キリスト教の聖人
キリスト教の聖人
ガリア(現在のフランス)で布教活動を行い、貧者への慈悲で知られるキリスト教の聖人。
トゥールのマルティヌスは、316年にローマ帝国領パンノニア(現在のハンガリー北部)で生まれました。若くしてローマ兵士となり、貧者への慈善として自らのマントを半分に割いて与えた逸話で知られます。後に修道士となり、ウルシッカ僧院を創設しました。371年にトゥール司教に任命され、西ヨーロッパにおけるキリスト教の布教と組織化に貢献しました。彼の生涯と奇跡譚は中世を通じて敬愛され、フランスの守護聖人とされています。
397年
トゥールのマルティヌス
キリスト教
聖人
316年
ウマイヤ朝のカリフ
ウマイヤ朝のカリフ
ウマイヤ朝の第2代カリフとしてイスラム帝国の統治を担った人物。
ヤズィード1世は、683年までウマイヤ朝の第2代カリフとして統治しました。645年にメッカで生まれ、父ムアーウィヤ1世の跡を継いで680年にカリフに即位しました。治世中に起こったカルバラーの戦いはシーア派とスンナ派の分岐点となりました。国内外での反乱鎮圧にあたる一方、帝国の行政機構の整備を進めました。在位は短期間でしたが、早逝とともに内紛が激化し、ウマイヤ朝の運命に影響を及ぼしました。
683年
ヤズィード1世
ウマイヤ朝
カリフ
645年
歌人
歌人
平安時代中期の歌人で、三十六歌仙の一人に数えられます。
橘為仲は1014年に生まれ、宮廷で和歌を詠むことに秀でていました。初出典として『後撰和歌集』などに採録され、その優美な歌風で知られます。貴族の交流を通じて文化の発展に寄与し、和歌壇で高く評価されました。応徳2年(1085年)に没し、その歌は後世の歌人たちに受け継がれています。
1085年
応徳
10月21日
橘為仲
歌人
1014年
ポルトゥカーレ伯エンリケの妃
ポルトゥカーレ伯エンリケの妃
レオン王国出身でポルトゥカーレ伯エンリケと結婚し、ポルトガル誕生の基礎を築いた王妃。
テレサ・デ・レオンは1080年ごろにレオン王アルフォンソ6世の庶子として生まれました。1093年にエンリケ・ベルナンブーの子息エンリケと結婚し、ポルトゥカーレ伯領の統治を支えました。夫の死後、息子アフォンソ・エンリケの摂政として地域の基盤を整備し、後のポルトガル王国成立につながる政治的礎を築きました。居城においては修道院の支援にも尽力し、文化・宗教面でも影響を与えました。1130年に没し、息子の治世へとつながる足跡を残しました。
1130年
テレサ・デ・レオン
ポルトゥカーレ伯エンリケ
1080年
平安時代・鎌倉時代の公卿
平安時代・鎌倉時代の公卿
平安時代末から鎌倉時代初期にかけて宮廷で高い地位にあった公卿。
松殿師家は1172年に生まれ、藤原北家松殿流の嫡流として宮廷に仕えました。摂家将軍として権勢を誇った父・松殿教家の跡を継ぎ、後白河法皇や土御門上皇の側近として政務にあたりました。承久の乱後の鎌倉幕府成立期には公卿として幕府と朝廷の調整を行い、幕藩関係の確立に寄与しました。文化面でも和歌や蹴鞠など貴族文化を支え、その家風は後世に伝えられました。1238年に没しました。
1238年
嘉禎
10月4日
松殿師家
平安時代
鎌倉時代
公卿
1172年
南朝方の武将
南朝方の武将
南北朝時代の南朝方で活躍した武将。
新田義興は1331年に生まれ、鎌倉幕府滅亡後の南北朝時代に南朝方を代表する武将となりました。父の新田義貞とともに後醍醐天皇方に与して北朝勢力と戦い、各地で軍功を挙げました。武士団の統率に優れ、義興自身も数々の合戦で采配を振るいました。戦乱の中で領地の安定と住民保護に努め、南朝の支援基盤を築きました。1358年に没しましたが、その功績は後世の武将たちにも語り継がれています。
