慶長3年10月9日
慶長の役・順天城の戦い終結:順天城を包囲していた明・朝鮮水軍が古今島に撤退する。
1598年11月7日に慶長の役の一戦、順天城の包囲戦が終結し、明・朝鮮連合軍が古今島へ撤退しました。戦役末期の重要な転機となりました。
慶長の役(文禄・慶長の役)は1592年から始まった豊臣秀吉の朝鮮出兵です。
その終盤にあたる順天城の戦いでは、明・朝鮮連合軍が城を包囲していました。
1598年11月7日、包囲中だった連合軍が補給線の混乱や寒波により撤退を決断し、古今島へ撤退しました。
この撤退により日本軍の占領地が縮小し、秀吉の死去も相まって撤兵への流れが加速しました。
戦いは東アジア情勢に大きな影響を与え、江戸幕府による鎖国政策の契機の一つとも言われています。
現在でも順天城の跡は韓国に史跡として残り、戦史研究の対象となっています。
1598年
慶長
10月9日
慶長の役
順天城の戦い
順天城
明
朝鮮