1502年

アントニオ・ベニヴィエニ

(1443 - 1502)

医師

医師
ルネサンス期に活躍したイタリアの医師。 病理解剖学を先駆的に試みた先駆者。
1443年にフィレンツェ近郊で生まれる。 解剖学と病理学の研究に取り組み、死因究明のための解剖を実施。 主要著作『医師の作品』で病理解剖学の成果をまとめ、後世に影響。 医学教育の重要性を説き、フィレンツェ大学とも交流。 1502年に没した後も、近代病理学の礎を築いた人物として評価される。
1502年 アントニオ・ベニヴィエニ イタリア語版 1443年
1716年

エンゲルベルト・ケンペル

(1651 - 1716)

医師、博物学者

医師 博物学者
ドイツ生まれの医師・博物学者。江戸幕府にて日本を調査し『日本誌』を著した。
1651年にドイツのレムゴーで生まれる。 オランダ東インド会社の医師として1690年から1692年まで長崎の出島に滞在。 日本の歴史・文化・自然に関する膨大な資料を収集した。 1691年に日本の茶道や鍼治療についても詳細に記録。 帰国後、著書『日本誌』を執筆し、西洋に日本研究の基礎を築いた。 1716年に没した。
1716年 エンゲルベルト・ケンペル 医師 博物学者 1651年
1840年

アンソニー・カーライル

(1768 - 1840)

外科医

外科医
イギリスの外科医・科学者。水の電気分解を共同発見した。
1768年にイギリスで生まれる。 外科医としてロンドン病院に勤める。 1800年にウィリアム・ニコルソンと共に電気分解の法則を発見。 学術誌に論文を発表し、科学界に大きな影響を与えた。 ロイヤル・ソサエティ会員として数多くの研究に携わる。 1840年に没した。
1840年 アンソニー・カーライル 1768年
1863年

セオドア・ジュダ

(1826 - 1863)

鉄道土木技師

鉄道土木技師
アメリカ合衆国の鉄道土木技師で、太平洋横断鉄道構想の先駆者です。シエラネバダ山脈越えルートを調査しました。
セオドア・ジュダは1826年アメリカで生まれ、鉄道建設技術の発展に寄与しました。特にシエラネバダ山脈越えの最適ルートを調査し、中央太平洋鉄道会社の設立を推進しました。彼の献身的な努力がなければ、アメリカ大陸横断鉄道は実現しなかったとされます。建設資金の調達や政治的調整にも携わり、鉄道網の基礎を築きました。1863年11月2日に没し、その志は後継者によって引き継がれました。
1863年 セオドア・ジュダ 英語版 1826年
1874年

トーマス・アンダーソン

(1819 - 1874)

化学者

化学者
スコットランド出身の化学者で、天然物の研究を行いました。オピウムアルカロイドの分析で知られています。
トーマス・アンダーソンは1819年にスコットランドで生まれた化学者です。オピウムからコデインなどのアルカロイドを分離・同定する研究で業績を挙げました。王立協会の会員としても活動し、教職にも就きました。有機化学の手法改良に貢献し、医薬品化学の発展に影響を与えました。1874年11月2日に亡くなり、その研究成果は後世の化学者に受け継がれました。
1874年 トーマス・アンダーソン 英語版 1819年
1905年

アルベルト・フォン・ケリカー

(1817 - 1905)

解剖学者、生理学者

解剖学者 生理学者
スイス出身の解剖学者・生理学者で、組織学の先駆者です。細胞構造の研究で知られています。
アルベルト・フォン・ケリカーは1817年にスイスで生まれ、医学と生理学の卓越した研究で名を馳せました。微細構造の観察技術を発展させ、後の組織学研究の基盤を築きました。特に神経組織や感覚器官の細胞構造解明に貢献し、多くの論文を発表しました。王立協会外国人会員や各国の学術団体から高い評価を受けました。1905年11月2日に没し、その業績は近代生物学に大きな影響を残しました。
1905年 アルベルト・フォン・ケリカー 1817年
1913年

ラディスラス・ワイネック

(1848 - 1913)

天文学者

天文学者
オーストリアの天文学者で、月面の写真観測を先導しました。
ラディスラス・ワイネックは1848年に当時のオーストリア=ハンガリー帝国で生まれました。天体写真術の発展に貢献し、月面の詳細な写真観測を行いました。月の地形図作成に携わり、多くのクレータや地形が命名されました。ケプラー天文台の台長を務め、観測器械の改良にも取り組みました。1913年11月2日に没し、彼の名を冠した月のクレータが残されています。
1913年 ラディスラス・ワイネック 天文学者 1848年
1922年

坪井玄道

(1852 - 1922)

体育学者

体育学者
日本の体育学者で、スウェーデン体操を日本に紹介した先駆者。
1852年に江戸(現・東京)で生まれる。 ドイツやスウェーデンに留学し、近代体操の技術を学ぶ。 帰国後、東京帝国大学で体育教育の普及に尽力。 日本初の体育学科設立に関与し、多くの体育教員を育成。 著書『体操講義』などで理論と実技を体系化。 1922年に亡くなるまで日本の体育振興に貢献した。
1922年 坪井玄道 体育学者 1852年
1936年

マーチン・ローリー

(1874 - 1936)

化学者

化学者
イギリスの化学者で、酸塩基理論の基礎を築いた。
1874年にイギリスで生まれる。 ケンブリッジ大学で化学を学び、物理化学に寄与。 ブレンステッドと共にブレンステッド・ローリーの酸塩基論を提唱。 気体の熱化学や溶液の研究にも成果を残した。 1936年に死去するまで化学教育・研究に貢献した。
マーチン・ローリー 化学者 1874年
1944年

トマス・ミジリー

(1889 - 1944)

化学者

化学者
アメリカの化学者・発明家で、鉛添加ガソリンなどを開発。
1889年にアメリカで生まれる。 イェール大学で化学を学び、その後化学工業に従事。 ガソリンへの鉛添加を開発し、動力性能を向上させた。 また、フロン(CFC)の研究にも携わった。 ポリオに罹患し、自作の補助器具事故で1944年に亡くなる。
1944年 トマス・ミジリー 1889年
1966年

ピーター・デバイ

(1884 - 1966)

物理学者、化学者

物理学者 化学者
ノーベル化学賞を受賞し、分子理論や結晶物理学の発展に大きく貢献した科学者。
1884年にオランダで生まれたピーター・デバイは、分子の双極子モーメントや結晶理論の研究で世界的に知られました。 1936年には分子双極子モーメント理論によりノーベル化学賞を受賞。 デバイモデルやデバイ・フック理論などの先駆的業績は、物理化学の基礎を築きました。 戦後はスイス連邦工科大学やイスラエル工科大学で後進を育成し、国際的な研究ネットワークを構築。 1966年に死去し、現在も理論物理・物理化学の巨人として称えられています。
ピーター・デバイ 物理学者 化学者 1884年
1967年

恒藤恭

(1888 - 1967)

法学者

法学者
民法や憲法の研究に尽力し、法学教育の発展に寄与した日本の法学者。
1888年に生まれた恒藤恭は、東京帝国大学で法学を学び、その後同大学教授として教鞭を執りました。 民法や憲法を専門とし、理論的な法思想の構築に貢献。 戦前・戦後の法制改革にも参与し、実務と学問を橋渡ししました。 多数の著作・論文を通じて法学教育の基盤を固め、後進の育成にも力を注ぎました。 1967年に逝去し、日本法学界に大きな足跡を残しました。
1967年 恒藤恭 法学者 1888年