1873年
東京・神田川の万世橋が竣工。
東京・神田川に架かる万世橋が完成し、日本の近代インフラ整備を象徴する一歩となりました。
1873年11月1日に東京・神田川に架かる万世橋が竣工しました。この橋は中央線の鉄道橋として建設され、日本の近代インフラ整備の一翼を担いました。アーチ形の鉄橋構造で、当時の土木技術の粋を集めています。開通により東京の東西連絡が強化され、市街地の発展に寄与しました。万世橋は後に歩道橋や展示スペースとして活用され、現在も地域の歴史的遺産として親しまれています。
1873年
神田川
万世橋
1880年
官設鉄道の全列車で日本人運転士が乗務開始。
官設鉄道の全列車に日本人運転士が乗務を開始し、鉄道運行の国産化が進みました。
1880年11月1日、官設鉄道の全列車に日本人運転士が乗務を開始しました。これまで多くの区間で外国人技師が担当していた鉄道運転業務が国産化され、鉄道技術者育成の契機となりました。国内の鉄道運行管理が日本人の手に移り、運輸事業の自主性と安全性が向上しました。鉄道技術の標準化や教育制度の整備が進み、全国規模の鉄道網拡大を支えました。
1897年
東武鉄道創立。
東武鉄道が創立され、関東地方の鉄道ネットワーク拡充が始まりました。
1897年11月1日、東武鉄道が創立されました。関東地方における私鉄網の拡大と地域開発の一翼を担い、後に東京から日光方面へのアクセス向上に貢献しました。設立当初は浅草駅を起点とし、旅客輸送と貨物輸送の両面で役割を果たしました。
1897年
東武鉄道
1911年
朝鮮・満洲国境の鴨緑江に鴨緑江橋梁が開通。京義線と満鉄安奉線が接続される。
京義線と満鉄安奉線を結ぶ鴨緑江橋梁が開通し、朝鮮と満洲の鉄道網が直結しました。
1911年11月1日、朝鮮と満洲の国境を流れる鴨緑江に鴨緑江橋梁が開通しました。これにより京義線と満鉄安奉線が直結し、朝鮮半島と満洲を結ぶ鉄道網が形成されました。橋梁は鋼鉄製トラス構造で建設され、当時の技術力を示しています。軍事・物資輸送の効率が向上し、地域の経済活動にも大きな影響を与えました。
1911年
朝鮮
満洲
鴨緑江
鴨緑江橋梁
京義線
満鉄
安奉線
1913年
常総鉄道(現関東鉄道常総線)取手駅 下館駅間開業。
常総鉄道が取手駅から下館駅までの区間を開業し、地域交通の利便性が向上しました。
1913年11月1日、常総鉄道の取手駅から下館駅間が開業しました。茨城県を南北に結ぶ路線として、農産物輸送や通勤輸送の利便性を向上させました。現在は関東鉄道常総線として運行され、地域の重要な交通手段として親しまれています。
1913年
関東鉄道常総線
取手駅
下館駅
1914年
岩越線(現在の磐越西線)・郡山 新津が全通。東北本線・磐越西線経由で上野 新潟の直通運転を開始。
磐越西線の前身である岩越線の郡山–新津間が開通し、上野と新潟を直通する列車運行が始まりました。
1914年11月1日、岩越線(現在の磐越西線)の郡山から新津間が開通し、東北本線・磐越西線経由で上野と新潟を直通する列車の運行が始まりました。 この開通により首都圏と日本海側とのアクセスが飛躍的に向上し、物流や旅客輸送に大きな変化をもたらしました。 それまで新潟へ向かうには迂回路線を利用する必要がありましたが、直通運転開始後は所要時間が大幅に短縮されました。 地元経済にもプラスの影響を与え、沿線地域の発展を促しました。 現在の磐越西線は観光路線としても知られ、四季折々の風景を楽しめる路線として人気を集めています。
磐越西線
郡山
新津
東北本線
上野
新潟
1925年
神田 上野の高架線路が開通し、山手線が環状運転を開始。
神田–上野間の高架線が完成し、山手線の環状運転が可能になりました。
