1216年

ジョン

(1166 - 1216)

イングランド王

イングランド王
獅子心王リチャード1世の弟として即位し、王権と諸侯の対立に苦しんだ。 1215年にマグナ・カルタを承認し、法の支配の礎を築いた。
ジョンは1166年にオックスフォード近郊で誕生し、リチャード1世の弟として育ちました。 1199年に兄の死を受けて王位を継承し、重税や領土問題で貴族と激しく対立。 1214年にはフランス領ノルマンディーを喪失し、王権は大きく揺らぎました。 1215年、貴族からの圧力を受けてマグナ・カルタを承認し、君主権の制限を余儀なくされました。 その後も内紛が続き、1216年に肥痢により在位17年で急逝しました。 彼の治世は中世ヨーロッパにおける法治主義の先駆けとして評価されています。
1216年 ジョン イングランド王 1166年
元亀元年9月20日

森可成

(1523 - 1570)

戦国武将

戦国武将
美濃・近江で活躍し、織田信長に仕えた戦国武将。 1570年の姉川の戦いで討死した。
森可成は1523年に美濃国可児で生まれ、初めは斎藤氏に仕えました。 反乱後に織田信長に転じ、美濃・近江一帯の制圧で武功を重ねました。 1570年6月の姉川の戦いでは先鋒を務め、城内で奮戦した末に討ち死にしました。 武勇と忠義で知られ、子の森蘭丸らが信長に重用されたことで名を残しました。 その死は織田軍に大きな衝撃を与え、戦国期の悲劇的な武将の一人とされています。
1570年 元亀 9月20日 森可成 戦国武将 1523年
1587年

フランチェスコ1世・デ・メディチ

(1541 - 1587)

トスカーナ大公

トスカーナ大公
メディチ家出身で1574年からトスカーナ大公を務め、文化・科学を奨励した君主。
フランチェスコ1世は1541年にメディチ家のコジモ1世とエレオノーラ・ディ・トレドの長男として生まれました。 1574年に大公位を継承し、トスカーナ公国の統治を担いました。 芸術や科学に深い関心を示し、トスカーナ学術アカデミーを支援しました。 独学で錬金術や自然哲学を研究し、自ら実験を行った記録が残ります。 宮廷文化の発展に寄与し、多くの芸術家や学者を庇護しました。 1587年に46歳で急逝し、その死因は当時の記録で病気とも噂されました。
1587年 フランチェスコ1世・デ・メディチ トスカーナ大公 1541年
慶長5年9月15日

吉弘統幸

(1564 - 1600)

戦国武将

戦国武将
西軍の武将として関ヶ原の戦いに参加し、奮戦の末に討死した戦国武将。
吉弘統幸は1564年に備前国の武家に生まれ、初めは小早川氏に仕えました。 その後宇喜多氏を経て西軍に加わり、1600年の関ヶ原の戦いで先鋒を務めました。 激戦の中で討死し、その勇猛さが後世に語り継がれています。 若き武将ながら忠誠心と戦術眼で知られ、戦国の荒波を駆け抜けた一人です。
1600年 慶長 9月15日 吉弘統幸 1564年
1608年

マルティン・デルリオ

(1551 - 1608)

イエズス会神学者

イエズス会神学者
イエズス会の神学者として活躍し、悪魔学の研究で知られた。 主著『魔術と悪魔学に関する研究(Disquisitiones magicae)』で体系的な考察を行った。
マルティン・デルリオは1551年にスペイン領ネーデルラントで生まれました。 イエズス会に入会後、サラマンカ大学などで神学を講じました。 主著『魔術と悪魔学に関する研究(Disquisitiones magicae)』は当時の魔術論を網羅しました。 カトリック改革派として異端審問にも関与し、神学界で高い評価を受けました。 1608年にブリュッセルで没し、学問の体系化に貢献しました。
1608年 マルティン・デルリオ 英語版 1551年
1609年

ヤーコブス・アルミニウス

(1560 - 1609)

神学者

神学者
オランダ出身の改革派神学者でアルミニズムの創始者。 リーデン大学で学び、予定説の見直しを主張した。
ヤーコブス・アルミニウスは1560年にオランダで生まれました。 ライデン大学やジュネーヴで学び、カルヴァン派神学に精通しました。 彼は予定説の一部修正を提唱し、救済の普遍性を強調しました。 その主張は後に「アルミニズム」と呼ばれるムーブメントとなりました。 1609年にライデンで急逝し、その思想はオランダの宗教政治に大きな影響を与えました。
1609年 ヤーコブス・アルミニウス 神学者 1560年
1669年

ドメニコ・フィアセラ

(1589 - 1669)

