1215年

第4ラテラン公会議が始まる。

1215年11月11日、第4ラテラン公会議がローマで開幕。 教皇インノケンティウス3世が主導し、教会改革や異端対策が議題となった。
第4ラテラン公会議はカトリック教会の歴史において重要な全世界司教会議です。 教皇インノケンティウス3世が開催を宣言し、教義の統一や免罪符の販売規制、異端の取締りなどが審議されました。 会議では聖体拝領の定式化や十字軍の計画も話し合われ、教会権威の強化を図りました。 この会議は中世ヨーロッパの宗教・社会に大きな影響を与え、教会の制度改革を推進する契機となりました。 最終的に第1回から第5回ラテラン公会議に続く一連の会議の中で、最も多くの決議を取りまとめました。
1215年 第4ラテラン公会議
1790年

神聖ローマ帝国皇帝レオポルト2世戴冠式。

1790年11月11日、レオポルト2世が神聖ローマ皇帝として戴冠されました。 ハプスブルク家による治世の一環です。
レオポルト2世はマリア・テレジアの息子ヨーゼフ2世の死去を受けて即位し、皇帝となった。 戴冠式はフランツィスカーナ大聖堂で執り行われ、宮廷儀礼が華麗に展開された。 彼は啓蒙専制君主として知られ、宗教寛容や司法改革などを推進した。 しかし、改革は反動を招くこともあり、国内外で複雑な政情を生んだ。 在位は短期間に終わったが、近代化政策への試みは後のオーストリア帝国に影響を及ぼした。
1790年 神聖ローマ帝国皇帝 レオポルト2世
1811年

ヌエバ・グラナダのカルタヘナ・デ・インディアスがスペインからの独立を宣言。

1811年11月11日、ヌエバ・グラナダ領カルタヘナ・デ・インディアスがスペインからの独立を宣言しました。 南米独立運動の先駆けとなった歴史的事件です。
カルタヘナ・デ・インディアスは当時スペイン帝国の植民地政府に対し反乱を起こし、独立宣言を採択した。 この動きは南米各地に広がる独立運動の重要な拠点となり、“カルタヘナ宣言”として知られる。 反乱軍は財政自治の獲得と自由貿易の実現を目指し、スペイン軍との武力衝突も発生した。 最終的に独立は維持され、1821年には大コロンビア共和国の一部となった。 この宣言は南米における自由と主権を求める動きに大きな影響を与えた。
1811年 ヌエバ・グラナダ カルタヘナ・デ・インディアス スペイン
1889年

ワシントン準州が州に昇格し、アメリカ合衆国42番目の州・ワシントン州となる。

1889年11月11日、ワシントン準州がアメリカ合衆国42番目の州・ワシントン州に昇格しました。 太平洋沿岸地域の発展と行政区画の整理を示す出来事です。
ワシントン準州は1853年に設置され、その後急速な人口増加と経済発展を遂げた。 1889年の州昇格により、州政府樹立や議会設置が可能となり自治権が拡大した。 農業、林業、漁業など地域資源の開発と鉄道網の整備が進み、西海岸の発展を牽引した。 州名は初代アメリカ大統領ジョージ・ワシントンにちなんで命名された。 州昇格式典は州都タコマで盛大に行われ、多くの住民が祝賀に参加した。
1889年 ワシントン準州 アメリカ合衆国 ワシントン州
1918年

オーストリア皇帝カール1世が退位。700年余りに及ぶハプスブルク家のオーストリア支配が終わる。

1918年11月11日、オーストリア皇帝カール1世が退位し、ハプスブルク家のオーストリア支配が終わりました。 約700年続いた王朝の歴史的幕引きです。
カール1世は第一次世界大戦の敗北を受け、帝国の存続が困難となったため退位を宣言した。 ハプスブルク家は1278年から約640年続く帝位を誇り、中欧の政治・文化を支配していた。 退位は皇帝の座からの辞任という形式をとり、共和国樹立への道を開く契機となった。 後にオーストリア・ハンガリー帝国は解体し、オーストリア共和国とハンガリー王国が別々に成立した。 カール1世自身は亡命先のマデイラ島で過ごし、1922年に没した。
オーストリア皇帝 カール1世 ハプスブルク家
1918年

ユゼフ・ピウスツキがワルシャワへ戻り軍の統帥権を掌握。ポーランド(ポーランド第二共和国)がロシア帝国から事実上独立。

ユゼフ・ピウスツキがワルシャワに戻り、軍の統帥権を掌握。 ポーランド第二共和国がロシア帝国から事実上独立。
ユゼフ・ピウスツキはポーランド軍の元帥で、第一次世界大戦後の国家建設に寄与した。 1918年11月11日、彼はワルシャワに帰還し、軍の統帥権を掌握した。 この行動により、ポーランドは事実上ロシア帝国から独立を果たした。 同年のヴェルサイユ条約締結を控え、独立国家としての地位を確固たるものとした。 ポーランド第二共和国の建国を象徴する歴史的瞬間とされる。 ピウスツキはその後、政治・軍事の両面で国家統合を進めた。 彼の指導力はポーランドの再建に大きな影響を与えた。 その業績は現在でもポーランド独立記念日に語り継がれている。
ユゼフ・ピウスツキ ワルシャワ ポーランド ポーランド第二共和国 ロシア帝国
1952年