1925年11月1日、東京・神田から上野にかけて鉄道高架線が開通し、山手線は初めて環状運転を開始しました。 これまで各駅間で分断されていた線路がひと繋がりになり、東京都心部の鉄道ネットワークが一体化されました。 駅周辺の踏切事故や渋滞も解消され、安全性と輸送力が大幅に向上しました。 電化や自動信号設備との組み合わせで運行頻度が増加し、沿線住民や通勤客に恩恵をもたらしました。 現在も山手線は英国式ループラインとして世界的に知られ、多くの乗客に利用されています。
1925年
神田
上野
山手線
1930年
日比谷交差点に国内初の自動交通信号が登場(米国製)。
東京・日比谷交差点に日本初の自動交通信号機が設置されました。
1930年11月1日、東京・日比谷交差点に米国製の自動交通信号機が初めて設置されました。 それまで手動で信号を切り替えていた方式から、電気制御による自動化が導入された画期的な事例です。 導入当時は点滅パターンや色識別に慣れないドライバーも多く、試験運用や調整が繰り返されました。 しかし交通整理の効率が飛躍的に向上し、事故防止や渋滞緩和にも寄与しました。 以後、他の主要交差点にも順次信号機が普及し、都市交通の近代化を支えました。
1930年
日比谷
交通信号
1930年
名古屋市で市営電気バス登場。
名古屋市交通局が日本初の市営電気バスを導入しました。
1930年11月1日、名古屋市交通局は国内初となる市営電気バスの運行を開始しました。 バッテリー駆動の静粛な車両で、当時のガソリン車に比べて騒音や排気ガスが少ない点が注目されました。 運行路線は市内中心部を結び、通勤や買い物客の利便性向上に寄与しました。 しかし当時のバッテリー技術の制約から航続距離が限られ、翌年以降の改良や他方式との併用が検討されました。 電気バスの試みは後年の環境配慮型交通の先駆けとなり、現在の電動交通システムにつながっています。
名古屋市
電気バス
1934年
南満洲鉄道が特急列車「あじあ」の運行を開始。
南満洲鉄道が豪華客車を用いた特急列車「あじあ」を運行開始しました。
1934年11月1日、南満洲鉄道は東京–新京(現長春)間を結ぶ特急列車「あじあ」の運行を開始しました。 当時としては高速運転が可能な機関車と豪華客車を組み合わせ、快適な長距離移動を実現しました。 車内には食堂車や寝台車が設置され、旅客サービスの水準を大きく引き上げました。 満洲地区の開発促進や日本本土との人的・物的交流に貢献し、鉄道輸送の象徴的存在となりました。 以降、アジア近代化の一翼を担う列車として高い評価を受けました。
1934年
南満洲鉄道
特急列車
あじあ
1949年
日本で、道路交通取締法改正により、歩行者は右側、車は左側の対面交通に。
道路交通取締法が改正され、歩行者は右側、車両は左側の対面交通に変更されました。
日本の道路交通に関する大規模な制度改正が行われ、歩行者は道路の右側を、車両は左側を通行する対面交通方式が導入されました。これにより道路利用者の動線が整理され、事故防止や交通安全の向上が期待されました。改正法は都市部だけでなく全国に適用され、自動車普及期の混乱を緩和する狙いもありました。新ルールの周知のため、警察や自治体は広報活動を強化し、標識や道路標示の整備を進めました。現在の日本の通行方式はこの改正に起因しています。
1949年
対面交通
1952年
ラジオ静岡(現:静岡放送)開局。
静岡県初の民間ラジオ局、ラジオ静岡が開局しました。
1952年11月1日、静岡県で初めての民間ラジオ局としてラジオ静岡(現:静岡放送)が放送を開始しました。開局当初から地域ニュースやコミュニティ番組を中心に編成され、県内各地の情報発信拠点となりました。東海道本線沿線の住民を中心に親しまれ、音楽番組や生放送トークなど多彩なコンテンツで人気を博しました。放送技術の進化とともに送信機能を強化し、さらに広範囲に番組を届ける体制を整えました。現代に至るまで地域密着型メディアとして静岡県民の日常に根ざしています。
静岡放送