1268年

コッラディーノ

(1252 - 1268)

シチリア王

シチリア王
13世紀の最後のホーエンシュタウフェン家当主としてシチリア王位を継承。16歳の若さでナポリのチャールズ・ダンジューに敗れ、処刑された悲劇の王。
コッラディーノ(1252年 - 1268年)は、ホーエンシュタウフェン家最後の当主としてシチリア王位を継承した。少年時代から王位を主張し、南イタリアで勢力を強めようとしたが、1268年のタリアコッツォの戦いでナポリ公チャールズに敗北した。戦後、捕らえられてナポリで処刑され、その若き最期はヨーロッパに衝撃を与えた。わずか16歳という年齢で没したことから「悲劇の王」として後世に語り継がれ、文芸作品や歴史書で取り上げられることが多い。彼の死によってホーエンシュタウフェン朝は断絶し、イタリア南部の勢力図が大きく変動した。
1268年 コッラディーノ シチリア王 1252年
1339年

アレクサンドル・ミハイロヴィチ

(1301 - 1339)

トヴェリ大公

トヴェリ大公
14世紀のトヴェリ大公として君臨し、モスクワ大公国と対立した政治家。
アレクサンドル・ミハイロヴィチ(1301年 - 1339年)は、14世紀初頭のトヴェリ大公として即位したルーシ諸侯の一人だ。1326年に父ミハイルの後を継ぎ大公となったが、隣国モスクワ大公国と領土を巡る争いを繰り返した。1327年にノヴゴロドで起きた反乱の疑いをかけられ、モンゴル高原に追放されて一時的に地位を失った。後に地位を回復する努力を続けたが、1339年に命を落とした。彼の治世はトヴェリとモスクワの力関係を左右する重要な時期であった。
1339年 アレクサンドル・ミハイロヴィチ トヴェリ 大公 1301年
正統14年10月13日

尚思達王

(1408 - 1449)

琉球国王

琉球国王
琉球王国第3代国王として即位し、中央集権体制を整備した王。
尚思達王(1408年 - 1449年)は、琉球王国の第3代国王として1444年に即位した王だ。中央集権化を推進し、官僚制度の整備に取り組んだ。中国明朝との朝貢貿易を維持しつつ、琉球独自の文化や貿易ネットワークを発展させた。わずか5年の治世であったが、統治基盤の強化に貢献した。彼の死後も改革の成果は後続王に引き継がれ、琉球王国の繁栄につながった。
1449年 正統 10月13日 尚思達王 琉球国王 1408年
天文7年10月29日

足利義明

(1487 - 1538)

初代小弓公方

初代小弓公方
戦国時代初期に小弓公方を称し、関東地方で勢力を維持した足利一門の武将。
足利義明(1487年 - 1538年)は、戦国時代初期に小弓(おゆみ)の拠点を築き「小弓公方」を称した足利一族の一員だ。関東管領上杉氏の内紛に介入して勢力を拡大し、関東地方で独立的な立場を築いた。室町幕府の権威を背景に地域支配を行い、地元豪族との外交や内政に手腕を発揮した。1538年にその生涯を閉じるまで、公方家としての地位を確立した。彼の行動は関東地方の勢力図に影響を与え、後の群雄割拠時代の端緒となった。
1538年 天文 10月29日 足利義明 小弓公方 1487年
1618年

ウォルター・ローリー

イングランド女王エリザベス1世の廷臣、探検家、詩人

イングランド女王エリザベス1世の廷臣 探検家 詩人
エリザベス1世の廷臣として知られるイギリスの探検家・詩人。新大陸探検や文学活動で名を馳せた。
ウォルター・ローリー(1552年頃 - 1618年)は、エリザベス1世の信任を受けたイングランドの廷臣であり、詩人としても活躍した。南米探検やロアノーク植民地設立などで新大陸探検に貢献し、『ギアナ探検記』などの著作を残した。航海や遠征を通じて獲得した知識を文学に活かし、ルネサンス期の博識人として知られる。権力闘争に巻き込まれ、ジェームズ1世の時代に反逆罪で逮捕された後、1618年に処刑された。ローリー卿としてその華々しい生涯は歴史に刻まれ、多くの物語や研究の題材となっている。
1618年 ウォルター・ローリー イングランド エリザベス1世 探検家 詩人 1552年 1554年
正保2年9月10日

上杉定勝

(1604 - 1645)

