貞享2年9月26日

山鹿素行

(1622 - 1685)

兵学者、儒学者

兵学者 儒学者
江戸時代前期の兵学者・儒学者。著作『兵法家伝書』で知られる。
山鹿素行は1622年に生まれ、兵学と儒学を融合させた教育と著作で知られた学者です。肥前唐津藩士の家に生まれ、播磨で軍学を学んだ後、多くの藩士に教えを説きました。著書『兵法家伝書』では武士の心得や実戦的戦術、倫理観を説き、その思想は多くの藩に影響を与えました。また儒学にも造詣が深く、朱子学や宋学を取り入れた教育を実践しました。1685年に京都で没し、後の兵学研究に大きな足跡を残しました。
1685年 貞享 9月26日 山鹿素行 兵学者 儒学者 1622年
1876年

細川韶邦

(1835 - 1876)

第11代熊本藩主

第11代熊本藩主
熊本藩の第11代藩主。幕末期の政治・軍事の両面で活躍した大名。
1835年熊本藩主細川家に生まれる。若くして藩主となり、藩政改革や財政再建に取り組んだ。洋式軍制を導入し、近代的防衛体制を整備した。幕末の動乱期には西郷隆盛らと交流し、明治維新への道筋を探った。明治政府成立後は廃藩置県で藩主職を退き、公職に転じた。1876年に没し、維新期の藩政改革の先駆者として評価される。
1876年 細川韶邦 熊本藩主 1835年
1884年

佐竹義堯

(1825 - 1884)

第12代久保田藩主

第12代久保田藩主
久保田藩の第12代藩主。幕末から明治維新期に活躍した大名。
1825年久保田藩(現在の秋田県)藩主家に生まれる。藩政改革に着手し、財政再建や殖産興業を推進した。西洋式兵制を導入し、藩士の軍事訓練を整えた。戊辰戦争では新政府側に味方し、秋田県の基盤を築く歩みとなった。明治政府の地方官としても重用され、廃藩置県後は県令として藩の再編に携わった。1884年に没し、秋田地域の近代化に寄与した。
1884年 佐竹義堯 久保田藩主 1825年
1970年

華頂博信

(1905 - 1970)

皇族、華族、海軍中佐

皇族 華族 海軍中佐
日本の皇族・華族。海軍中佐として軍務にも従事した。
1905年に皇族・華頂宮家に生まれる。 1927年に海軍兵学校を卒業し、帝国海軍に入隊。 駆逐艦や水雷学校の教官などを歴任し、海軍中佐に昇進。 戦後、華族制度の廃止に伴い皇族としての立場を失うも、静かに余生を過ごした。 1970年に65歳で逝去し、皇室と軍人としての二つの顔を持って生涯を終えた。
1970年 華頂博信 皇族 華族 海軍 中佐 1905年