1737年

サン・カルロ劇場が開場。

イタリア・ナポリにあるヨーロッパ最古級のオペラハウス、サン・カルロ劇場が正式に開場しました。
1737年11月4日、ナポリ王カルロ7世の後援を受けたサン・カルロ劇場が華々しくオープンしました。建築には当時の最新技術が取り入れられ、約3000席を擁する壮麗な内部装飾が特徴です。初演作品はトマゾ・アルビノーニ作曲のオペラで、貴族や王族が多数訪れました。その後、ヨーロッパ各地の劇場設計に影響を与え、オペラ史に残る名門劇場として知られています。現在も世界最古の現役オペラハウスとして文化遺産に指定されています。
1737年 サン・カルロ劇場
1783年

モーツァルトの『交響曲第36番〈K.425 リンツ〉』が初演。この日の演奏会のために4日間で作曲された。

モーツァルトが旅先のリンツでわずか4日間で作曲した交響曲第36番「リンツ」が初演されました。
1783年11月4日、ウィーンからリンツへ滞在中のヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは、現地の音楽愛好家から依頼を受けて交響曲第36番を急遽作曲。11月4日にリンツ大聖堂で初演され、大きな喝采を浴びました。本作は生き生きとした序奏と軽快なリズムが特徴で、モーツァルトの即興的作曲能力とメロディーメーカーとしての才覚が凝縮されています。以後「リンツ交響曲」として知られ、後世の交響曲作曲家にも影響を与えました。
1783年 モーツァルト 交響曲第36番
1922年

ハワード・カーターがツタンカーメン王の墓の入口を発見。

エジプトの考古学者ハワード・カーターがツタンカーメン王墓の入口を初めて発見した。
1922年11月4日、イギリスの考古学者ハワード・カーターはエジプト王家の谷にあるツタンカーメン王の墓の入口を初めて発見しました。 当時、資金提供者は第5代カーナーボン伯爵で、両者は長年の捜索の末に貴重な古代エジプト文明の遺産を世に示しました。 墓内部はほぼ完全な状態で、多数の副葬品や黄金のマスクなどが残されており、考古学史上最大級の成果とされます。 発掘調査は1923年から本格化し、広大な壁画や彫像、宝飾品の数々が公開され、博物館展示に大きな影響を与えました。 この発見は「ツタンカーメンの呪い」伝説を生み、世界中の注目を集めるきっかけとなりました。
1922年 ハワード・カーター ツタンカーメン
1946年

ユネスコ憲章が発効し、国連教育科学文化機関(ユネスコ)発足。

1946年にユネスコ憲章が発効し、国連教育科学文化機関(ユネスコ)が発足した。
1946年11月4日、正式にユネスコ憲章が発効し、国連教育科学文化機関(UNESCO)が創設されました。 同機関は第二次世界大戦の悲惨な教訓を踏まえ、教育や科学、文化を通じた国際協力と理解促進を目的としています。 設立当初は37か国が加盟し、平和構築や文化遺産保護、識字率向上など幅広い活動を展開してきました。 世界遺産条約の推進や国際教育プログラム、文化交流事業などはUNESCOの代表的な取り組みです。 現在も世界各地で教育機会の拡大や科学技術の普及、文化多様性の保護に寄与しています。
1946年 ユネスコ憲章 国連教育科学文化機関
1955年

第二次世界大戦中に爆撃で破壊されたウィーン国立歌劇場が再建。

ウィーン国立歌劇場が第二次世界大戦の爆撃から再建され、文化の灯が復活。
第二次世界大戦中の1945年3月12日、連合軍の空襲で大きく損壊したウィーン国立歌劇場。 戦後10年の歳月を経て、1955年11月4日に修復工事が完了し、華麗な舞台が再び開幕。 建築当初のバロック様式を忠実に再現し、音響・観客席も最新設備を導入。 オープニングには「ばらの騎士」などの名作が上演され、欧州文化の復興を象徴。 以後、ウィーンの文化都市としての地位を不動のものとした。
1955年 ウィーン国立歌劇場