1648年
三十年戦争の講和条約・ヴェストファーレン条約調印。
三十年戦争を終結させたヴェストファーレン条約が西ファリア地方で調印された。
ヨーロッパを戦火に巻き込んだ三十年戦争の正式な終結条約。
神聖ローマ帝国の各領邦やスウェーデン、フランス、スペインなどが参加。
西ファリア(ヴェストファーレン)地方で交渉が行われ、三重の条約として調印された。
主権国家の概念が認められ、主権平等の原則が確立された。
これにより宗教戦争として始まった紛争は約30年にわたる波乱の末に幕を下ろした。
現在の国際法体制の礎となった画期的な条約である。
1648年
三十年戦争
ヴェストファーレン条約
1790年
三色旗がフランス海軍旗として制定。後に国旗となる。
フランス海軍の公式旗として三色旗が採用され、後に国民旗へと発展した。
フランス海軍の公式旗として赤・白・青の縦三色旗が正式に制定された。
この配色は1789年の革命で用いられた市民の色彩を踏襲している。
三色旗は革命のスローガン「自由・平等・博愛」の象徴とも言われる。
1794年には正式にフランス共和国の国旗として採用され、以後不動の地位を築いた。
現在では世界中の国旗デザインに影響を与えた象徴的なデザインとなっている。
1790年
三色旗
国旗
1795年
3度目のポーランド分割により、ポーランド・リトアニア共和国が完全に領土を失う。
第三次ポーランド分割により、ポーランド・リトアニア共和国が地図上から消滅した。
プロイセン、ロシア、オーストリアの3大国による第三次ポーランド分割。
1795年の分割によってポーランド・リトアニア共和国は国家として消滅した。
多数の貴族や市民が国外へ亡命し、文化や言語の抑圧が強まった。
この消滅状態は第一次世界大戦後の1918年まで続き、再興を阻む要因ともなった。
東欧の勢力図を根底から塗り替えた歴史的事件である。
1795年
3度目のポーランド分割
ポーランド・リトアニア共和国
1813年
ロシア帝国とガージャール朝がゴレスターン条約を締結。
ロシア帝国とガージャール朝ペルシャがゴレスターン条約を締結した。
ロシア・ペルシャ戦争(1804–1813年)の終結を告げる条約。
ロシアはコーカサス地域の領有を正式に認められた。
ペルシャ側は領土の一部を失い、賠償金や貿易権の保証を受けた。
この条約によりロシアの南下政策が一段と進展し、地域の勢力均衡が変動した。
中東およびコーカサス史における重要な転換点となった。
1813年
ロシア帝国
ガージャール朝
ゴレスターン条約
1844年
フランス・清国間で黄埔条約締結。
フランスと清朝の間で黄埔条約が締結され、布教権や貿易権が拡大した。
フランスと清朝が北京で黄埔(ファンブー)条約を締結した。
条約によりフランスはキリスト教の布教自由を獲得した。
また広東近郊の黄埔港における租借権が認められ、貿易拠点を確保した。
これはイギリスに次ぐ列強の対清不平等条約の一つとなった。
中国の主権侵害として国内外で問題視され、後の反乱に影響を与えた。
1844年
1890年
伊藤博文が初代貴族院議長に就任。
日本の初代内閣総理大臣として知られる伊藤博文が、当時新設された議会制度の一部である貴族院の初代議長に就任しました。
明治憲法のもと、1890年10月24日に貴族院が設置され、伊藤博文はその初代議長に選ばれました。貴族院は貴族や皇族、政府任命の議員で構成される上院として、衆議院とともに立法に関わりました。伊藤は初代内閣総理大臣としての経験を活かし、議院運営の基礎づくりに尽力しました。議会政治の定着に向けた制度整備や議事進行の円滑化を図ったことは、近代日本の議会制発展に大きく寄与しました。彼の指導力はその後の政治安定にも影響を及ぼしました。
1890年
伊藤博文
貴族院議長
1945年
ソ連の批准により国際連合憲章が発効し、国際連合が発足。
ソ連の批准によって国連憲章が発効し、正式に国際連合が活動を開始しました。
第二次世界大戦後の平和維持と国際協力を目的に制定された国際連合憲章は、1945年6月に採択されました。
同年10月24日、必要な主要国の批准が揃い、正式に発効しました。
これにより国際連合が誕生し、国際平和維持や人権保護、経済社会開発など多岐にわたる活動が開始されました。
第一回総会は翌1946年にロンドンで開催され、当初は51か国が加盟しました。
今日では193か国以上が加盟する世界最大級の国際機関となっています。
1945年
批准
国際連合憲章
国際連合
1951年
日本社会党第8回臨時大会でサンフランシスコ講和条約に対する態度をめぐって左右両派に分裂。
日本社会党内で講和条約受諾をめぐり、右翼・左翼両派に分裂が生じました。
1951年10月24日、日本社会党の第8回臨時大会が東京で開催されました。
サンフランシスコ講和条約への対応を巡って党内は受諾派と反対派に分裂しました。
受諾派は占領後の日本復興を優先し講和条約の早期締結を主張しました。
反対派は主権回復の条件やアメリカとの安全保障関係を問題視し、講和条約に強く反対しました。
この対立は右派と左派の正式な分党につながり、戦後日本の政党勢力図に影響を与えました。
1951年
日本社会党
サンフランシスコ講和条約
1964年
イギリス領北ローデシアがザンビア共和国として独立。
北ローデシアが独立し、ザンビア共和国として新たに誕生しました。
1964年10月24日、長年の独立運動を経て北ローデシアがイギリスから独立しました。
同日にザンビア共和国が成立し、初代大統領にはケネス・カウンダが就任しました。
独立はアフリカ中南部における脱植民地化の象徴的出来事となりました。
豊富な銅資源を背景に、経済発展と国際的地位の向上が期待されていました。
独立後は英連邦への加盟と非同盟運動への参加を通じて積極的な外交を展開しました。
イギリス
北ローデシア
ザンビア共和国