1933年
リンゴ事件: 六大学野球、早慶戦での判定をめぐり、慶應の水原茂に向けて早稲田側の応援席からリンゴの芯が投げられた。その芯を水原選手がスタンドに投げ返したことをきっかけに両軍がエキサイト。慶應の逆転勝利が決まったと同時に早大応援団が慶大応援席になだれ込んで大乱闘になり、警察が出動するまでの事態に発展した。
1933年の早慶戦で、応援席から投げ込まれたリンゴの芯をきっかけに選手同士が衝突し大乱闘に発展しました。慶應が逆転勝利するも、観客席まで乱闘が広がり警察出動に至った騒動です。
1933年10月22日、東京で行われた六大学野球の早慶戦で起きた騒動です。
試合中、早稲田応援席から慶應の水原茂選手に向けてリンゴの芯が投げ込まれました。
水原選手がその芯をスタンドに投げ返したことをきっかけに両校の応援団・選手が熱く対立。
試合は慶應の逆転勝利で決着しましたが、早稲田応援団が慶應応援席に乱入し大乱闘に発展。
最終的に警察が駆けつける事態となり、大学スポーツ史に残る事件となりました。
1933年
リンゴ事件
六大学野球
早慶戦
慶應
水原茂
早稲田
1972年
全日本プロレス旗揚げ。
ジャイアント馬場らが全日本プロレスを旗揚げし、日本のプロレス界に新たな黄金時代を築き始めた日です。
1972年10月22日、伝説のレスラー・ジャイアント馬場とアントニオ猪木らが新団体『全日本プロレス』を設立。
当初は日本プロレスからの分裂として注目を集め、多彩な外国人選手招聘や新たな対抗戦を展開。
全日本プロレスはタッグリーグ戦やチャンピオンカーニバルなど独自の大会フォーマットを導入。
その革新的な興行スタイルとトップレスラーの競演により、国内外のファンを魅了。
1970年代後半から日本のプロレス黄金期を支えた主要団体となりました。
1972年
全日本プロレス
1973年
V9:読売ジャイアンツが阪神甲子園球場の最終戦で阪神タイガースを破り、セントラル・リーグ9連覇を達成。
1973年10月22日、読売ジャイアンツが阪神甲子園球場で行われた最終戦に勝利し、セントラル・リーグ9連覇(V9)を成し遂げました。
この試合はプロ野球史に残る名勝負のひとつで、読売ジャイアンツの黄金時代を象徴する瞬間でした。
投手陣が要所を締め、打線も要所で得点を重ねたことで勝利を手にしました。
セントラル・リーグの連覇記録は当時のプロ野球界における最長記録となり、その後の野球史にも大きな影響を与えました。
王貞治選手らチームの主力選手たちの活躍はファンの記憶に強く刻まれています。
このV9達成は読売ジャイアンツの伝説として、現在でも語り継がれています。
1973年
V9
読売ジャイアンツ
阪神甲子園球場
阪神タイガース
セントラル・リーグ
1978年
ヤクルトスワローズが日本シリーズで阪急ブレーブスを破り球団創設以来初の日本一に。
1978年10月22日、ヤクルトスワローズが阪急ブレーブスを破り、球団創設以来初の日本一を達成しました。
ヤクルトスワローズはこの日本シリーズで阪急ブレーブスに対し粘り強い試合運びを見せ、念願の初優勝を果たしました。
チームは若手からベテランまでが一体となり、エース投手と勝負強い打撃陣が勝利に貢献しました。
設立から2年目の1978年シーズンは苦難の連続でしたが、クライマックスを制し歴史的快挙となりました。
この優勝は球団のファン層を拡大し、ヤクルトブランドの知名度向上にもつながりました。
現在もヤクルトスワローズの伝説的なシーズンとして野球ファンの間で語り継がれています。
ヤクルトスワローズ
日本シリーズ
阪急ブレーブス
1987年
広島東洋カープの衣笠祥雄がこの日のシーズン最終戦をもって引退。当時の世界記録であったプロ野球連続試合出場記録は2,215でストップした。
1987年10月22日、広島東洋カープの衣笠祥雄がプロ野球史上世界記録の2,215試合連続出場をもって引退しました。
衣笠祥雄選手は鉄人と呼ばれ、1970年代から1980年代にかけて不動のレギュラーとして活躍しました。
この日が最後の出場試合となり、プロ野球連続試合出場記録は2,215試合で止まりました。
当時は世界記録とされ、そのストイックな姿勢と身体能力の高さが称賛されました。
ユニフォーム姿の最後の写真は多くのファンに感動を呼び、引退セレモニーは涙に包まれました。
現在でも「鉄人・衣笠」の愛称と共に語り継がれる伝説的選手です。
1987年
広島東洋カープ
衣笠祥雄
2017年
WBA世界ミドル級王者決定戦で、2012年ロンドン五輪同級金メダリストの村田諒太が、フランスのアッサン・エンダムを7回TKOで破り、日本人ボクサーとして22年ぶり2人目のミドル級王座を奪取した。
村田諒太がWBA世界ミドル級タイトルマッチで7回TKO勝ちし、22年ぶりに日本人としてミドル級王座を奪取しました。
2012年ロンドン五輪で金メダルを獲得した村田諒太は、プロ転向後も着実に実力を積み重ねてきました。
2017年10月22日、フランスの元世界王者アッサン・エンダムと対戦し、7ラウンドTKOで勝利しました。
この勝利により、日本人ボクサーとして22年ぶり2人目のWBA世界ミドル級王者となりました。
試合では精密なコンビネーションと強力な右ストレートが光り、王座返り咲きを果たしました。
日本のボクシングファンにとって歴史的な快挙となった一戦です。
2012年ロンドン五輪
村田諒太
アッサン・エンダム