1936年

柳宗悦が日本民藝館を創設。

民芸運動の中心人物・柳宗悦が、民藝の精神を広めるために日本民藝館を設立しました。
1936年10月24日、民芸運動の提唱者・柳宗悦は東京目黒に日本民藝館を創設しました。民藝館は庶民の日用品や工芸品に美を見出し、展示・収集する場として機能しました。陶磁器や木工、染織品など多彩な作品が並び、伝統工芸の価値を広めました。民藝運動は工業化の波に抗う文化運動として国内外で高く評価されました。日本民藝館は現在も伝統文化を支える重要な施設です。
1936年 柳宗悦 日本民藝館
1949年

映画『悲しき口笛』が封切り。美空ひばりが映画初出演。

美空ひばりが初めて映画に出演した『悲しき口笛』が公開された日です。
1949年10月24日、日本で映画『悲しき口笛』が封切られました。 本作は戦後の混乱期を背景にしたドラマで、叙情的な物語が展開されます。 当時歌手として人気を博していた美空ひばりが、主演として映画デビューを飾りました。 劇中での歌唱シーンは観客に強い印象を与え、彼女の多才ぶりが広く認識されました。 この作品は後の日本映画史における歌手映画の先駆けとされています。
1949年 映画 悲しき口笛 美空ひばり
1971年

日本テレビ系列でアニメ「ルパン三世」シリーズ放送開始

1971年10月24日、日本テレビでアニメ『ルパン三世』の放送が始まり、斬新な作画と大人向けのストーリーで人気を集めました。
原作はモンキー・パンチによる漫画で、東京ムービーが制作を担当しました。 初代監督は大隅正秋氏で、一部の演出には後のスタジオジブリ創設者である宮崎駿氏や高畑勲氏が参加しています。 放送開始当初は過激な描写やブラックユーモアで批判もありましたが、独自のスタイルで人気を博しました。 シリーズは世界各国に輸出され、クールでスタイリッシュなルパン像は国際的なアイコンとなりました。 放送後も何度もリメイクや劇場版が制作され、長年にわたって愛され続けています。 アニメ作品として当時の枠を超えた作画や音楽も高く評価され、日本のアニメ産業発展に大きな影響を与えました。
1971年 日本テレビ ルパン三世
1982年

フジテレビ系の『笑っていいとも!増刊号』の放送がスタート。司会者はタモリ。

1982年10月24日、フジテレビ系で『笑っていいとも!増刊号』の放送がスタートし、タモリが初代司会を務めました。
『笑っていいとも!』の特別版として登場した『増刊号』は、週末に放送される30分のバラエティ番組でした。 初回放送は1982年10月24日で、司会はレギュラー版同様にタモリが務め、軽快なトークとコーナーで視聴者を楽しませました。 番組では人気コーナーの総集編や未公開映像の紹介など、平日版とは異なるコンテンツが展開されました。 この放送開始により『いいとも!』ブランドの認知度がさらに高まり、フジテレビの看板番組としての地位を確立しました。 放送期間は短かったものの、後の特番や関連企画に影響を与える存在となりました。
1982年 フジテレビ 笑っていいとも!増刊号 タモリ
1986年

テレビ朝日系の音楽番組『ミュージックステーション』放送開始。初代司会者は関口宏。

1986年10月24日、テレビ朝日系で音楽番組『ミュージックステーション』が放送開始し、関口宏が初代司会を務めました。
『ミュージックステーション』は、毎週金曜夜に放送される音楽バラエティ番組としてスタートしました。 初代司会の関口宏は落ち着いた進行でアーティストの魅力を引き出し、番組に品格をもたらしました。 番組では邦楽・洋楽の最新ヒット曲を中心にライブパフォーマンスやトークが展開されました。 視聴者参加企画やランキングコーナーなども盛り込まれ、幅広い世代から支持を集めました。 その後30年以上にわたり継続し、日本の音楽シーンを牽引する代表的な番組となっています。
1986年 テレビ朝日 音楽番組 ミュージックステーション 関口宏