1920年

アメリカ・アーリントン国立墓地に無名戦士の墓が作られる。

第一次世界大戦の戦没者を追悼する無名戦士の墓がアーリントン国立墓地に設置された。 国家的な慰霊の象徴とされた。
1920年11月11日、アーリントン国立墓地に「無名戦士の墓」が建立された。 この墓は第一次世界大戦で身元不明のまま亡くなった戦士を追悼するために設けられた。 墓はフランスのトルビュイ司令部から送られた遺体が選定された。 墓碑には「Soldier Unknown」という英字と「不明の兵士」という碑文が刻まれている。 その後の追悼式典は毎年行われ、国家的な儀式となった。 米国の戦没者慰霊の象徴として退役軍人省が管理を行っている。 同様の無名戦士の墓はイギリスやフランスなど他国にも設置されている。 今日では記念日や祝典における重要なスポットとなっている。
1920年 アーリントン国立墓地 無名戦士の墓
1951年

日本で3番目の民間放送ラジオ局、朝日放送(ABC)開局。

日本で3番目の民間ラジオ局、朝日放送(ABC)が開局し、地域放送体制が拡充された。
1951年11月11日、日本で3番目の民間放送ラジオ局として朝日放送(ABC)が大阪で開局した。 戦後のラジオ放送拡大期に誕生し、初期はニュースや音楽番組を中心に編成された。 ABCは地域密着型の番組作りを重視し、関西文化を全国に発信した。 後にテレビ放送にも進出し、日本のマスメディア業界で重要な役割を果たすようになる。 開局当初の聞き取りやすい語り口と親しみやすい番組が多くの聴取者を獲得した。 放送区域は近畿地方一帯に及び、災害時の情報提供拠点としても機能した。 その後の民間放送の発展に大きな影響を与えた。 現在もABCはテレビ・ラジオの双方向メディアとして活躍している。
1951年 民間放送 ラジオ局 朝日放送 ABC
1955年

下中弥三郎・植村環・茅誠司・上代たの・平塚らいてう・前田多門・湯川秀樹の7人によって世界平和アピール七人委員会が結成される。

下中弥三郎・植村環ら7人の有識者が世界平和を訴える「世界平和アピール七人委員会」を結成しました。
戦後の国際情勢や核兵器への懸念が高まる中、1955年11月11日に日本の有識者7人によって「世界平和アピール七人委員会」が結成されました。 委員会のメンバーには下中弥三郎、植村環、茅誠司、上代たの、平塚らいてう、前田多門、ノーベル物理学賞受賞者の湯川秀樹が名を連ねました。 彼らは核兵器廃絶や平和外交の重要性を訴える共同声明を発表し、国内外で大きな反響を呼びました。 当時の声明は新聞やラジオ、ニュース映画で広く報道され、平和運動への関心を一気に高めるきっかけとなりました。 以降、委員会は各地でシンポジウムや講演会を開催し、被爆者支援や平和教育の推進にも貢献していきました。
1955年 下中弥三郎 植村環 茅誠司 上代たの 平塚らいてう 前田多門 湯川秀樹 世界平和アピール七人委員会
1967年

日本エスペラント協会会員の由比忠之進が、佐藤栄作首相宛にベトナム戦争反対の抗議書を携え、首相官邸近くで焼身自殺。

日本エスペラント協会会員の由比忠之進がベトナム戦争反対を訴え、焼身自殺しました。
1967年11月11日、日本エスペラント協会会員の由比忠之進が佐藤栄作首相宛にベトナム戦争反対の抗議書を携え、首相官邸近くで焼身自殺を遂げました。 由比は戦争の悲惨さや犠牲者への思いをエスペラント語で訴え、世界へのメッセージとすることを意図していました。 事前に抗議書は報道機関にも送付され、焼身の行為は国内外で大きな衝撃を与えました。 この事件は戦争への深い反省と平和運動のあり方を促す契機となり、多くの市民や知識人に平和への意識を喚起しました。 日本国内での焼身抗議は非常に稀であり、その過激さと誠実な動機が長く記憶される出来事となりました。
1967年 日本エスペラント協会 由比忠之進 焼身自殺
1995年

オウム真理教の麻原彰晃が著書でハルマゲドンが勃発すると予言していた日。日本各地で厳戒態勢が敷かれる。

1995年、オウム真理教の麻原彰晃が『ハルマゲドン』勃発を予言し、日本各地で警戒が高まった日。
オウム真理教の教祖・麻原彰晃(松本智津夫)は著書や教団内の文書で世界終末戦争『ハルマゲドン』の到来を予言しました。 1995年11月11日にはその日が刻限と示されたことで、日本各地で公安当局が厳戒態勢を敷き、人々の不安を煽りました。 同教団は同年3月の地下鉄サリン事件を起こしており、再度の大規模事件への懸念が高まりました。 予言は後に実現しなかったものの、教団の危険性を改めて世間に知らしめる結果となりました。 この出来事はマスコミでも大きく報道され、オウム真理教への監視と対策強化が進められました。
1995年 オウム真理教 麻原彰晃 ハルマゲドン
1995年

米カリフォルニア州ロサンゼルスにおいて、『日系米国人退役軍人慰霊碑』の除幕式が執り行われる。

1995年、ロサンゼルスで日系米国人退役軍人慰霊碑の除幕式が開催され、戦没者を追悼した日。
1995年11月11日、米カリフォルニア州ロサンゼルスにおいて『日系米国人退役軍人慰霊碑』の除幕式が執り行われました。 この慰霊碑は第二次世界大戦などで犠牲となった日系米国人兵士の勇気と貢献を顕彰するために建立されたものです。 式典には日系コミュニティの代表や退役軍人、在米日本大使館関係者などが出席し、犠牲者への哀悼の意を表しました。 式典後も日系米国人の歴史を記録し継承する場として、多くの人々が訪れるランドマークとなっています。 この除幕式は異文化間での理解と和解の象徴的出来事とされました。
カリフォルニア州 ロサンゼルス 日系米国人退役軍人慰霊碑