビー専用競技場、花園ラグビー場が開場された日です。
1929年11月22日、大阪の大軌が花園ラグビー場の開場式を実施しました。 同競技場は日本で最初の本格的なラグビー専用スタジアムとして建設されました。 以降、高校ラグビー全国大会やトップリーグ公式戦など多くの大会会場となり、国内ラグビーの聖地と呼ばれています。 現在も改築や設備更新を重ね、国内最大級のラグビー専用スタジアムとして親しまれています。 初回開場時の熱気は、今日のラグビー人気の礎とも言える歴史的瞬間でした。
1929年 大軌 花園ラグビー場