1675年
ゴットフリート・ライプニッツが初めて積分の記号に長いs(∫)を使用する。
1675年、ライプニッツが積分の記号として長いs(∫)を初めて使用し、現代的な表記法を確立した。
1675年10月29日、ゴットフリート・ライプニッツが初めて積分の記号として長いs(∫)を用いた。
この表記はラテン語のsumma(総和)を示すsから着想を得ている。
ライプニッツは微分積分学の体系化を進める中で、積分演算を明確に表す記号を模索していた。
∫記号は後に世界中の数学者に受け入れられ、現在も積分の標準表記として用いられている。
この功績によりライプニッツは数学史における重要人物の一人に数えられている。
1675年
ゴットフリート・ライプニッツ
積分
長いs
1969年
ARPANETによるコンピューター同士の接続が初めて行われる。
1969年10月29日、ARPANETで初めてコンピューター同士のネットワーク接続が成功しました。
アメリカ国防総省の研究機関DARPAによって開発されたARPANETは、この日カリフォルニア大学ロサンゼルス校とスタンフォード研究所の間で初のホスト間通信を行いました。
送信された最初のメッセージはLOまで到達した後システムがクラッシュしましたが、その後完全な通信が回復しました。
この成功はインターネットの直接的な祖先とされ、分散型ネットワークの実用性を証明しました。
以後、ARPANETは急速に拡大し、大学や研究機関、政府機関間のデータ交換基盤として不可欠な存在となりました。
現代インターネットの基礎を築いた歴史的瞬間です。
1969年
ARPANET
コンピューター
1969年
ソニー、松下電器、日本ビクター等が家庭用ビデオテープレコーダ(U規格)の開発を発表。
1969年10月29日、ソニー、松下電器、日本ビクターなどが家庭用ビデオテープレコーダ(U規格)の開発を発表しました。
家電大手のソニー、松下電器(現パナソニック)、日本ビクター(現JVC)は共同で家庭用ビデオテープレコーダのU規格を提唱し、開発を発表しました。
この規格は家庭での映像録画を一般消費者に広める試みとして注目を集めました。
当時、映像メディアは主にテレビ放送の再生に限られていましたが、VTR技術の普及が一大ブームを巻き起こしました。
U規格は後のベータ方式やVHS方式に先駆ける形で市場競争の幕開けを告げ、その後のビデオ文化の発展に影響を与えました。
また、家電メーカー間の規格争いという産業構造の象徴的な出来事ともなりました。
ソニー
松下電器
日本ビクター
ビデオテープレコーダ
U規格
1969年
厚生省が発癌性の疑いがあるとして人工甘味料チクロの使用を禁止。
1969年10月29日、厚生省が人工甘味料チクロの使用を発がん性の疑いから禁止しました。
厚生省は同年、動物実験でチクロに発がん性が示唆された結果を重視し、食品添加物としての使用を一斉に禁止しました。
これにより、菓子や飲料に利用されていたチクロは市場から姿を消し、食品メーカーは代替甘味料の開発を急務としました。
消費者の間には人工甘味料への不信感が広がり、食品安全に対する意識が高まりました。
本規制は日本の食品行政における科学的根拠に基づく先駆的な事例とされ、後の政策立案に大きな影響を与えました。
国際的にも人工甘味料の安全性に関する議論を促進し、各国の規制強化へと繋がりました。
チクロ
1988年
セガ・エンタープライゼスがメガドライブ(MEGA DRIVE)を日本で発売。
セガが16ビット家庭用ゲーム機「メガドライブ」を日本で発売し、ゲーム市場を活性化させました。
1988年10月29日、セガ・エンタープライゼス(現セガ)が家庭用ゲーム機「メガドライブ」を日本国内で発売しました。
当時としては高性能な16ビットCPUを搭載し、鮮やかなグラフィックと高品質な音源が特徴でした。
『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』などのヒットタイトルで人気を博し、任天堂との市場競争を激化させました。
メガドライブは世界各国でも展開され、セガを世界的なゲームメーカーへと押し上げる原動力となりました。
セガ・エンタープライゼス
メガドライブ
1991年
アメリカの探査機「ガリレオ」が小惑星ガスプラの近くを通過。史上初の小惑星の接近観測を行う。
NASAの探査機ガリレオが小惑星ガスプラに接近し、史上初の詳細観測を行いました。
1991年10月29日、アメリカ航空宇宙局(NASA)の無人探査機「ガリレオ」が小惑星ガスプラに最接近しました。
距離は約1600kmまで接近し、高解像度カメラによる撮影や表面組成の分析を実施しました。
この観測は人類初となる小惑星の詳細な直接観測であり、微小重力環境下での形状やクレーター構造が明らかになりました。
得られたデータは小惑星起源の解明や将来の探査ミッション計画に大きく貢献しました。
1991年
ガリレオ
ガスプラ
小惑星
1998年
STS 95で77歳のジョン・ハーシェル・グレンがスペースシャトル・ディスカバリーに搭乗。最年長の宇宙飛行者となる。
元宇宙飛行士ジョン・グレンが77歳でSTS-95ミッションに参加し、最年長宇宙飛行者に。
1998年10月29日、元マーキュリー計画飛行士のジョン・グレン(当時77歳)がスペースシャトル・ディスカバリー(STS-95)に搭乗しました。
1962年のマーキュリー計画以来36年ぶりの宇宙への復帰であり、最高齢宇宙飛行者として世界記録を樹立。
ミッションでは微小重力環境が高齢者の健康に与える影響を調査する実験などに参加し、科学研究に貢献しました。
彼の挑戦は年齢や体力の限界に挑む意義深い事例として、多くの人々に勇気を与えました。
STS-95
ジョン・ハーシェル・グレン
スペースシャトル
ディスカバリー
2024年
女川原子力発電所を再稼働。
東北電力女川原子力発電所が再稼働し、10年以上ぶりに国内原発の稼働が再開された。
2024年10月29日、宮城県石巻市の東北電力女川原子力発電所ユニット2が、地震や津波対策など厳格な安全審査を経て再稼働した。
福島第一原発事故以降、国内の原発は長期停止が続いていたが、本再稼働により東北地域の電力安定供給と二酸化炭素排出抑制が期待された。
同発電所は高い耐震性能と最新の津波対策が施されており、地域住民の理解を得るための説明会や安全対策が重視された。
環境影響評価や原子力規制委員会の監視下で運転され、国内のエネルギー政策の一端を担う重要拠点となる。
国や地元自治体は今後も安全管理と情報公開を継続するとしている。
2024年
女川原子力発電所