1003年

ヨハネス17世

ローマ教皇

ローマ教皇
西暦1003年に即位したローマ教皇。短期間の在位ながら教会改革に尽力したとされる。
ヨハネス17世(在位1003年)は、西暦5月から11月まで教皇職を務めた。 彼の治世は短かったものの、教皇領の財政立て直しを図った。 教会内部の腐敗是正を目指し、聖職者の規律強化を試みた。 当時の政治的権力者であったドゥースモンテ家との関係が深かった。 歴史書では在位期間の長さよりも宗教改革への姿勢が評価される。 1003年11月6日に死去し、後任の教皇ヨハネス18世に引き継がれた。
1003年 ヨハネス17世 ローマ教皇
寛喜3年10月11日

土御門天皇

(1196 - 1231)

第83代天皇

第83代天皇
鎌倉時代の第83代天皇。後鳥羽天皇の第一皇子として誕生し、幼くして即位した。
土御門天皇(1196年-1231年)は、日本の第83代天皇(在位1198-1210年)である。 後鳥羽天皇の第一皇子として誕生し、幼くして践祚した。 在位中は鎌倉幕府の執権北条氏の影響力が強まる時代であった。 1210年に退位し、出家後も院政にはあまり関与しなかった。 1231年10月11日(寛喜3年)に薨去し、法名は慧光と伝わる。 その治世は幕府との微妙な関係と退位後の静かな余生が特徴である。
1231年 寛喜 10月11日 土御門天皇 天皇 1196年
康元元年10月18日

中山忠定

(1188 - 1256)

公卿

公卿
鎌倉時代の公卿。
1256年 康元 10月18日 中山忠定 公卿 1188年
1406年

インノケンティウス7世

(1336 - 1406)

ローマ教皇

ローマ教皇
西暦1404年から1406年まで在位したローマ教皇。
インノケンティウス7世(1336-1406)は、1404年にローマ教皇に選出された。 西方教会大分裂の最中、ローマ派の立場を固守した指導者である。 教会の権威回復と統一を目指し、アヴィニョン教皇派との和解交渉を試みた。 経済的困窮に苦しむ教皇領の再建策を打ち出し、教皇裁判制度を整備した。 しかし内部対立と財政難により改革は途中で停滞した。 1406年11月6日にローマで没し、その志は後継者によって引き継がれた。
1406年 インノケンティウス7世 1336年
慶長5年10月1日

石田三成

(1560 - 1600)

大名、五奉行の1人

大名 五奉行の1人
豊臣秀吉に仕えた武将・行政官で、関ヶ原の戦いで西軍を率いた。
石田三成(1560-1600)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した大名である。 豊臣秀吉の五奉行の一人として、検地や課税制度の整備に尽力した。 領民に対する行政改革を行い、近江長浜城主として治世を行った。 1600年、関ヶ原の戦いで西軍の司令官として大谷吉継らと共に戦った。 敗北後、捕えられた後に徳川家康に処刑された。 彼の厳格な政治姿勢と忠誠心は、後世の物語や演劇で描かれ続けている。 残された書簡や文書は当時の行政手法を知る貴重な史料となっている。 後世には忠義の象徴として評価される人物である。
1600年 慶長 10月1日 石田三成 五奉行 1560年
慶長5年10月1日

小西行長

(1558 - 1600)

大名

大名
キリシタン大名として知られる戦国武将。朝鮮出兵で活躍し、関ヶ原の戦いに敗れた。
小西行長(1558-1600)は、キリスト教に帰依した戦国時代の大名である。 豊臣秀吉に登用され、朝鮮への文禄・慶長の役で大軍を指揮した。 九州の領地を与えられ、領民へのキリシタン布教を奨励した。 外交交渉にも携わり、南蛮貿易の促進に寄与した。 関ヶ原の戦いでは西軍の主要武将として活躍したが、敗北した。 敗戦後に捕らえられ、処刑された生涯は波乱に満ちていた。 当時の西洋文化と日本社会の接点を体現する人物として知られる。 映画や小説の題材としても人気が高い。
慶長 10月1日 小西行長 1558年
慶長5年10月1日

