宝永4年10月4日
宝永地震。東海道・紀伊半島・四国に被害がおよび、2万人以上が死亡。
1707年に発生した宝永地震は東海道から四国まで大規模な被害をもたらした大地震。
2万人以上が犠牲となった史上最大級の地震の一つ。
宝永地震は1707年10月28日(宝永4年10月4日)に発生し、推定マグニチュード8.4とされる巨大地震である。
主震は東海道から紀伊半島、四国にかけて甚大な被害を引き起こし、陥没や山崩れが多発した。
津波も発生し、沿岸部の漁村や港湾が破壊され、遠く瀬戸内海や太平洋岸でも潮位上昇が記録された。
被害は死者2万人以上、家屋の倒壊や土砂崩れによるものが多く、当時の記録に大災害として刻まれている。
この地震の経験は後の地震学研究や津波対策の教訓としても重要視される。
1707年
宝永
10月4日
宝永地震
東海道
紀伊半島
四国
1891年
マグニチュード8.0の濃尾地震が発生。死者7273名、全壊・焼失家屋142,000戸。
尾張・美濃地方を襲った大規模な地震災害です。死者7000人超、家屋14万戸以上が全壊・焼失しました。
1891年10月28日午前6時38分(現地時間)、岐阜県美濃地方と愛知県奥三河地方を震源とするマグニチュード8.0の濃尾地震が発生しました。
推定死者数は約7,273名に上り、全壊・焼失家屋は14万2,000戸以上に達しました。
地面には裂け目や断層が延び、地震後には液状化現象や土砂崩れが多発しました。
この被害を契機に日本の地震学研究が本格化し、地震計の設置や耐震建築の導入が進められました。
濃尾地震は日本近代史上、最大級の震災の一つとして知られ、後世の防災対策に大きな影響を与えました。
1891年
濃尾地震
1931年
大分県別府温泉(観海寺温泉)で火災。温泉街がほぼ全焼。
大分県別府温泉の観海寺温泉で大規模な火災が発生し、温泉街がほぼ全焼した日です。
1931年10月28日、大分県別府市の観海寺温泉地区で火災が発生し、温泉街の旅館や商店がほぼ全焼しました。
当時は木造建築が密集していたため、火の回りは早く、延焼面積は広範囲に及びました。
住民や観光客に大きな被害はなかったものの、被災した旅館業者は再建に苦慮しました。
火災後、別府市では防火対策の強化や温泉街の都市計画見直しが進められ、耐火建築の導入が図られました。
今日の別府温泉はその教訓を踏まえ、安全性と観光資源の両立を実現する温泉都市として発展しています。
1931年
大分県
別府温泉
1949年
1949年エールフランスロッキード コンステレーション墜落事故。パリ発ニューヨーク行きのエールフランス機がアゾレス諸島付近で墜落し、ヴァイオリニストジネット・ヌヴーとプロボクサーマルセル・セルダンらが死亡。
エールフランス機がアゾレス諸島付近で墜落し、著名なヴァイオリニストや名ボクサーらが犠牲となった惨事です。
この便はパリ・オルリー空港を出発しニューヨークを目指して飛行していました。
機種はロッキード L-749 コンステレーションで、メカニカルトラブルや気象条件が原因と見られています。
事故はアゾレス諸島フォルタレザ山付近で発生し、乗員乗客48名全員が死亡しました。
犠牲者には天才ヴァイオリニストのジネット・ヌヴーや元世界ミドル級王者のマルセル・セルダンが含まれていました。
この悲劇は音楽界とスポーツ界に大きな衝撃を与え、航空安全史における重大事故として記録されています。
事故調査報告では、悪天候と機体の設計上の問題が主因と結論づけられました。
1949年
1949年エールフランスロッキード コンステレーション墜落事故
パリ
ニューヨーク
エールフランス
アゾレス諸島
ヴァイオリニスト
ジネット・ヌヴー
マルセル・セルダン
1967年
台風34号が愛知県に上陸。1990年11月下旬に台風28号が上陸するまでは、日本への上陸日時が最も遅い台風であった。
1967年10月28日、台風34号が愛知県に上陸し、日本への上陸としては当時最も遅い記録となりました。
1967年10月28日に台風34号が愛知県に上陸しました。吹き返しの強風と豪雨により家屋の一部破損や河川の増水が発生し、農作物にも被害が出ました。当時の観測史上最も遅い上陸記録は、その後1990年の台風28号まで破られませんでした。気象庁はこの記録を注目データとして取り扱い、台風の季節的変動への理解を深めるきっかけとなりました。10月下旬まで活発な台風活動が続いた珍しい事例として、歴史的にも特筆されます。
1967年
上陸
台風28号
1979年
これまで噴火の記録がなかった御嶽山で水蒸気爆発。
1979年10月28日、これまで噴火の記録がなかった御嶽山で初めて水蒸気爆発が発生しました。
長野県と岐阜県にまたがる活火山・御嶽山は、これまで中規模以上の噴火記録が残っていませんでした。1979年10月28日の早朝、山頂部で突如として水蒸気爆発が起き、小規模な噴石と火山灰の噴出が観測されました。周辺の山小屋や登山道には軽度の被害が出ましたが、大きな人的被害は免れました。専門家は地下水と高温マグマの反応が原因と分析し、マグマ無関係の噴火として注目されました。この事例は火山監視の重要性を再認識させ、以降の観測体制強化につながりました。
1979年
御嶽山
水蒸気爆発
1995年
バクー地下鉄で火災が発生。289人が死亡する惨事となった。
1995年、アゼルバイジャンのバクー地下鉄で列車火災が発生し、289人が死亡した惨事。
1995年10月28日、首都バクーの地下鉄で走行中の車両から火花が散り出火し、トンネル内に広がった火災で乗客がパニックに陥った。逃げ遅れた乗客や煙に巻かれた人々が多数発生し、最終的に289人が死亡した。この事故は旧ソ連圏で最大級の鉄道事故とされ、原因は電気系統のショートと推定された。地元当局は安全対策の強化と緊急避難訓練の徹底を求めた。
1995年
バクー地下鉄