第2代米沢藩主

第2代米沢藩主
江戸時代初期の米沢藩第2代藩主として藩政を担った大名。
上杉定勝(1604年 - 1645年)は、江戸時代初期の米沢藩第2代藩主として藩政を担った大名だ。1604年に生まれ、1617年に上杉景勝の養子となり、1622年に藩主を継承した。領内の財政再建や年貢制度の改革に取り組み、藩士団の統制と領民の安定を図った。文化面でも学問や寺社保護を支援し、地域社会の発展に寄与した。1645年に死去するまで、米沢藩の基盤強化を推進し続けた。
1645年 正保 9月10日 上杉定勝 米沢藩主 1604年
1675年

アンドレーアス・ハンマーシュミット

作曲家

作曲家
バロック初期の宗教音楽を代表するドイツの作曲家。
アンドレーアス・ハンマーシュミット(1611/1612年頃 - 1675年)は、ドイツ・バロック期の宗教音楽作曲家だ。プラハやドレスデンで学び、各地の教会で音楽監督を務めた。モテットやカンタータをはじめとする多くの宗教曲を作曲し、その作品数は200曲以上に及ぶ。荘厳さと簡潔さを兼ね備えた作風で評価され、後のバロック音楽に影響を与えた。1675年に没したが、今日も合唱団やオルガニストに演奏され続けている。
1675年 アンドレーアス・ハンマーシュミット 作曲家 1611年 1612年
延宝6年9月14日

徳川綱重

(1644 - 1678)

甲府藩主

甲府藩主
江戸幕府将軍家の分領大名として甲府藩を統治した第2代藩主。
徳川綱重(1644年 - 1678年)は、江戸幕府3代将軍・徳川家光の弟にあたり、甲府藩の第2代藩主を務めた。1659年に藩主に任命され、治水や道路整備などの藩政改革に取り組んだ。領内の財政基盤を強化し、農村復興や検地制度の整備を推進した。武士教育や寺社保護にも力を入れ、藩内の安定を図った。在任中の1678年に病没し、甲府藩の礎を築いた。
1678年 延宝 9月14日 徳川綱重 甲府藩主 1644年
正徳2年9月29日

柳原資廉

(1644 - 1712)

江戸時代の公卿

江戸時代の公卿
江戸時代の公卿として朝廷に仕え、儀礼や朝廷政治に関与した公家。
柳原資廉(1644年 - 1712年)は、江戸時代の公卿として朝廷で要職を務めた公家だ。若年期より宮中に仕え、朝儀の執行や公家社会の運営に携わった。幕府と朝廷の関係調整に関与し、両者の橋渡し役としても活動した。有職故実や公家文化の維持に努め、学問や儀礼の伝承を支えた。1712年に没し、公家社会に長く影響を与えた。
1712年 正徳 9月29日 柳原資廉 江戸時代 公卿 1644年
延享元年9月24日

石田梅岩

(1685 - 1744)

思想家

思想家
江戸時代の思想家・儒学者で、『石門心学』を創始した人物。
石田梅岩(1685年 - 1744年)は、江戸時代の思想家・儒学者で、『石門心学』を創始した人物だ。商家の出身ながら儒教と仏教を取り入れた道徳教育を説き、庶民にも普及させた。正直や勤勉を重視し、生活の中で実践することを説いた。『都鄙問答』などの著作で教えを体系化し、多くの門人を育成した。彼の思想は後の民間教育や倫理観に大きな影響を与えた。
1744年 延享 9月24日 石田梅岩 思想家 1685年
1763年

フランス・グリーンウッド

(1680 - 1763)

画家、ガラス彫刻家

画家 ガラス彫刻家
1680年生まれの画家・ガラス彫刻家。
1680年に生まれる。 絵画およびガラス彫刻の両分野で作品を制作。 生涯の詳細な記録は限られている。 主に17世紀末から18世紀中頃にかけて活動。 1763年に没する。
1763年 フランス・グリーンウッド 英語版 1680年
1783年

ジャン・ル・ロン・ダランベール

(1717 - 1783)

数学者・思想家

数学者・思想家
18世紀フランスの数学者・哲学者。『百科全書』の編集に参加した中心人物。
1717年に生まれる。 数学者として解析力学や流体力学の研究を進め、ダランベールの原理を確立。 ディドロと共に『百科全書』の編纂を指導し、啓蒙思想を推進。 文献学や哲学にも造詣が深かった。 1783年に没する。
1783年 ジャン・ル・ロン・ダランベール 数学者 1717年