1358年
正平
延文
10月10日
新田義興
南朝
武将
1331年
人文主義者
人文主義者
15世紀末から16世紀初頭に活躍した東ヨーロッパの人文主義者。
ボフスラフ・ハシシュテインスキー=ロプコヴィツは1460年代ごろに貴族の家系に生まれ、イタリアをはじめとするヨーロッパ各地で古典学を学びました。ギリシア語やラテン語の古典作品を研究・翻訳し、母国へ人文主義の知識を紹介しました。学術研究のほか、教育機関の設立支援や若手学者の後援にも努め、知的交流の促進に貢献しました。亡き後も彼の写本や研究書は各地の図書館で珍重されました。
1510年
ボフスラフ・ハシシュテインスキー=ロプコヴィツ
人文主義者
1460年
1461年
安芸国の戦国大名
安芸国の戦国大名
戦国時代の安芸国を治めた武将で武田氏の一門。
武田元繁は1467年に生まれ、武田氏の分家として安芸国を領しました。地域の統治と防衛を任され、周辺の国人領主との抗争を指揮しました。また水利や治水にも力を注ぎ、領民の生活基盤を支えました。連携を深めた周防国の大内氏らとの同盟関係を活かし、地域安定に寄与しました。1527年に没し、その支配は子孫へと継承されました。
1527年
永正
10月28日
武田元繁
安芸国
戦国大名
1467年
宇都宮藩主
宇都宮藩主
江戸時代初期の宇都宮藩第2代藩主。
奥平家昌は1577年に生まれ、徳川家康の下で功績を挙げた武将・奥平信昌の子として育ちました。家康の関東入国後に宇都宮藩主に封じられ、藩政の基礎を固めました。藩領の産業振興や城下町の整備に努め、治安維持にも尽力しました。学問や文化面でも藩校の設立を支援し、幕府との関係強化に寄与しました。1614年に没し、その統治は後の藩主へと受け継がれました。
1614年
慶長
奥平家昌
宇都宮藩主
1577年
医師、王立協会創設メンバー
医師
王立協会創設メンバー
イギリスの医師で近代神経学の父と称される王立協会創設メンバー。
トーマス・ウィリスは1621年にウォリックシャーで生まれ、オックスフォード大学で医学を学びました。人間の脳と神経系の解剖学的研究を行い、『脳の解剖学』などの著作で知られます。脳室液(脳脊髄液)の発見や脳神経の命名に貢献し、神経学の基礎を築きました。1660年に王立協会の設立メンバーとなり、科学の共同研究を推進しました。1675年に没するまで多岐にわたる研究を続け、後世の医学発展に大きな影響を与えました。
1675年
トーマス・ウィリス
王立協会
1621年
コンデ公
コンデ公
17世紀フランスの貴族・軍人。ラ・コンデ公として知られ、三十年戦争で指揮を執った。
フランスの貴族・軍人として生まれ、ラ・コンデ公の称号で知られる。
三十年戦争ではフランス軍の若き司令官として活躍し、“勇戦のプリンス”と讃えられた。
1648年のマンステルベン会議では和平交渉にも参加。
晩年はルイ14世との対立から反乱を起こしたが、後に和解した。
その華々しい軍歴と宮廷での波乱に満ちた生涯は、フランス史に大きな足跡を残した。
1686年
ルイ2世
コンデ公
1621年
哲学者
哲学者
人間を機械と見なす唯物論を展開し、『人間機械論』を著したフランスの哲学者。
1709年にフランスで生まれ、身体現象を物理化学的に解明しようと試みた。
人間の精神活動まで自然現象と捉え、『人間機械論』で大胆に機械論的世界観を提示。
当時の宗教・哲学界に激しい議論を呼び、唯物論思想の先駆けとなった。
啓蒙思想家としてデカルトやスピノザの影響を受けつつも、独自の思想を打ち立てた。
その思想は後の生物学・心理学の発展にも影響を与えた。
1751年
ジュリアン・オフレ・ド・ラ・メトリー
哲学者
1709年