1941年

敦賀港と清津港を結ぶ連絡船が朝鮮半島の沖合で触雷して沈没。死者行方不明者165人。

1941年、敦賀港と清津港を結ぶ連絡船が触雷し沈没、165名が死亡または行方不明となりました。
1941年11月15日、敦賀港(福井県)と清津港(朝鮮半島)を結ぶ定期連絡船が沿岸部で敷設された機雷に触れて沈没しました。乗客・乗員合わせて約165名が死亡または行方不明となり、第二次世界大戦下の海上輸送の危険性が浮き彫りになりました。船は開戦前の混乱期に運航されており、民間人の移動にも危険が及ぶ事態となりました。この事故は海域における航行警戒や機雷掃海の重要性を再認識させる契機となりました。
1941年 敦賀港
1969年

バレンツ海でソ連とアメリカの原子力潜水艦、「K 19」と「ガトー」が衝突。

1969年、バレンツ海でソ連原潜K-19と米潜ガトーが衝突事故を起こす。
1969年11月15日、冷戦下のバレンツ海沖でソ連海軍の原子力潜水艦K-19と米海軍の潜水艦ガトーが衝突する事故が発生。 両艦とも機動訓練中で、衝突によりK-19の原子炉冷却装置が損傷し放射能漏れが懸念されました。 幸い大規模な放射能汚染は回避されたものの、乗組員に被曝者が出るなど深刻な事態に。 この事故は潜水艦同士の遭遇リスクと原子力艦の安全管理の在り方を問う契機となりました。 以降、NATOとワルシャワ条約機構双方で潜水艦運用ルールの見直しが進められています。
1969年 バレンツ海 K-19 ガトー
1986年

伊豆大島の三原山が12年ぶりに噴火。

伊豆大島の三原山が12年ぶりに噴火し、島の住民や観光に影響を及ぼしました。
1986年11月15日未明、伊豆大島にそびえる三原山が1974年以来12年ぶりに活動を再開し、小規模な噴石と火山灰を噴出しました。 噴火に伴い周辺住民数千人が一時避難し、交通機関にも影響が出ました。 火山灰は近隣の農地や海域にも降り注ぎ、観光業にも打撃を与えました。 気象庁は警戒レベルを引き上げ、定期的な観測と警報発令を続けました。 その後、数週間で活動は沈静化し、住民の帰還が許可されました。
伊豆大島 三原山
2006年

千島列島沖地震が発生。M7.9の地震で最大震度は北海道・東北地方で震度2。津波は広い範囲で観測され、伊豆諸島の三宅島坪田で最大の高さ84cmを観測。

千島列島沖でM7.9の大地震が発生し、津波観測もあった。
2006年11月15日、千島列島沖を震源とするマグニチュード7.9の大地震が発生しました。 北海道・東北地方では最大震度2を観測し、住民に軽微な揺れを感じさせました。 この地震により太平洋沿岸では津波が観測され、伊豆諸島三宅島坪田では最大84cmの津波高を記録。 海岸付近の避難体制が早期に機能したことで大規模な被害は免れたものの、津波の影響を再認識させる出来事となりました。 災害対策の重要性を改めて浮き彫りにし、気象庁や自治体の警報発令基準の見直しにもつながりました。
2006年 千島列島沖地震
2007年

サイクロン・シドルがバングラデシュ西部に上陸。約5000人が死亡。

サイクロン・シドルがバングラデシュ西部を襲い、約5000人が犠牲になった。
2007年11月15日、猛烈なサイクロン・シドルがバングラデシュ西部に上陸しました。 最大風速は毎秒約70mに達し、広範囲で家屋の倒壊や浸水被害を引き起こしました。 正式な死者数は約5000人と報告され、多数の住民が避難所での生活を余儀なくされました。 農作物や家畜も甚大な被害を受け、地域の経済や食糧事情に深刻な影響を与えました。 この災害を受け、国際的な支援や防災インフラ強化の重要性が改めて議論されました。
2007年 サイクロン・シドル バングラデシュ
2017年

浦項地震: 韓国、浦項市でM5.4の地震。

韓国浦項市でM5.4の地震が発生、一部で揺れと被害が確認された。
2017年11月15日、韓国南東部の浦項市でマグニチュード5.4の地震が発生しました。 震源は市街地に近く、震度は韓国基準で最大4を記録。建物の一部にひび割れや地割れが報告されました。 幸いにも大規模な人的被害はなかったものの、交通機関の一時運休やライフラインへの影響が生じました。 韓国国内では地震対策の遅れを指摘する声が上がり、耐震基準や緊急時対応の見直しが議論されました。 この地震は国内で稀な強い揺れを伴う震災として記憶され、防災意識の向上につながりました。
浦項地震 韓国 浦項市