安国寺恵瓊

臨済宗の僧侶、毛利氏の外交僧

臨済宗の僧侶 毛利氏の外交僧
毛利氏の外交僧として知られる臨済宗の僧侶。豊臣政権と交渉した。
安国寺恵瓊(?-1600)は、毛利氏に仕えた臨済宗の高僧である。 外交官としての才覚に優れ、豊臣秀吉との和睦交渉を担当した。 築城や軍事面でも助言を行い、外交僧として重用された。 関ヶ原の戦いでは毛利軍を支援し、西軍の一翼を担った。 敗戦後に捕らえられ、岡山で処刑されたと伝わる。 博識で交際範囲が広く、当時の政治舞台で重要な役割を果たした。
慶長 10月1日 安国寺恵瓊 臨済宗 毛利氏 1539年
慶長19年10月5日

教如

(1558 - 1614)

真宗大谷派の祖

真宗大谷派の祖
浄土真宗大谷派の僧侶・宗主。宗派の分裂後に東本願寺を率いた。
教如(1558-1614)は、浄土真宗本願寺派の宗主・僧侶である。 本願寺第11代法主・顕如の子として誕生し、後に東本願寺を率いた。 石山本願寺の戦いを経て、豊臣秀吉に許されて教団の再興に努めた。 派閥争いの末に本願寺は東西に分裂し、教如は東本願寺を統括した。 その統率力と説法は信徒から高く評価され、多くの寺院を整備した。 1614年に没し、後継者によって東本願寺の基盤が受け継がれた。 霊的指導者としての業績は江戸時代以降の真宗史に大きな影響を与えた。 信仰と政治の狭間で活躍した僧侶として知られる。
1614年 慶長 10月5日 教如 真宗大谷派 1558年
1656年

ジャン=バチスト・モラン

(1583 - 1656)

天文学者

天文学者
フランスの天文学者・数学者。暦法改革に関する研究で知られる。
ジャン=バチスト・モラン(1583-1656)は、フランスの天文学者・数学者である。 天体の運行観測や暦法改革に関する著作を多数残した。 『暦法表』などの著作でフランス王室からの信任を得た。 占星術にも関心を持ち、天文学と結びつけた研究を行った。 科学アカデミー設立の構想に参加したとされるが、実現しなかった。 数学では三角法や球面三角法の研究を行い、理論を体系化した。 パリで没後も著作はヨーロッパ各地で読まれ続けた。 17世紀科学革命期の重要人物の一人として評価される。
1656年 ジャン=バチスト・モラン 天文学者 1583年
1656年

ジョアン4世

(1604 - 1656)

ポルトガル王

ポルトガル王
ポルトガル王(在位1640-1656)。ポルトガル独立回復を果たした君主。
ジョアン4世(1604-1656)は、ポルトガルの国王(在位1640-1656)である。 1640年のスペインからの独立革命を主導し、王政復古を成し遂げた。 革命後、スペインとの戦争を継続し、主権を確立した。 植民地再編や海軍力強化に努め、帝国の再興を図った。 芸術文化の保護者として宮廷に画家や詩人を集めた。 64箇条の王令を発布し、行政改革を断行した。 リスボンに静かな最期を迎え、その功績は『独立の父』と称えられる。 ポルトガル史における国民的英雄として知られている。
ジョアン4世 ポルトガル王 1604年
1672年

ハインリッヒ・シュッツ

(1585 - 1672)

作曲家

作曲家
17世紀ドイツの作曲家。ヴェネツィア楽派の様式を取り入れ、宗教音楽の発展に貢献した。
1585年にドイツのケストリッツで生まれた。 ヴェネツィアの聖マルコ大聖堂でジョヴァンニ・ガブリエーリに師事し、ポリコラル様式を学ぶ。 帰国後はドレスデン宮廷楽長として活躍し、多くの宗教作品を作曲した。 代表作に《聖務曲集(Musikalische Exequien)》や《聖歌の交響曲(Symphoniae sacrae)》がある。 バロック音楽の先駆者として後世の作曲家に大きな影響を与えた。 1672年にドレスデンで死去した。
1672年 ハインリッヒ・シュッツ 作曲家 1585年
宝永4年10月13日

服部嵐雪

(1654 - 1707)

俳諧師

俳諧師
江戸時代の俳諧師。松尾芭蕉の高弟として蕉風俳諧を継承・発展させた。
1654年に伊勢国で生まれる。 松尾芭蕉門下に入り、蕉風の俳諧を学ぶ。 数多くの句集や随筆を著し、俳諧師として名声を得た。 自然や日常生活を詠み込んだ簡潔な句風が特徴。 1707年に没し、その作品は後世に影響を与え続けている。
1707年 宝永 10月13日 服部嵐雪 俳諧師 1654年