画家

画家
バロック期のイタリア人画家でジェノヴァを拠点に活躍。 宗教画や肖像画を中心に手掛けた。
ドメニコ・フィアセラは1589年にサルツァーナで生まれました。 ローマでシーゴリやアレッリオ・ロミに師事し、制作技術を磨きました。 1600年代初頭にジェノヴァに戻り、多くの教会装飾や宮廷画を手掛けました。 劇的な光と影の表現を用い、バロック様式の代表的作家として評価されました。 1669年にジェノヴァで没し、その作品はイタリア各地に現存しています。
1669年 ドメニコ・フィアセラ 英語版 1589年
1678年

サミュエル・ファン・ホーホストラーテン

(1627 - 1678)

画家

画家
レンブラントに師事したオランダ黄金時代の画家。 美術理論書も執筆した多才な人物。
サミュエル・ファン・ホーホストラーテンは1627年にダールハウトで生まれました。 レンブラントの工房に学び、劇的な照明効果と豊かな色彩感覚を身につけました。 1650年代には「遠近法箱」と呼ばれる立体的作品を制作し、視覚の錯覚を探求しました。 1678年に没するまで多数の肖像画や風俗画を残し、美術理論書『絵画の高等学校への入門』を著しました。 その理論は後世の絵画技法に影響を与えました。
1678年 サミュエル・ファン・ホーホストラーテン 1627年
1682年

トーマス・ブラウン

(1605 - 1682)

作家

作家
イギリスの医師・博識家で、文芸と科学を融合した著作で知られる。 代表作に『キリスト教信仰の書』『疑偽の書』などがある。
トーマス・ブラウンは1605年にロンドンで生まれました。 パドヴァ大学で医学を学び、生涯を通じて医師として活動しました。 1630年代以降、多くの随筆や学術書を執筆し、文学的な文体で知られました。 『キリスト教信仰の書(Religio Medici)』や『疑偽の書(Pseudodoxia Epidemica)』は後世に大きな影響を与えました。 博物学、哲学、神学など幅広い分野に関心を持ち、その博識ぶりから「博学のブラウン」と呼ばれました。 1682年に没し、その独自の視点は近代思想の先駆けと評価されています。
1682年 トーマス・ブラウン 1605年
1723年

ゴドフリー・ネラー

(1646 - 1723)

画家

画家
ドイツ生まれでイギリス宮廷に仕えた肖像画家。 チャールズ2世やアン女王らの廷臣肖像を多数手掛けた。
ゴドフリー・ネラーは1646年にドイツのリューネブルク辺境伯領で生まれました。 ロンドンに移住し、王室肖像画家としてチャールズ2世やジェームズ2世、ウィリアム3世らの肖像を描きました。 1705年には王立芸術アカデミーの創設に関与し、教育面でも影響を与えました。 卓越した画技と優雅な構図で500点以上の作品を残し、バロック期を代表する肖像画家となりました。 1723年にロンドンで死去し、その優美な画風はイギリス美術史に刻まれています。
1723年 ゴドフリー・ネラー 1646年
1745年

ジョナサン・スウィフト

(1667 - 1745)

小説家

小説家
アイルランド出身の作家・風刺家。代表作『ガリヴァー旅行記』で知られる。
ジョナサン・スウィフト(1667年 - 1745年)はアイルランド出身の作家・風刺家で、政治や社会の矛盾を鋭く批判した。 代表作『ガリヴァー旅行記』では架空の国を舞台に風刺とユーモアを織り交ぜた冒険譚を展開し、世界中で高い評価を受けた。 また、神学者としても活動し、聖職者としての立場から宗教改革や社会正義について論じた。 風刺的エッセイ『ブリテン島掘出し物語』など数多くの作品を残し、18世紀の文学に大きな影響を与えた。 その鋭い観察眼と比喩表現は後世の風刺文学に受け継がれている。
1745年 ジョナサン・スウィフト 小説家 1667年
1770年

ベルナルド・アントニオ・ヴィットーネ

(1704 - 1770)

建築家、作家

建築家 作家
イタリア・バロック建築の代表的建築家。精緻なドーム設計と理論書で知られる。
ベルナルド・アントニオ・ヴィットーネ(1704年 - 1770年)はイタリアの建築家・建築理論家で、ピエモンテ地方を中心に数多くの教会建築を手掛けた。 彼の作品は曲線を多用したバロック様式が特徴で、特にドーム構造における斬新な設計が評価されている。 建築理論の著作『教会建築の規則』などで後世の建築家に影響を与え、設計と理論の両面で活躍した。 トリノやヴェルチェッリのサン・クリストフォロ教会など、現在も彼の代表作が残る。 学究的な視点から美学と構造を融合させた功績は、18世紀バロック建築の集大成とされる。
1770年 ベルナルド・アントニオ・ヴィットーネ 英語版 1704年