皇太子成年式、立太子の礼の一般参賀が皇居にて行われた。

皇太子の成年式および立太子礼一般参賀が皇居で行われ、国民参加の皇室行事として注目を集めた。
1952年11月11日、皇太子(後の明仁上皇)の成年式および立太子の礼に際し、一般参賀が皇居・宮殿前で実施された。 幼少期を終えた皇太子が正式に成人として認められ、公的行事に参加する最初の機会となった。 大勢の国民が祝賀のため招かれ、和やかな雰囲気の中で参賀行列が行われた。 皇室行事としてメディアでも広く報道され、戦後の新たな皇室像を象徴した。 式典では国民の幸福と国家の繁栄を祈念する言葉が交わされた。 同行事は憲法改正後の皇室儀礼としての重要性を示し、歴史的な意義を持つ。 当日の記念写真や映像は宮内庁の資料として保存されている。 以後、皇族の成年式や一般参賀は国民と皇室の絆を深める行事として継承されている。
1952年
1965年

ローデシアの白人政権がイギリスから一方的に独立を宣言。

ローデシアの白人少数派政権がイギリスからの一方的独立を宣言しました。
1965年11月11日、現在のジンバブエにあたるローデシアで白人少数派政権がイギリスからの一方的独立(UDI)を宣言しました。 イアン・スミス首相率いる政権は、独立承認を巡る交渉決裂を受け、植民地政府の立場を無視して断行しました。 国際社会はこの動きを非難し、国連安全保障理事会はローデシアへの経済制裁を決議しました。 制裁にもかかわらず、ローデシア政府は独自の通貨発行や自治権強化を進め、実質的統治を続行しました。 この出来事はアフリカの脱植民地化と人種差別政策の対立構図を象徴する事件となりました。
1965年 ローデシア イギリス 一方的に独立を宣言
1968年

モルディブが2度目の共和制に移行。イブラヒム・ナシルが初代大統領に就任。

モルディブが第二共和制に移行し、イブラヒム・ナシルが初代大統領に就任しました。
1968年11月11日、モルディブは王制から第二共和制へと移行し、正式に共和制国家となりました。 これに伴い、政治家イブラヒム・ナシルが同国初の大統領として就任し、新たな政体を率いました。 ナシル政権は独立後の国家建設を進め、観光産業や教育制度の整備に力を注ぎました。 共和制移行は英連邦諸国との関係再構築とも密接に結びつき、経済的・外交的自立を目指す一歩となりました。 モルディブは以降も政治体制の安定と経済成長を追求し、インド洋地域の注目国家として発展していきました。
1968年 モルディブ 共和制 イブラヒム・ナシル
1975年

アンゴラがポルトガルからの独立を宣言。

アンゴラがポルトガルから独立を宣言し、新国家が誕生しました。
1975年11月11日、アフリカ南西部に位置するアンゴラがポルトガルの植民地支配からの独立を正式に宣言しました。 長年の独立運動と武装闘争を経て、アンゴラ解放人民運動(MPLA)などの勢力が中心となり国家建設を開始しました。 独立直後から内戦状態に突入し、MPLA、UNITA、FNLAなど複数の勢力が権力を巡って激しく対立しました。 国際的にはソ連やキューバがMPLAを、アメリカや南アフリカがUNITAを支援し、冷戦構図の代理戦争ともなりました。 アンゴラは内戦の傷跡を抱えつつも、やがて和平合意と国土再建に向けた道を模索していきました。
1975年 アンゴラ ポルトガル
2023年

2019年に中国湖南省長沙市で拘束され、反スパイ法容疑で懲役12年の実刑判決を受けた50代の日本人男性について、上訴が棄却され判決が確定した。

2023年、2019年に中国湖南省長沙市で拘束された日本人男性の上訴が棄却され、懲役判決が確定した日。
2019年に中国湖南省長沙市で反スパイ法容疑により拘束された50代の日本人男性は、現地法院で懲役12年の実刑判決を受けていました。 長沙市中級人民法院への上訴審で、2023年11月11日に上訴が棄却され、これにより判決が確定しました。 男性の家族や日本政府は長らく救済を求めてきましたが、判決確定後も身柄釈放の見通しは立っていません。 この事件は国境を越えた法的問題として注目され、日中関係や在外邦人の安全確保に懸念をもたらしています。 人権保護や国際法的観点からも議論の的となっています。
2023年 2019年 中国 湖南省 長沙市
2024年

特別国会にて自民党の石破茂総裁が総理大臣に指名され、後に任命される。

2024年11月11日、特別国会の首相指名選挙で自民党総裁・石破茂が総理大臣に指名され、その後正式に任命手続きが開始された重要な政治的節目。
2024年11月11日、通常国会とは別に招集された特別国会で行われた首相指名選挙において、石破茂自民党総裁が衆議院および参議院で過半数の支持を得て第102代内閣総理大臣に指名されました。 指名後、天皇の認証を経て正式に総理大臣に任命される手続きが開始され、日本の政権交代の一歩を刻む重要な出来事となりました。 石破氏は自民党内での調整役として知られ、今回の指名は党内外の支持を集めた結果とされています。 任命後には内閣改造や政策方針の発表が見込まれ、国内外から注目が集まりました。 この指名は、日本の今後の行政運営や外交方針に大きく影響を与える転換点として記憶されるでしょう。
2024年 石破茂